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禁忌の書8

「貴女が禁忌の書を渡して下さるのなら、貴女の悪いようにはしませんわ。貴女が先ほど考えていらっしゃったようなことも、吝かではありませんのよ」

 

 赤く濡れた口元が愉快そうに持ちあがり、ハニーを試すようにその心を揺さぶる。

 明け透けない駆け引きに、ただ目を見張るしかない。

 やはり彼女にはハニーの心が手に取るように分かっているのだ。

 大胆とも言える甘言にハニーは、呆然とゾフィーを見つめた。

 だがそんな口先に騙されるほど、地獄の果てを見た女王は初ではない。

 ゆらゆらと馬車を漂う姿なき香のように知らぬ間にハニーの心を蝕む、そんなゾフィーの全てを跳ねのけるように声を荒げた。

 毅然と胸を逸らし、強く瞳を輝かせる。


「何よ、それ!わたしはそんなもの知らないわ!」


 事実ハニーは禁忌の書など知らない。

 言葉さえ聞いたことがない。

 それに近い物はあの塔に囚われた謎の歴史学者から聞いたような気がする。

 悪魔を呼ぶ書物の話だ。

 彼女の言う禁忌の書とはそのことなのだろうか。

 確かに『血に濡れた女王』は悪魔と契約し、絶大な力を得たと噂されているが、その噂がどこかで一人歩きし、女王がその本を手に入れたことになっているのだろうか。

 面と向かってその血に濡れた女王に悪魔の本を欲しいと強請るなど、この美女はどれだけ強欲なのだろう。

 その大胆なまでの行動力に思わず賞賛してしまうが、しかし、この森にはそんな危険思考の持ち主を狩る恐ろしい狩人がうろついている事実を彼女は気付いているのだろうか。

 悪魔を求めて、こんな森までやってくる彼女こそ死の天使に狩られるべきではないのか………。


(何やってんのよ!役立たずの死の天使!寄ってたかって、無実のわたしを追って来て!偉そうなこと言ってないで、本来の仕事をしなさいよ!バカサリエ!)


 不意に思い浮かんだのは、あの酷薄な美しさをした不届き者の死の天使だった。

 彼はその美しい瞳でハニーを見下し、鼻を鳴らして嘲笑する。

 想像しているのはハニー自身なのだが、その腹立たしさに思わず我を忘れそうになる。

 頭の中に現れた嫌みたらしい男に思わず悪態を吐く。


「……ふざけんじゃないわよ……」


「どうしたのかしら?」


 ゾフィーが不思議そうに自分を見返してく。

 はたと自分を取り戻したハニーは慌てて、目を険しくした。

 そうだ。今はあのいけすかない異端審問官を責めている場合じゃない。

 今はこの眼の前の美女とのやり取りにどう勝負するかだ。

 ゲーム盤はこの狭い馬車の中。他に逃れる場所もない。

 冠された汚名も、力技も、何も役に立たない。

 使えるものはハニー自身。 

 敵はハニーの全てを見透かしその手の内でハニーを転がして喜んでいる、百戦錬磨の妖婦。

 圧倒的にハニーの方が不利だ。それは疑いもようもない事実。

 でも、この駆け引きと騙し合いの知的ゲームに勝ち残らなければハニーに先がないのもまた、真実だ。

 

(そう、負ける訳にはいかない。これを乗り切らない……。そして早く城に戻らなければ……)


 毅然とした金色の瞳が覚悟を決めた。

 それは旅人を導く夜空の星のように燦然と輝く。

 勝気に顔を引き締めたハニーをゾフィーは楽しそうに見返してくる。


(飲み込まれてはダメだ。彼女の頬笑みは罠だ。心を揺さぶり、つけ入る隙を作る……)


 さあ、このこびりついた笑顔の下にある本性を引きづり出そう。

 心は決まった。

 後はただ立ち止まらずに突き進むのみ。


(今までいいようにいたぶられてきたんだもの。渾身の一発をお見舞いしてやるわ!)


