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悪魔の瞳1

 時は無情だ。

 サリエの声に弾かれ、視線を遠くへと向けたハニーの視界が一気に赤く染まった。

 まるで熟した果実のような、濃厚な赤。

 ハニーの淡く透き通る髪を朱と例えるなら、それは暗い森を舐めるように染めていく炎の紅。

 それが押し寄せる騎士達のマントの色だと気付いた時には、全てが遅かった。

 乱暴に草木をかき分け、彼らはハニーの視界に躍り出た。

 十数人にも上る屈強な体躯の騎士達は皆、赤いマントを大きくはためかせいる。

 騎士達の肩には緑色の花十字が染め抜かれていた。

 それはもちろん血に濡れた女王を追う者の証だ。


(あれはアンダルシアの騎士っ!)


 目を見張る間に彼らはサリエとハニーを囲むように半円に広がった。

 そして各々が手にした兇器を彼女に向ける。


「ブラッディー・レモリー!貴様はこのアンダルシアの雄マントルが討つ!」


 騎士達の中で一際立派な甲冑を身につけた長身の男が一歩前に出た。

 マントルと名乗った、茶色の髭を生やしたごつい体の男はこれでもかと胸を逸らし、ハニーをねめつけた。

 彼の叫びに従うように騎士達が手にした兇器を打ち鳴らし、ハニーを追い込む。

 


 ついにその時が来た。ごくりと喉を鳴らし、ハニーは目の前に出来た赤い壁を見つめた。

 今までハニーを追う者は多数いた。

 シーリエント王国カイリ。

 ガルシア帝国カンザス。

 死の天使アシュリ。

 謎の貴婦人ゾフィー。

 何度も殺されそうになり、しかし運命のいたずらに助けられここまで逃げ伸びることができた。

 だが所詮奇跡は偶然だ。その偶然に二度目はない。

 前に立ちはだかるのは赤いマントの騎士団。

 後ろは崖。

 すぐ側にいるのは、ハニーをずっと追ってきた漆黒の男………。

 もう逃げ場などない。


(絶体絶命ってこのことね)


 ハニーは固唾を飲んで、対峙した男達の顔を順々に見つめた。

 端まで行くと最後はアンダルシアの騎士に場所を譲ったサリエに目をやる。

 それに応えるようにサリエが不敵な笑みを浮かべた。

 その笑みがハニーの心に小波を立てる。


(本当に腹立たしい男だわ………)


 ざわめき、焦燥に駆られる心の中で、強がるようにサリエを睨み返した。

 少しだけ気持ちが落ち着いた気がするのは気のせいだろうか。

 どうやらハニーはあのいけすかない男を遣り込めてやろうと思うと、活力が湧いてくるらしい。

 あの神殿然り、さっきまでのやり取り然り………。

 でもどれだけ強がっても肉体まで強くなる訳ではない。

 目の前の騎士が真っ直ぐに槍を突き出すだけで、簡単にハニーの道は途切れてしまう。

 最悪の展開に足先が怯えるように震え出した。

 その恐怖心を叱咤するように、ハニーはぎゅっと手を握りしめた。

 そして気付かれぬよう微かに彼らから視線を逸らした。

 金色の瞳が映し出したのは真っ青な空。

 そこは突き抜けるほどに眩く、ハニーを追い込む現実とは一線を引く清浄さに満ちていた。


(本当に美しい……まるでエルのようだわ………)


 途端、ハニーの心はぎゅっと掴まれたような痛みを感じた。

 それは側にいない人を想っての哀愁か。

 それとも果たせなかった約束への悔恨か――――痛みの中にある愛しさに更に胸が締め付けられる。

 サンサンと降り注ぐ日の光の中、心の中の残像が透き通った青空に映し出される。

 淡く光輝く金髪に、湖に似た深い青の瞳。

 ぷっくりとした柔らかな子どもらしい顔つき。

 彼はいつも通り屈託のない頬笑みをハニーに向けてくれた。


(エル……もう二度と会うことのない、愛しいわたしの天使。何故、あなたはあの時わたしの手を掴み返してくれなかったの?)


 青空の中の少年は空の青を凝縮したような瞳をしている。

 その瞳を見つめ、生まれたての太陽のような金色の瞳が切なげに細まる。

 傷ついた手に残るエルの髪の感触。

 それは精一杯伸ばした手が触れた最後の希望だった。

 どれだけ時間が経っても、あの別れの瞬間が今だハニーを縛り付けていた。

 何度も彼の手を掴めなかったことを後悔し、しかしその度に何度も離れ離れになって良かったのだと自分に言い聞かせた。

 それが彼にとっての最善なのだと何度も思いこもうとした。

 だが、それで理性を丸め込めても感情までは誤魔化せない。

 エルのいない片側がこんなにも心細い。

 エルのいない森は今までより一層深く暗い。

 美しい金色の瞳が瞼に浮かぶ愛らしい天使に向かって悲しげな微笑みを向けた。


(わたしが隣にいない未来があなたにとっての幸せだって分かっている。でも……それでも何度も願ってしまうの。エル……もう一度あなたに会いたい………会って抱きしめたい)


 真摯な祈りの一時だった。

 だが心穏やかな気配はすぐに掻き消される。

 すぐ側でハニーに射るような視線を突きつけてくるのは、彼女を死に追い込む聖十字騎士。

 そっと青い空から視線を逸らしたハニーが何かに耐えるように唇を噛みしめ、何かをふっ切るように激しく髪を乱し、顔を上げた。

 陽光を受け燃え上がった赤い髪の向こうでもう一つの太陽が燦然と輝いた。

 誰をも跪かせる気迫に満ちた金色の瞳が勇ましく赤い騎士たちを見返す。

 ざぁと雄大な風が深い森の木々を揺らし、荘大な空へと帰って行く。

 その風に赤い髪が巻き上げられ、艶やかに靡く。

 壮絶な運命を背負い血に濡れた女王は、荒野に君臨した。

 その堂々とした態度に一歩前に出たマントルが虚を突かれたように、目を剥いた。

 鬼気迫るその表情に一歩引きさがる。


「て、て、抵抗するつもりかっ!」


 まるで負け犬のような叫びだったが、それでも鍛えたものは確かなようだ。

 射るような鋭さを以て森を揺さぶる。吹き下ろされた落ち葉がゆらゆらと透き通る空に舞う。

 薄氷に似た緊張感が場を支配する。

 誰も何も発しない。

 動かず、互いの動向を見極めんと目を険しくしていく。

 時間だけが流れ、焦燥感ばかりが増していく。

 ハニーはマントルを正面に捉えたまま、ごくりと喉を鳴らした。


「どこの騎士団も必死だな。まあ、当り前か。この女王を手にした騎士には最高の褒美と地位が用意されているからな」


 緊迫した場に水を差すように醒めた声が響いた。

 それは簡単に薄氷を破り、決壊した穴から氷水を流し込んだ。

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