途切れた道4
凍りついたまま立ち尽くしたハニーの前にいるのは、壮絶な美貌に冷やかな空気を纏わせた異端の異端審問官――――死の天使サリエ。
(またこの男と出会うことになるなんて………)
一度目にすれば忘れることのできない氷の華のような美貌は今日も変わらず。
白皙の容貌は全てを見下しているような不遜な表情を浮かべている。
その中で黒曜石のような瞳と濡れた黒髪が彼に壮艶の魅力を醸し出していた。
そのすらっとした長身を包むのはもちろん、夜よりも深い黒衣。
この男は闇よりも闇の気配を纏っている。
唯一の例外は肩に咲いた赤い花十字だけ。
そしてその花十字がハニーとこの男の間に相容れない一線を引く。
花十字―――それは聖域に敵対したものを追う聖十字騎士団の紋章。
サリエは不敵な笑みを浮かべ、絶対零度に凍てついた瞳をハニーに向けた。
端正な顔立ちは見惚れるほどに美しいが、その性格に影響してか影を帯び冷徹で意地が悪く見える。
「ここまで俺が追いついたことが信じられない………といったとこか」
氷の美貌は口を開くと途端に、嫌味でいけすかない顔に変わった。
ざっと草を踏みしめ、サリエがまた一歩ハニーの方へと近寄ってくる。
その僅かな距離をも楽しんでいるかのように、サリエは薄く形のよい唇を自らの指でゆっくりなぞっていく。
「何でも顔に出るのは一国の女王としていただけないな」
「ほっておいて!」
「叫ぶな。短気な女だ。じっくりと会話もできないのか?これでよく聡明で気高き美女と讃えられたものだ。こっちは噂の実体がいかほどのものか楽しみにしていたのに。本物を目の前に心底がっかりだ。噂とは本当に当てにならない」
サリエは長いため息と共に首を振ってみせた。
そして遣る瀬無いとばかりに顔を歪ませ、ハニーに憐みの視線を送ってくる。
その仕草の一つ一つがまるで仕組まれたように、的確にハニーの心の琴線に触れる。
「お前、自分で悲しくならないか?」
醒めた目にハニーの我慢がついに限界に達した。
怒りに震える指をビシリッとサリエに向けると、金色の瞳を険しくする。
「勝手にありもしない噂を信じるのがいけないんでしょうっっ!何を期待してたのよ!変態っ!」
吐き捨てられた変態という言葉に流石のサリエも面白くなさそうに眉を寄せたが、堰を切ったハニーの怒りを前には何も言えない。
「ホントに嫌味な男だわ。自分がちょっとばかり顔がいいからって調子に乗らないで!大体ね、ネチネチネチネチとしつこい男なんて顔がよくっても興ざめよ。口ばっかりで、行動が伴ってないじゃない?どうしたの?こんな森の奥までそんな嫌味を言いに来た訳?ほんっと、男ってやんなっちゃう!!」
サリエに対抗するようにこれでもかと肩を竦め、ハニーは馬鹿にするようにハンッと鼻で笑ってやった。
本当はもっと、もっと、も~っと色んなことを言ってやりたいのだが、感情が先走りしてうまく言葉がついてこない。
あまりにも早口でまくし立てた所為で、ハニーは息切れ状態だ。
それでもじとっと座った視線をサリエから逸らさない。
そんなハニーをじっと見つめていた無表情の瞳が不意に歪んだ。綺麗な顔が台無しになるほどだ。
そのえもいわれぬ表情にハニーは思わず怒りを忘れ、キョトンとする。
「な、何よ?何か文句ある訳?」
上ずった声で問い詰めても、サリエは歪な表情を改めない。
サリエはどこまでも冷たく、でもどこか哀れむような視線をハニーに向ける。
そしていっそ馬鹿馬鹿しいほど大層に肩を竦め、被りを振った。
「天然の莫迦か?それとも追われる上で頭までおかしくなったか………自分から捕まえるよう敵を炊きつけるなんて」
「うっ…」
的確な突っ込みに言葉も出ない。
サリエの胡散臭いリアクションが心底腹立たしいのに、それ以上何も言えなくなった。
