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死の天使3

 無情な風がハニーを地面に叩きつける瞬間、馬から飛び降りたカンザスがその身を庇うかのように抱き締めた。

 そのままハニーと大地の間に自分の体を滑り込ませる。

 ずんっと体の深くにまで響く衝撃にこのまま弾け飛んでしまいそうだ。

 灼熱の激痛が脳髄までも赤く染めていく。

 あまりの痛みに体は歪に屈折し、曲がったまま自由が利かない。

 消せない勢いのまま、カンザスはハニーを抱き締めて地面を激しく転がり続ける。

 まるで悪魔の手の内で好き勝手踊らされているかのようだ。

 その二人の体が止まったのは、高々と隆起した古木の根にぶつかったからだ。


「……ぅぅうう………」


 カンザスは喉の奥から絞り出すような呻き声を洩らした。

 呻く度に、喉の奥にも疼くような痛みが走るが、それでも腕に抱えたものはけして手放さないとばかりにぎゅっと腕に力を込める。

 ようやっと落下の衝撃が去るとようやっとカンザスはハニーを手放し、地面に両手を広げて倒れ込んだ。

 どれだけ鍛えていようと人の体には限界がある。

 激しい痛みにカンザスは精悍な顔を歪めた。

 ぶつけた衝撃で肺が萎縮し、息を吸うこともままならない。

 それでもこの体を駆け巡る衝撃のままに叫ばずにはいられない。

 

「っくぅぅぅぅいってぇぇ~!!」


 ペリドットの瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。

 強かにぶつけた背からガンガンと絶え間ない衝撃が駆け巡る。

 普通ならば折れていてもおかしくない。 

 それどころか死の危険まであるのだ。

 カンザスは小さな子どものように激しく地面をもんどり打ち、喚いた。


「いてぇ、いてぇ、マジいってぇ!なんでやねん!なんでこんなに痛いねんっ!」


 感情のままに喚き散らし、少しでも痛みから思考を切り離そうとするカンザスは形振り構っていられなかった。

 その側に蹲ったまま、呆然とカンザスを見つめるのは戸惑いに揺れた金色の瞳。

 ハニーは何が起きたのかも理解できないとばかりに呆然と定まらない視線を漂わせていた。

 その視線の先ではカンザスが痛みに耐えきれず、身をよじっている。



 描いた最悪のシナリオとはかけ離れた結果が信じられない。

 落馬したのはハニー一人だ。

 だが今目の前で痛みにもんどり打っているのはハニーを追ってきたはずの帝国の騎士。

 彼は馬の背にいたのではなかったか。

 その彼が自分の側にいて、自分の代わりに痛みに耐えている。

 目の前の事実が導く答えはただ一つだ。

 この青年が自分を庇ったのだ。

 ようやっとその真実に行き着き、ハニーは息を飲んだ。

 この身を蔑み、傷つける者がいても、その命に引き換えて助ける者がいるなんて………。

 どくんと鼓動が弾けた。

 乾いた体に情熱が湧きかえる。

 何もかもを失った体の奥底で、何かが生まれる予感がした。


「………だ、大丈夫?」


 思わずハニーは転がるカンザスに縋りつくように、駆け寄った。

 冷え切ったか細い手が労わるようにカンザスの頬を撫でる。

 金色の瞳がカンザスの痛みに共鳴するかのように切なげに細まる。

 悔恨ともとれる悲壮な顔は今にも泣き出しそうに歪んでいた。

 自分の所為で誰かが傷つく。

 その現実が身を切り裂くほどに辛く、恐ろしいことだとハニーは初めて知った。

 出会ったばかりの名も知らぬ青年だ。

 彼はついさっきまでハニーを捕まえんと雄叫びを上げていた。

 なのに……。


(なんで………?)


