死の天使6
間一髪のところで、アシュリの振り下ろした鎌をカンザスが剣で迎え撃ったのだ。
ぶつかりあった激動は消えることなく、三人を包む空気に波紋のように広がった。
強烈な閃光に辺りが静まりかえる。その中に立ち尽くし、ハニーはただ押し寄せる衝撃に耐えた。
互いに譲らず、己の武器で相手を牽制し合い、隙あらば切り裂かんとする。
ビリビリと腕を震わすアシュリの力にカンザスは驚愕した。
この小さな体躯のどこからこれほどの力が湧いてくるというのか。
余裕ないペリドットの瞳が目の前にあるアイスブルーの瞳の奥底にある物を探さんと忙しなく動くが、凍る瞳にはあるのはただ圧倒的な無のみ―――。
カンザスは力負けしそうな自分を叱咤するように、腹の底から叫んだ。
「な、なんで切りかかってくんねんっ!言うてることがちゃうやろ!」
「以・後、気をつけようと言った」
そう淡々と答えるアシュリの顔には何一つ変化はない。
ただ大鎌の柄を握る手が小刻みに震えていた。
互いに兇器を合わせながら、まるで言葉遊びをする二人をハニーはただ祈る様に見つめていた。
ぶつかりあった迫力が凄まじく、近寄ることすら叶わない。
目の前の現実から顔を背けたい。
そう切実に願うが、金色の瞳は真っ直ぐに彼らを見据える。
彼らの争いの元凶は紛れもない自分―――血に濡れた女王だ。
どれだけ傷ついてもこの争いから目を逸らしてはいけない。
そう自分に言い聞かせ、顔を歪めて唇を噛みしめて胸を突く激痛に必死に耐える。
握りしめた拳には爪が突きささり、満身創痍の体に新たな傷を作った。
それでも逃げだす訳にはいかない。
眩い金色の瞳の見つめる先、擦れる鉄の兇器が金切り声を上げる。
その狂気を挟んで相対した二人は対極な表情をしていた。
相変わらず淡々としたアシュリ。
顔を怒気で真っ赤にして、怒りに瞳をつり上げるカンザス。
「そ、それをへ理屈っていうん~っやぁっ!」
カンザスは一際大きな怒号を上げた。
それと同時にぶつかりあった剣を上に薙いでアシュリの力をいなすと、力一杯アシュリの華奢な体を蹴りあげた。
まさか足で攻撃されるとは思わなかったアシュリは大きく目を見開き、自分の腹にめり込んだカンザスの足を見つめている。
「……ぐっっ……」
小さな呻きを上げ、小さな体が吹き飛ぶ。
冷たい地面を小柄な体がざっと横滑りしていく。
あまりの勢いに大地が抉れ、土煙りが立ち込める。
しかし不意を突かれても流石は死の天使だ。
素早く鎌の柄を地面に突き立て勢いを殺すと身軽に身を反転させ、即座に身構える。
濁りなきアイスブルーの瞳がカンザスを見据える。
淡く輝くその瞳には何の情も浮かばない。
痛みにも歪むことのない人形のような面持ちは、鍛え抜かれた死の天使だからか。
それとも彼女には感情すら存在しないのだろうか。
静謐とした瞳がただカンザスを射抜かんと突き刺さる。
仮面のような顔で小さな口が抑揚なく問うた。
「―――――何故、お前は女王に味方する?」
「オレの使命は生きたまま女王を聖域に連れ帰ることや。こんな森の中で人知れず消すことやないっ!真実は公の場で晒さなあかんっ!」
静かな問いかけにカンザスは激昂でもって答えた。
それが彼の導き出した答えだった。
カンザス自身どれだけ時が経とうと、今この地で起きる悲劇の一端すら掴めないことは理解していた。
そればかりか関わるほどに複雑さを増し、今はもうカンザスが当初知り得た状況とは全てが一変している。
このまま課せられた命を遂行すべきか。それとも様子を見るために距離を取るべきか。
