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悪魔の瞳2

「な、なんだ……?」


 マントルの上ずった声が滑稽な響きで晴れ渡った空に響いた。

 その声は彼の、ひいては彼の率いる騎士団全員の心内を表したものだった。

 追いこまれた女王と追う騎士団。

 その二極しか存在しないはずのこの場に誰が横やりを入れたのか。

 皆、その聞き心地の良い声に導かれ、声のした方に視線を向けた。

 騎士団の視線の先――そこにいるのはもちろん、眩い光の元でも照らされることなき漆黒の異端審問官。

 サリエは一歩赤い壁の内側へとゆったり歩を進めた。 

 悠々とした足取りはもどかしいほどにゆっくりで、その場にいる者の心を焦らす。

 歩を進める速度さえ彼の計算の内なのではないかと穿った見方をしたくなるほどだ。

 サリエは両陣営をヤキモキさせながら、ようやっと円の中心に立った。

 優雅に一同を見渡し嘲笑を浮かべる。

 騎士達が一気にざわめいた。

 どうやら彼らはハニーしか見ていなかったようだ。

 視界にさえ入っていなかった黒いマントの男に皆が見惚れ、呆けたように口を開いている。

 それもそのはず。

 今まさに女王のいる舞台に上がったその男は、目を逸らすことも叶わないほどに美しい容貌をしているのだ。

 艶然と赤い騎士団を見返すとサリエは自らのマントを振り払った。

 風に煽られ、たなびく黒いマントがその場の空気を漆黒へと変えていく。

 その中心で鮮やかな赤が舞った。

 優雅にして威風堂々たる態度に、冴えいる月の清けささえも陰る白皙の美貌。

 本性を知らなければ現の夢かと錯誤してしまう。

 マントルは揶揄されたことも忘れ、だらしないほど口を開いてサリエに見惚れていた。

 だがハタと我に返り、サリエを睨みつけた。


「な、なななな……何だ、お前は!!!どこの騎士団だっ?」


「司教ですよ、ただの」


 どうやらマントルは黒衣に赤の花十字が聖域の司教を表すものだとは知らないようだった。

 それも仕方ないことだ。戦に生きるマントルは戦場で見聞きしたことしか知らないのだろう。

 いくら黒衣に赤の花十字が選ばれた司教の証でも実際に身につけて戦場に出た者はいない。


「はっ、司教だと?」


 マントルはサリエの言葉に嘲笑を浮かべた。

 司教と聞いて取るに足りないとでも判断したのだろう。

 武を一に重んじる騎士団の長らは形式的に神職者を敬うが、実際は神の奇跡よりも腕っ節の強さを信じている。

 彼の目には見目麗しく、その手に剣を握らせるのを躊躇うほど華奢なサリエは戦場において利用価値がないと映るのだろう。

 値踏みするような不躾な視線が二、三度、サリエの身を行き来した。

 三度目、サリエの胸元で止まった視線には信仰への敬意も神職にある者への配意もない、下卑た厭らしさのみしかなかった。


「ただの司教が出しゃばるなっ!軟弱な者はお呼びじゃない。引っ込んでろっ!」


 ズカズカと前に進み出ると太い腕でマントを払い、サリエを後ろに押しのけた。

 そして自分よりも頭一つ高いサリエを見下すように顔を突き出す。

 誰もが敬愛し、畏怖してやまない聖域の司教を相手にその態度はあまりにも無礼である。

 目の前で繰り広げられたやり取りを傍観しながら、ハニーはマントルという男に同情した。


(可哀想に。あれで言い負かしたと思っているんだわ。今からそれ以上の嫌味の応酬があるというのに……)


