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途切れた道1

「早く、早くあの子を追いなさい!何をぐずぐずしているっ!」


 ゾフィーは感情の煮えたぎるまま、外に設えた御者台に向かって怒鳴りつけた。

 彼女らしくない、ひどく安っぽい姿だった。

 余裕の欠片もない褪せた美貌は常の面影もない。

 焦りと怒りが滲んだ顔が醜く歪む。

 だが御者台からは何の返答もない。

 そこには骨の髄まで彼女に惚れこみ、命を差し出すことも厭わない愚かな男が腰掛けているはずなのに。

 ガラガラと音を立て、漆黒の馬車が森を駆ける。

 開け放たれたドアから後ろを振り向くが、そこには鬱蒼とした森が広がるばかりだ。

 あの勇敢な乙女の姿はもうない。

 鬱蒼とした森は隆起に富み、あっという間に彼女の視界からせっかく手に入れた毛色の違う小猫を隠してしまった。

 ゾフィーは悔しげに爪を噛んだ。


(まさかあのか弱い小猫が、あんな無謀な真似をするなんて……)


 速度が落ちていたといえ走る馬車から飛び降りるなど自殺行為だ。

 そんな命知らずの真似を、ずっと城の中で守られ生きてきた世間知らずなお姫様がやってのけるなど、誰が想像できただろう。

 だが………その命すら顧みない強固な意志がなければ、この森で生き残ることなどできまい。

 ゾフィーと巡り合うまで、あの小猫が自分の頭で考え、足で動き、口で叫んでいられたのは一重に彼女を突き動かすものが並々ならぬ証である。

 そう―――ゾフィーは血に濡れた女王を見縊っていたのだ。

 なんと自分は愚かなのだ。

 あの美しく、一際目を惹く金色の瞳を見た瞬間から一筋縄にいかないことは分かっていたのに……。

 自分の詰めの甘さが言いようもなく腹立たしかった。

 その事実に深く自尊心を傷つけられる。

 ゾフィーは悔しげに喚き散らし、馬車の中から御者台辺りを狙って葡萄酒の瓶を投げ捨てた。

 血のような雫が飛び散り、芳醇な香りが立ち込める。


「追えと言っているのよ!何をしているのっ!」


 険のある叫び声が漆黒の馬車内に響く。

 だが外からは何の返事もない。

 馬車は暗い森を迷走していく。

 他人を焦らして試すことは多々あっても自分が焦らされるなど彼女の経験上ないことだった。

 自分の思い通りに動かない赤毛の小猫も、愚鈍で馬車を止めることもできない御者も、全てが気に入らない。

 自分の思い通りに物事が進まないことが死ぬほど許せなかった。

 ゾフィーは、先ほどまでの気品の欠片もない顔のまま、馬車のドアから身を乗り出した。

 俊敏な動きで、御者台に飛び移る。命令に従わないのならば、御者など必要ない。


「飾りはいらないわっ!」


 言うが早いか、素早く手に持った飾り扇子を振り上げた。

 キンッと空気を裂く音と共に現れたのは、研ぎ澄まされた刃。

 それを音もなく御者台に腰掛ける者目がけて突き付けた。

 青白い切っ先が燃えるように輝く。

 あと僅か……生と死が紙一重で鬩ぎ合う距離まで瞬時に詰め寄った。

 しかし相手は変貌した美女に驚くことも、突き出された刃に恐怖することもない。

 ただ真っ直ぐ、冷たい眼差しをゾフィーに向けていた。


「…なっ!」


 冷酷で非情なほどに美しい顔が凍りつく。

 まさかと動いた口は音を失い、呆然と目の前の人物を見つめていた。

 しかし流石妖艶な美女ゾフィーだ。

 どんな状況であっても手にした兇器は的確に相手の喉元から離れない。

 

「まさか貴方にひきとめられるなんて……そう顔に書いてありますよ?イオフィエーラ枢機卿?」


 対峙した者はそう歌うようにゾフィーを見返した。二本の指で卒なく刃を払い、強張った美女に微笑みかける。


「貴女ともあろう者が抜け駆けですか?それともそれが教皇様のご意思なのでしょうか?」



         **



「お前の目的はなんやっ!」


 甲高いカンザスの声が鬩ぎ合う鉄の音の合間に響いた。

 しかし対峙した死の天使は顔色一つ変えずに次の一手を繰り出してくる。

 ひゅっ、ひゅっという小さな息が、弾けて悲鳴をあげる武器の合間に響く。

 アシュリは大鎌の柄を素早く持ちかえ柄の先でカンザスの手元を狙った。

 ゴウッと風を突き破る。

 カンザスはその柄を冷静に見つめていた。

 垂直に叩きこまれる衝撃を最小限に身を捻じって避けてみせた。

 そして淡々と耳元で地面と平行に構えた剣で、アシュリの大鎌目がけ突き返す。

 その一撃をアシュリは大きく横に飛び抜き、紙一重でかわした。

 だが、すぐさま天高く掲げた大鎌をカンザスの脳天目がけ打ち下ろしてくる。

 キンッと研ぎ澄まされた大鎌の切っ先を自らの剣先で受け止めるとカンザスは唇を噛みしめた。

 

(くっそっ!なんでうまくいかへんねんっ!)


 アシュリを力で押さえつけることに成功しても、カンザスは次の一手に出ることができなかった。

 大鎌を思い通りに操れるアシュリの技術は相当のものだ。

 どれだけ力一杯に鎌を振り切っても、彼女の体の芯はぶれない。

 あの華奢な体つきからは想像もつかない大技に流石のカンザスも何度も肝を冷やした。

 しかしそれも最初のうちだけだ。

 技術は拮抗しているとはいえカンザスの方が体格的に勝っており、力も俊敏さも比較にならない。

 そうでなくとも大鎌は一見剣よりもリーチの差があって有利に見えても、一度見きられ間合いに踏み込まれると次の一手を繰り出すまでに時間がかかってしまう欠点がある。

 つまりカンザスにはいつでもアシュリの懐に入り込んで、胸を一突きすることができる。

 それができずに、今現在不毛な打ち合いを繰り広げているのは偏にカンザスの迷いにあった。


(なんでこいつ、女やねん!)


 そう、アシュリの華奢な姿がカンザスの思考を鈍らすのだ。

 その姿がカンザスに最後の一振りをためらわせる。

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