この身をどう向けるか、どれだけ悩んでも答えは出ない。
だが一度関わると決めた。
この命に代え必ず女王を聖域に連れ帰ると………。
そう簡単にこの決意を変えることはできない。
だからこそ、今ここでこの力なき乙女を見殺しにする訳にはいかないのだ。
そう――血に濡れた女王は生きたまま連れ帰らねばならない。
それまで彼女が何者かという問いは置いておいてもいいかもしれない。
聖域に着いたカンザスが、もし女王が真実悪魔と契約し世界を無に帰そうとしているのだと知れば、その時はその首を刎ねればいい。
しかし囁かれる事実と目の前の乙女が相反するものだと知れば、その時は聖域に反旗を翻してもこの無力な存在を守らなくてはならない。
一際燦然と輝くペリドットの瞳をアシュリは眩しげに目を細めて見つめ返す。
「誰に命令されたか知らぬが愚直にその命を遂行しようとする姿勢は賞賛しよう。………だがその者を守ることは即ち世界に反目することと同義である。そんな単純な数式も解せぬ愚か者は聖域に必要ない」
再度大鎌の先が空を切った。
びゅっと唸る風を纏い、アシュリはカンザス目指し駆け出す。
迎え撃つカンザスは一本の剣に自分の全てを注ぎ込み、眼前に静かに構える。
その流れる水のごとき研ぎ澄まされた眼差しは普段の落ち着きない彼からは想像もつかない。
このような敵を前に心を落ち着ける術を知っている彼は真の武者なのだろう。
音もなく黒いマントが大地を舐める。
赤い花十字が暗い地面に光彩を放つ。
ペリドットの瞳が襲い来る感情なき殺戮人形を静かに見据えた。
後一歩の間合いまで詰めた瞬間、突如鎌がその頭を天高く上がった。
迎え撃つは揺るぎない信念の剣。
風を薙ぐように振り上げられた剣が打ち下ろされた鎌へと収斂される。
その中心、キンッ―――と空を切り裂く金切り声に辺りが静まり返った。
揺れ惑う木々はぴたりと口を閉ざし、暴れるハニーの鼓動すらその動きを止めていた。
だが次の瞬間凍りついた時が激昂し、一気に弾けた。
二つの衝撃が新たな風を生み、森は嵐のように荒れ狂う。
不可のかかった武器が小刻みに震え、辺りにもその衝撃が波紋として広がっていく。
共鳴するようにハニーの心臓が痛いほどに早鐘を打つ。
縋るようにカンザスを見つめ、でも何の言葉も見つからない。
握りしめた両手だけがカンザスの無事を祈る様に震えていた。
「何してんねんっ!早よ逃げろっ!」
余裕なくハニーの方を振り返るとカンザスは怒鳴り声を上げた。
本来ならばよそ見などする余裕はない。
ただでさえ剣を握りしめる腕があまりの衝撃に痺れる。
それに合わせて落馬した時の激痛が今さらながらぶり返し、カンザスの体に重圧を加す。
横目でようやっと捉えた傷だらけの体躯はカンザスの言葉を拒むように首を振っている。
今にも泣き出しそうな、清らかな金色の瞳がカンザスに縋りつく。
その、あまりに鮮烈な輝きに周りがぼやけてくるほどだ。
しかし今はその眼差しを見つめ返す猶予はない。
背に感じる切ない視線を振り切るよう、カンザスは吠えた。
「早よせえっ!このままやったら何も変わらへんやろっ!」
「……で、でも………」
そう突き放すように言い放たれてもハニーは動揺して言葉通りに動けない。
困惑に揺れる金色の瞳でただ祈るようにカンザスを見つめる。
その視線を振り切るようにカンザスは余裕ない顔に無理やり笑みを浮かべる。
「でもも、だってもあらへんっ!オレは死なんっ!オレは何があっても生きて、君を聖域に連れていかなあかんのやっ!やから、安心すんなよっ!ここで逃れられても必ずオレは君を追うっ!」