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禁忌の書7

 打ち震えるセオをハールートは愉悦の籠った眼差しで見つめていた。

 そうだ……もっと嘆け。嘆き、自らを責め、もっと絶望しろ。

 その弱った心にこそ悪魔は現れる。


「流石オーディン閣下。飲み込みが早くて結構。ただ、聡明すぎるのも考えものかな?まぁ、愚鈍で使いようもない者は生きる価値もないが、その点君は違う。喜べ、セオ。お前は選ばれたのだ。お前が真に心から望むことを俺は知っている。そしてその願いを叶える術も……だ」


 鋭利な視線を向け、睨みつけてくるセオにハールートは底知れない笑みを浮かべて見返した。

 真に心に望む……その言葉に一瞬、セオの眼差しが揺れたのを彼は見逃さなかった。

 そっとセオの耳元に顔を寄せると、聞きとれないほど小さな声で囁きかける。


「俺がお前の望みを叶えてやろう……お前はずっと女王を手に入れたいと願ってきたはずだ。そして欲望のままに女王をめちゃくちゃにしたいと、あの澄ました顔を快楽に歪めさせ、淑やかな口から嬌声を吐き出させたいとずっと望んでいたはずだ。今この時を措いて、その欲望を昇華させる瞬間はない」


「……ハールート………貴様………」


 噛みつかんとセオは顔を険しくするが、その声は弱弱しい。

 自らの勝利を確信したハールートは愉悦に喉を鳴らした。

 もうこの男は自らの手に堕ちたのだ。

 ゆっくりと顔を上げて天を仰ぎ見る。

 そして、まるで多くの迷える子羊達を前に神の教えを与えてやる預言者のように仰々しく手を開いた。


「理性で武装するな。お前はもう俺の手の内だ。もうお前の中に悪魔がいる。俺に忠誠を誓う悪魔がお前の中に棲みついている。お前はただ俺の言葉だけに耳を貸し、俺の言葉に従っていれば、この世の悦楽を得ることができるのだ………さあ、我を導く悪魔よ。彼の者の欲に塗れし心を糧に、更に我に力を与えたまえ!」


「……っくは………」


 ハールートが一際大きく叫んだその瞬間、セオが呻いた。

 目が飛び出しそうなほど青銀の瞳を剥き、ぶるぶると強張った顔を小刻みに震わせる。

 屈強な彼からは想像もできないほど、無様で、異様な姿だ。


「だ、大司教様?」


 流石にエリカも常と違うセオに不安が隠せないのか、ハールートの裾を懸命に掴んだ。


「……っぅぅぅぅぅうううううううぅうぅぅぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお………!」


 腹の底から湧きあがる獣の咆哮が途切れた瞬間、セオの頭ががくりと折れた。

 それはまるで生命の終わりのようだった。


「っひぃ!だ、大司教様……セ、セオが………」


 あまりの衝撃にその場にへたれ込んだエリカは必死にハールートの裾に縋りついた。


「驚くことはない。エリカ、よく見なさい。これは悪魔との融合に成功した証だ。これでこいつはお前の思いのままだ。その証拠に、ほら………」


 ハールートは顎をしゃくって、エリカにセオを見るように促した。

 怯えたように肩を震わせていたエリカだったが、意を決したようにセオに顔を近づける。

 そこにあるのは何も映さない胡乱な青銀の瞳。

 さきほどまでの射抜くような存在感も突き刺さる殺意もない。まるで仮面のような無表情だった。

 もとから表情豊かな男ではないが、まるで抜け殻のように凡庸な表情は見たこともなかった。


「……セオ………?」


「触れてみなさい」


 言われるままエリカはセオの頬を撫でてみた。

 引き締まったその顔は触れれば温かく、そして彼女を拒絶しない。

 その手に触れる穏やかさをどれだけ望んだことだろう。


「……あぁあぁぁ……」


 言葉も浮かばず、まるで赤子のように泣きじゃくり、エリカはセオに抱きついた。

 けして抱きしめ返してくれないが、その代わり拒絶もしない。

 ずっと望んでいたものを腕に抱えられた喜びに、彼女は捕らわれていた。

 それがどれだけ歪んだものなのか、果たして彼女が真実望んでいた形だったのか……。

 だが、そんなことはもうどうでもいい。ただ手に入った。自分だけがセオを抱き締められる。

 そう自分だけ………。それが何よりも胸を熱くする。

 エリカは嗚咽を止めることなく、ただきつくセオを抱き締めた。

 うっとりと恍惚に緩んだ顔をその厚い胸板に添える。


「やっと念願叶ったね、エリカ。これが禁忌の書で呼び出した悪魔の力だ。この書物さえあれば全て望みのまま。…………どうだろう?彼の忠誠心を試してみては?そうだね、手始めにあれはどうだろう?」


 夢中でセオに抱きつくエリカを蔑むように見つめながら、ハールートは薄情なほど優しく声をかけた。

 とろんとした瞳でハールートを見つめるエリカは、もうハールートの思いのままだった。


「あれ?あれとはなんですか?大司教様」


「さっき廊下で見つけたんだ。見るも汚らわしい生き物だ。勝手にこの城に入り込んできている……」


 にやりと憎悪の籠った瞳でハールートは入ってきた扉を見つめた。

 そしてその先にいる愚鈍な男の姿を………。

 セオを抱き締めたまま、エリカもまた同じように扉に目を向け、華やかな笑みを浮かべて答える。


「全ては貴方のお望みのままに………」


 押し黙ったセオにはもう自我などない。

 その首元から一匹の蛇がその身を伝って下りていったことなど、ハールートもエリカも気が付かなかった。

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