 だがハニーの予測を裏切り、サリエは何も言わない。

 ただ漆黒の瞳を細め、じっとマントルに向けるのみ。

 辛辣な嫌味を吐くに最適な口はもの言わずとも多くのことを語っている。


「な、なんだ?」


「……フンッ。何でもありませんよ?マントル団長」


 不敵な笑みを浮かべ、思わせぶりな顔を浮かべるだけのサリエにマントルは鼻白んだ。

 髭面を間抜けに歪めている。しかしサリエは何も答えない。

 その代わり意味ありげに片眉をつり上げてみせた。

 そんな意地悪な顔すらも美しいのだから、この男は始末が悪い。

 毅然と騎士団を振り向いたサリエはその優美な笑みを崩すことなく、彼らを見返す。

 その姿に騎士団から感嘆の吐息が漏れた。

 その内の一人が何かに思い当たったとばかりに息を飲んだ。


「マ、マ……マントル団長!この男はサリエですっ!あの有名な邪眼のサリエだっ!」


 震える手でサリエを指差すとその男は驚愕に目を見開く。

 騎士団の者達は皆、その男に倣うように口を開いた。

 場がざわりと揺れた。


「あ、あれが邪眼のサリエか!本当にいたんだ」


「恐ろしいほどに美しい容貌に、黒い隻眼。本物だ!本物のサリエだ!」


 噂好きのアンダルシア人とはよく言ったもので、一度火が付くとあれやこれやと自分が仕入れた噂を披露しまくる。


「オレの兄さんの嫁さんの義理の弟が言ってたんだが、なんでもサリエは実は教皇の愛妾らしいぞ。だから若くして聖域の司教になれたんだとさ」


「わしは嫁さんのおっかさんがサグラナにいるんだが、奴はそこで狂信者を百人切りしたらしいって話だ」


「これは確かなところから仕入れた話なんだが、実はなサリエってのは空から現れた未確認生命体らしい」


「俺はサリエは百人いるって聞いたぞ」


 際どいものから荒唐無稽なものまで。

 その優美な姿ゆえか、サリエに関する噂は限りがないらしい。

 噂の主であるサリエそっちのけで、彼らは話すのに夢中になっている。

 心なしか彼らを見つめるサリエの秀麗な顔がぴくりと引き攣った。

 サリエの背負う空気が澄んだ空を禍々しく変えていく。

 離れたところでその全貌を見つめるハニーはサリエの顔の裏にある感情に気付き、他人事ながら妙な緊張感を強いられてしまった。

 だが、誰もそれに気付かない。

 騎士達の雑談へのボルテージは上がる一方だ。

 引きつった優美な笑みのまま「殺す」とサリエが呟いたのはきっと空耳ではない。

 ざわざわと騒がしくなった一団の中、たった一人話についていけないマントルが輪から外れたところでポツンと部下を見つめていた。

 どうやら彼はサリエの噂はおろか、その存在も知らなかったようだ。

 一人のけ者にされたのが悔しかったのか、地団駄を踏み、部下を睨みつける。


「私語を慎めっ!今がどんな時か分かっているのかっ!」


 ブンブンと手を振って喚くマントルに彼の部下はハタと状況を思い出し、ぴっと背を伸ばした。

 武器を片手に敬礼してみせる部下にマントルは鷹揚と頷いてみせた。


「すいませんっ!団長!」


「分かればいい!……そ、それで?サリエの噂ってのはなんなんだ?」


 どうやら知りたくて仕方なかったらしいマントルが興味深々に目を輝かし、部下と噂のサリエを交互に見据えた。


「団長!サリエとは聖域にいらっしゃる教皇様直属の異端審問官であります!」


 騎士団の一人がかしこまったまま的確に答えた。

 その言葉を拾って別の騎士が先を続ける。


「黒髪黒眼の、大層美しい容貌をした男で、常に左眼に眼帯をしているのであります!」


「ま、まぁ美しいと言っても差し支えない、女みたいな顔だな」


 その言葉にマントルがサリエの頭の先から足先まで視線を添わせた。

 心なしかマントルの頬が赤く染める。

 それに反してサリエの顔が苦虫を噛み締めて無理やり飲み込まされたように歪んだ。


「そしてっ!」


 興奮気味の甲高い声が一際大きく空に響いた。

 その場の視線が声の主に集中する。


「そ、その眼帯で隠された左眼に悪魔が宿っているというのです!それは邪眼と呼ばれ、忌み嫌われる悪魔の瞳。その瞳に睨まれると最期。一瞬で射殺されるのだそうですっ!」

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