 ハニーは不敵な笑みを浮かべ、傷だらけの足を組んで見せた。



「禁忌の書?何の事だかまったく分からないわね。あなた、噂に騙されてだけじゃないの?ご愁傷様。こんな深いゴモリの森まで来て無駄足踏むなんてね!同情してあげるわ」


 くすっと意地悪く微笑みと、これ見よがしに胸を反らせる。

 今さら強がったところで虚勢であると簡単に見抜かれるだろう。

 だが、だからと言っていつまでもおどおどと震えてゾフィーに見くびられるのは癪に障る。


「知らない?そんな嘘が通用するとお思い?」


 声だかに否定され、ゾフィーが鼻白んだ。

 優越感たっぷりだった顔を憮然とさせ、扇子で口元を隠したまま、じっとエメラルドの瞳をハニーに向けてくる。

 その吸い込まれそうな輝きに対抗するようにハニーも目に力を入れた。

 一つの作戦として、ここで禁忌の書なるものを知っている振りをしてみることも考えた。

 遠まわしに質問をし、ゾフィーの口から出たキーワードを繋ぎ合せて、核心に迫る方法だ。

 だがハニーはそんな回りくどい手を取らず、あえて正攻法で攻めることにした。

 知らないものは知らない。

 嘘を吐くのが上手でないと自分で知っているのだから、そんな回りくどい方法をとればすぐにハニーの手の内が強かなゾフィーにばれてしまう。

 それは想像に難くないことだ。

 ならばあえて嘘くさいほど堂々と知らないと言い切ってみる。

 ある意味無謀であったが、もともと手持ちのカードなど無きに等しい彼女にとっては、この一勝負に賭けるしかなかった。

 この言葉をゾフィーがどう受け取るか。

 ごくりと唾を飲んで、妖艶な美女の次の言葉を待った。

 彼女は不愉快そうに眉を寄せた。

 その仕草にハニーは勝機を見た。

 隠しもしない不快な表情は優美な美女のそれではなく、その後ろに隠れていた蠱惑的な悪魔だ。

 あまりにもハニーがきっぱりとその存在を知らないと言い切ったのが意外だったのだろう。

 彼女はハニーが怯える様や迷う様を見て、愉悦に浸り、悠然とハニーの中の真実を見出す。

 だが今彼女が対峙するのは、毅然と真っ直ぐに自分を見返し、そして自分と同じように不敵に微笑むハニーだ。

 その予想外の姿に混乱しているのが僅かに見せる隙に見て取れた。

 頑なに一貫して認めないハニーに、彼女はハニーの裏の裏の意図にまでをも読もうと思考を巡らせている。

 幾重にも罠を張り巡らせて、思わせぶりな態度と嘘で塗り固められた彼女らしい。

 知っているからこそ頑なに隠そうとし堂々と嘯いているのだと、ハニーの言葉を信じないエメラルドの瞳が妖しく輝く。

 それは今までで一番禍々しく、強烈な異彩を放つ。


「あくまで知らないとしらを切るおつもり?」


 射殺さんばかりの眼光を真っ直ぐに受け止め、ハニーはにやりと微笑み返した。

 意趣返しだ。

 さっきまで何が起きたのかも分からず怯えてばかりだったが、もう下を向かない。

 目の前の美女は同じ人間だ。

 負けない相手ではない。


「切るも何も……知らないものはどうしようもないわ。知らないものは渡せない。ねぇ欲しいなら、分かるように説明してちょうだい。そうすれば……考えないこともない」


 不敵な微笑みを浮かべて、ゾフィーの心を探る。

 だが心の中は不安と緊張感でいっぱいだ。

 ドクンドクンと鼓動が高まり、気道が乾燥して痛む。

 気付かれぬように喉を鳴らした。

 こんな安っぽい科白でこの美女を落としれることができるのか。

 いや、今さら不安がっても仕方ない。


(後は……来るに任せよう―――………)


 しばし見つめ合うエメラルドとゴールド。

 鬩ぎ合い、絡み合い、そして漆黒の中閃光を散らして弾けた。

 ガラガラと不協和音を立て走り続ける馬車に、奇妙な沈黙だけが広がる。

 しんっと嫌な静寂が耳に付く。

 その間も馬車は暗い森を走り続けていく。

 

「そう、どうしてもワタクシの口からそれを言わせたいのね。貴女も大概酷い人だわ」

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