 何故一度は生を投げ出した自分を助けたのだろう。

 助けられた喜びと自分の所為で傷つけた後悔―――複雑に絡まる感情を上手に抑えることが出来ない。

 火が付いたように弾む心臓が、手加減なしに掴まれた。

 言葉にならない痛みに胸が掻き毟られる。


「……な、なんでわたしを………」


 金色の瞳から生まれた清らかな雫がぽとりとカンザスの頬を打った。

 触れた雫の冷たさにカンザスは、はっと我を取り戻した。

 そして雫に導かれるように視線を上げる。

 彼の視線の先では透き通るような赤が揺れる。

 その中心にあるのは眩いほどに美しい天上の花。

 金色に輝く花芯からはらはらと清浄な雫が音もなく流れ落ちる。

 それはまるで光の粒のようで、息を飲むほど清浄だった。

 その光景にカンザスは一瞬痛みも使命も全てを忘れていた。

 目の前にある輝きが体の奥底に火を付ける。

 痛みに染まっていたペリドットの瞳が常の強気を取り戻し、金色の瞳を見つめ返す。

 金色と薄緑色が絡まり合い、爆ぜる。

 互いにその燃えさかる輝きから目を逸らせない。


 息をするのも忘れ、ただハニーはペリドットの光に包まれた。

 しかしそれも一瞬のこと。

 ハニーは耐えきれずに視線を背けた。

 そのままカンザスに背を向ける。

 彼の眼差しがあまりにも真剣で、真直ぐに受け止められない。

 そんなハニーの心など知らず、背中に突き刺さる真っ直ぐな視線が痛い。

 彼は命の恩人だ。

 だが手放しに感謝出来ないのは、ハニーと彼の間にある相容れない使命のため。

 動揺に揺れる鼓動がハニーの体を不安に晒す。

 僅かにカンザスから距離を取るとハニーは気まずげに口を開いた。

 

「………な、なんでわたしを助けたの?」


「ああん?人助けんのに理由なんかいらんやろ、フツー」


 ゆっくりと身を起こし、側の巨木の根に身を預けながらカンザスは憮然と答えた。

 痛い痛いと子どものように暴れていた自分が恥ずかしく、上手に感情を捌けない。

 むっつりと顔を顰め、ハニーから視線を外す。


「……でも………わ、わたしは血に濡れた女王。あなたはわたしをその女王だと知ってここまで来たのでしょう?わたしが死ぬことはあなたの望みなはず……」


「ちゃう。オレは聖域まで君を連れ帰るのが使命やっ!それまでは何があっても君を死なす訳にはいかへんだけやっ!!」


「だからって……自分の身を犠牲にしてまでっ!」


 思わず感情のままにハニーは後ろを振り返った。

 そこにいるのは満身創痍の小柄な騎士の姿。

 落ちた時にどこかを切ったのだろう。

 その濃緑の服は所々避け、赤く染まっている。

 その痛々しい姿に今の自分が重なった。


「……あなたはバカよ……」


 ため息のようにか細い声は尻つぼみになって消えてゆく。

 ハニーは気まずげに視線を逸らした。

 だが途切れた言葉の続きを待つようにペリドットの瞳がじっとハニーを見つめてくる。

 あまりにも真っ直ぐで目映いその瞳に、目が眩みそうだ。

 どんなに傷ついても彼は偉大な騎士だ。

 どんな困難にもけして折れることなき信念を胸に抱いて、押し寄せる苦難を乗り越える。

 なのに……自分はどうだろう。

 一気に存在感を増した騎士に対して、自分はなんと取るに足りないのか。

 ハニーの目の前にいる青年は、その小柄の姿に合わない迫力を秘めている。

 逸らされることなく自分を捕えるその瞳に、心臓が一際大きく爆ぜた。


「それがオレの使命や。信念であり、オレの生きる全てやった。その命令に命すら捨てる覚悟でここまで来た。………ただここに来て、その信念が揺さぶられとる」


 そこまで言うとカンザスは言葉を切った。

 彼もまた、自分の胸に巣食うどろどろした感情の波にどう抗えばいいのか、考えあぐねていた。

 

「ぁああっ!くそっっ!」


 うまくいかない感情に苛立ち、カンザスは短く刈り込んだ髪をガシガシと掻き毟った。

 強固な信念を抱いた瞳が彼の胸の奥にある相容れない二つの感情に揺れた。

 ペリドットの瞳を気弱に揺らし、心底困惑した面持ちで見るともなしに地面を見つめる。

 暗く湿った土の上で小さな蟻が隊列を組んで進んでいく。

 その先にあるのは野鼠の死骸。

 蟻たちは何の疑問もなく、ただ前に従って野鼠を目指す。

 その光景に無性に隊列をめちゃくちゃにしてやりたい衝動に駆られ、カンザスは被りを振った。

 こんな時、なんでも器用にこなすアクラスならばどうするだろう。

 カンザスはこの場にいない、変に世話焼きな従者のことを思った。


「オレはこんなん苦手やねん。…………なあ、君はどうしたいんやっ?」


 それは女王を追う者が口にしていけない禁句だった。

 それをあえて女王本人にカンザスがぶつけたその瞬間。

 森の木々が小さな悲鳴を上げた。


「性別、髪の色、瞳の色、姿形―――全て一致。目標を確認」


 抑揚ない高く、か細く甲高い声が蠢く森の木々の間にはっきりと響いた。



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