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悪魔の瞳7

 止める間もない。

 旋風が天上目がけ駆けあがっていく。

 変わらずに降り注ぐ陽光さえも巻き上げ、土埃と共に木々が乱舞する。

 風はハニーの視覚も聴覚も、全ての感覚という感覚を奪っていく。

 その中でたった一つ残った第六感がギシギシと心臓を揺さぶり、閉ざされた黒い壁の向こうに警鐘を鳴らす。

 違うとどれだけ打ち消しても、淡い希望どんなに縋ろうとしても無駄だった。

 ビリビリと肌を焼くサリエの声の残滓が全て現実だと告げている。 

 瞬きすらできず金色の瞳を見開いた。

 風に煽られた黒い闇がゆらゆらと萎んでいく。

 大きく広がった闇が焦らすようにゆっくりとサリエの背へと帰って行き、ぱさりと妙に軽やかな音が大きく響いた。

 軋む心臓を悪魔が鷲掴む。


「……ぁぁああっっっ……………」


 崇高な金色の瞳が戦慄いた。

 その下にある愛らしい口から洩れるものは言葉になりきれなかった感情の残骸だ。

 動きを止めた空気に霧散し、何も残らない。

 それ以上ハニーは何も言えなかった。

 いや、言葉を発することを許されなかったと言った方が正しい。

 悪魔はその一翼で人を地獄に陥れることができるのだ。

 ハニーは今、自分がどこに立っているのかすら分からなくなっていた。

 呆然と見つめる先で赤い騎士達は皆、人ならざる顔で固まっていた。

 目は飛び出さんばかりに見開かれ血走り、口からは細かな泡が吹き出している。

 血管という血管が怒張し、もう先ほどまでの面影すらない。

 息ができないのか、皆一様に喉に手を当て、痙攣している。

 それはまるで死者が地面から甦ったかのような光景だった。

 サリエのすぐ側で膝をついていたマントルがハニーに助けを求めるように歪に曲がった指を震わせて、手を伸ばした。

 先ほどまで鼻持ちならなかった髭面が今は、精も魂も吸い取られて抜け殻になっている。

 求めに応えなければと恐怖に竦む足がそう直感して一歩踏み出した。

 その手を握らんとハニーは腕を突き出した。

 これで何かが変わるなら、望んで地獄に降りたとう。

 覚悟を決めた足が地面を踏み鳴らす。

 だが、その微かな震動が徒となった。

 寸での所で保っていた騎士達の均衡を壊してしまったらしい。

 自分の体を支え切ることもできなくなった騎士達が次々に地面に伏していく。

 ガシャンッと耳をつんざく金属音が嘘のように遠くに聞こえた。

 騎士達が重なるように倒れていく。まるでおもちゃの兵隊だ。

 悪魔の前では小指一つ動かすこともままならない。

 ハニーの視界が赤く染まっていく。

 大地が赤い海に覆われていく。

 それはあの日ハニーが見た血の海のように強烈な色彩を放っていた。


「なんてことをっ!」


 息を飲む口に手を当て、絶望を噛みしめた。

 見ているしかできない自分が苦しくて、何故か涙が止まらなかった。

 陸に打ち上げられた魚のようにピクピクと痙攣し、苦しげに呻く騎士達。

 もう幾ばくかで命が尽きようとしている。

 その赤に冷やかな視線を向ける漆黒の男は身じろぎ一つしない。

 彼はハニーに背を向けたまま、完璧な無表情を浮かべていた。

 限界が来たのだろう。

 ぐっと息の詰まるような音を上げ、マントルの震える手が地面に落ちた。

 ぐったりとした腕が地面を跳ねる。


「ぃぃぃぃぃいいいいいぃぃぃぃぃぁぁやややぁぁぁぁぁあああああぁぁぁぁぁぁっ!」


 耳を劈くその声が自分のものだと気付いた時にはハニーはすでに駆けだしていた。

 凍りついた足先は借り物のようだ。

 たった数歩の距離すら思い通りに進まず、ハニーはもどかしさに奥歯をぎりりと噛みしめた。

 先ほどまで麗しいほど眩しかった陽光が氷の刃となってハニーの肌に突き刺さった。

 風が彼女の行く先を妨害しようと全力で向かってくる。

 その全てを振り払うように上げた視線の先で、静かに彼女を見つめていたのは漆黒の王だ。

 ハニーと騎士団とを断つような形で佇んでいる。

 怖いと直感で思った。

 指先一つで他人の人生を変えてしまう男が獰猛な獣な鋭い眼差しでハニーを見据えていた。

 近付くにつれ、心臓は恐怖心に張り裂けそうになる。

 だがそんなことでハニーの足が止まる訳がない。

 ハニーが恐怖心で自己保身を考えるような、真っ当な人間ならば元からこの場にはいない。

 止まらない涙でサリエが滲んでみるのがせめてもの救いだ。

 ハニーは自嘲気味に、無理やり口の端を押し上げてみた。

 視界にサリエが入らないように顔をそむけ、黒い男の横を通り抜けた。

 目指すはマントル、そして他のアンダルシアの騎士達だ。

 何が原因で痙攣を起こしたのか皆目見当も付かないが、だからといって死に行くのをただ見ているなどハニーにはできない。

 最後まで諦める訳にいかないのだ。


「間にあってっ!」


 切実な願いだった。ハニーはもう誰の死にゆく瞬間も見たくなかった。

 それが自分の敵であろうとなんであろうと………。

 力なき身でなんと傲慢な夢を見ているのだ、そう揶揄されても胸を張って主張できる。

 人はこんな自分を馬鹿だと罵るだろうか。

 でも…………。


(わたし、バカでよかった!)


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