ぶすりと黙り込んで、自分を睨みつけるハニーにサリエは不敵な笑みをもって答える。
「それが策というなら、なんとしたたかな女なのだと賞賛しよう。だが……」
ざりっと地面を踏みしめ、一歩ハニーの方に歩み寄る。
すらっとした長い指がゆっくりと赤い唇を流れていく。
「お前には策などない。どうせ感情のまま叫んでるだけだろ?」
図星だった。
先ほどゾフィーと名乗った貴婦人は、裏のないハニーの裏の思惑を気にしていた。
だがいくら穿った見方をしてもそんなものは始めからない。
単純明快。この竹を割ったような快活さがハニーらしさだ。
ゾフィーやサリエのように腹に一物抱えたまま、笑顔で上辺だけの駆け引きなどできない。
それが真実なのだが、完膚なきまでにすっぱり切り捨てて言い当てられると、愕然とする他ない。
ハニーは目を見開き、しばし瞬きも忘れてサリエを見つめた。
(出会ってまだ二日目の、それも敵対している男にわたしの内面を読まれるなんて………)
まるで勝手に心の中に入り込まれ覗かれている気にさせられる。
それは裸の自分を見られるより数倍恥ずかしく、居た堪れない。
しかもこの性根の腐った、あくどい男に見られたかと思うと嫌悪感も一層だ。
ハニーの顔が汚らわしいものを見るかのように歪んだ。
ぞっと鳥肌が立つ。
(気持ち悪いっ!)
「お前に言われたくない」
まるで心の中の絶叫に応えるようなタイミングでサリエが静かな突っ込みを入れた。
それがまたハニーを追い込む。
(いや~何よ、こいつ!他人の心でも読める訳?)
「お前の顔に書いてある」
心の中で吐き捨てるように言い放った言葉に淡々とサリエが答える。
ぎょっとなってハニーは自分の顔をペタペタと触ってみたが、そんなことで分かる訳はない。
ふとサリエの方に目をやると無表情のまま、ハニーを見下していた。
目が合った瞬間、サリエの口端がハニーを小馬鹿にしたように押し上げられた。
「思慮浅く、女王の気質ではない」
嘲笑混じりに言い捨てられ、明け透けない視線が襤褸切れのようなハニーに注がれる。
不敵な黒曜石の輝きが次のハニーの行動を予測しているのか、鈍く輝いた。
(ムカつくぅぅぅぅぅっっっ!)
的確にハニーを怒らせようとするその口ぶりに、一度は冷静になった思考がすでに沸点近くまで上昇する。
こんな男に言わせてばかりいられない。
何かとかやり込められないものか。
反射的にそう思ったハニーが、サリエに向かって叫ぼうと口を開きかけた。
だが…………。
「なっっっ!」
まさかの展開に息を飲んだ。
一瞬の間にサリエが目の前にいたのだ。
足音すら聞こえなかった。あまりの俊敏さに彼が一体いつ行動を起こしたのかも分からない。
呆然と目の前にある氷の美貌を見つめる。
今はもう怒りも怯えも湧いてこない。ただ驚愕に体の芯が震える。
凍りついたように立ち竦むハニーに手を伸ばし、サリエは遠慮なくその顎を掴んだ。
そして力任せに自分の方へと向ける。
掴まれた顎に緊張が走った。
全身が凍りついたような感覚が瞬時にハニーの体を駆け抜け、凍りついた指先から灼熱の濁流となって再度体中を逆流する。
一瞬、頭まで真っ白になり、ハニーは呆然と目の前の漆黒を見つめた。
しかしそれは瞬きよりも身近な時間の間のことだった。次の瞬間、ハニーに分かったのは明確な敵意だった。
抵抗しようと試みるが、凍てついた闇色の瞳がそれを許さない。悔しいが、気圧されて元来の強気が湧いてこない。
日の光を受けてなお暗く揺らめく瞳は蠱惑的で、見つめられたハニーの心を妖しく掻き乱す。
じっと見つめてくる黒とそれを跳ね返そうとする金色。
しばし、相容れない二色が鬩ぎ合う。
「………しかし、興味深い性質だ」