途切れた道8
ドクンッ――――――――これ以上ないほど、心臓が跳ねあがった。想像もしていなかった言葉に激情が体中を暴れ回る。
大きく見開かれた金色の瞳が激しく燃え上がった。
ドクンドクンドクンドクンッ――――自分ではコントロールできない激しさに押し流される。
「……生きてる……の……エル……本当に…………」
ぽつりと零れた自分の声が信じられない。
この男が言うことなど絶対に無稽だ。信じられるはずがない。なのに………。
「エルが生きてる……生きてる……生きてるっ!」
冷静な思考力がサリエの言葉を否定しても、情熱に突き動かされる心がその言葉を真実と見做し歓喜する。
一度は引っ込んだ激情が溢れ返り、ハニーの金色の瞳を濡らしていく。
凍てついた体がその鎖から解き放たれ、今にも天高く舞い上がってしまいそうだ。
あの痛ましい姿がエルを見た最後だった。
もう命はないとばかり思っていた。
すでに神の御許に旅立った清らかな魂を何度悔やんだことだろう。
何度、自らの命を投げ捨てその側に行こうと思ったかしれない。
でも一時の感情に身を任せなくて良かったと今なら思える。
「エル……待っていて。今すぐにあなたの側に……」
側にいる男のことなど忘れ、ハニーはうわ言のように繰り返した。
自然と四肢に力が漲ってくる。
そんなハニーを胸に抱きながら、サリエは冷たい視線を投げかける。
「ただその命は風前の灯。いつ消えてもおかしくない。さあ、お前は間に合うかな?彼女の死に目に」
親友の生存に歓喜するハニーに水を注すような声に弾かれ、ハニーはすぐ側にある強敵のことを思い出した。
きっと睨み上げるとサリエは意地悪な笑みを浮かべ、それに応える。
その曇りなき黒曜石は何も映さない。
彼の言葉は真実なのか、それともハニーを追い込む罠なのか。男の思惑が見えずにハニーは当惑した。
「本当に?」
念を押すように聞く。だが艶やかな笑みを浮かべ、ハニーを見下す瞳は何物にも動じない。
せせら嗤う声がハニーの心を試す。
「真実は生き残って確かめるんだな」
サリエはハニーを抱きしめたまま、是とも非とも答えない。
でも何故だろう。
「……あなた、わたしを殺す気がないの?」
そう思ってしまうのは………。
自分を殺す為にここに存在する男に何を馬鹿げたことを問うているのだろう。
だが不意に胸についた疑問に恐る恐る戸惑いの眼を向けた。
サリエは何度もハニーの心に揺さぶりをかけ、嘲笑し、脅し、翻弄して、ハニーを殺す前に更なる絶望に追い込もうとした。
それは事実。だが今まで一度もハニーにその刃を向けていないのもまた事実だ。
これは偶然なのだろうか。
「ハンッ!まさか、そんな訳はないだろう?………俺はただ簡単に殺せるものをすぐにやらないだけ。どうせ殺すんだ。どこまでも怖がらせ、じわじわいたぶる方が楽しいだろ?」
ぐいっと抱き寄せられ、耳元で甘く囁かれる。
自分の全てを否定するその言葉にカッと怒りが膨れ上がる。
「最低っ!」
感情のままに叫んでもサリエはハニーを手放さずに、せせら嗤うだけ。
空虚な声がハニーの胸に湧いた馬鹿げた希望を一瞬で消してしまった。
抱かれたまま睨みつけても、黒曜石の瞳は変わらない。吐息のような声がハニーを突き放す。
「どうとでも」
「あなた、それでも教会に属す異端審問官なの?よくそんな歪んだ性格で迷える人を導く司教になんてなれたものね!神に祈る前に自分の性格改善しなさいよ!そんな性格で天国行ったら詐欺よ、詐欺!あなたなんて地獄に堕ちればいいんだわ!その真っ黒な姿にお似合いよっ!」
ハニーは感情のまま、サリエの胸をどんどんと叩いた。
言葉はこの男には響かない。でもこの男に訴えかけなければ気が済まない。
だがサリエはその表情を変えることない。
ハニーの髪を掴み上げるとぐいっと引っ張り上げた。
「……つぅぅぅっっっ!!!」
引かれるままに顔を上に向けられる。
抵抗しようにもサリエの長い指に髪を絡め取られ、ハニーにそれを許さない。
無力なハニーは最後の抵抗とばかりにキッとサリエを睨みつけた。
しかし、漆黒の隻眼は変わらずに深く輝いてハニーを見つめている。
その無情な瞳に奥で何かが揺れた。
「俺は神など信じない」
一瞬、全ての音が止まった。
空を流れる風の音も、崖から吹き上げる濁流の音も、揺れる木々もおしゃべりをやめ、不思議な静寂が時を包む。
それでも麗らかな日差しは変わらず、ハニーとサリエに降り注ぐ。その中を凛としたサリエの声が響く。
「故に天国も地獄も信じない」
静かに告げられた言葉の意味が理解できず、ハニーは眉を寄せた。
大きく見開いた瞳ですぐ側にある美しい顔を見つめる。
「何を言って……」
「フンッ!神を冒涜したら地獄に堕ちるんだったな。どうだ?満足か?」