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血に濡れた女王2

 エクロ=カナンは大陸の国の殆どがそうであるように、創造神である唯一の神を崇める一神教を国教としている。

 しかしまだ唯一神の存在を人々が知らなかった混沌の時代。人々は救いを求めて、それぞれで思い思いの神をあがめていた。神を名乗るそれらの者どもにだまされているとも知らずに……。

 それは人々の欲を食い物にする悪魔だった。悪魔は人々の心の闇を好み、混沌を是とした。彼らの望んだ世界は苦しみと絶望が支配する闇の世界であった。

 しかし闇があれば光があるように、ずっと静かにこの世を見守っていた神は一つの救いの手を差し伸べる。

 それが神の子ユーティリア。

 彼は迫害を受けながらも神の意思を人々に伝え、人々はやがて目を覚ます。

 そして混沌の時代が終わりを迎え、邪神たちは伝説の王によって一つの壺に封印されたという。

 それ以降、この世界には悪魔などは存在しない。悪魔のいる世界はその一つの壺の中のみだ。



 それが一神教の本拠地である聖域の公式見解だ。

 生まれてからずっとこの教えを世界の真実だと言われて育ってきたハニーにとって、これは千年以上も昔の、おとぎ話のようなものだった。

 だが彼女は確信を持っていた。千年も昔、かつて神と呼ばれた者の神殿がこの深い森の奥にあるのではないかと。

 未だ見た者はないが、それでも文献などによればこのゴモリの森に神殿があったと伝えられている。 それは当の昔に忘れ去られ、風塵にさらされた過去の遺物である。

 だがそれが真実ならば、どんな曰くつきのものでも構わない。かつてこの地に生きた哀れな人々が悪魔に祈りを捧げた神殿が存在するなら、どんな邪神を崇めていようと形振り構っていられない。

 身を隠す為ならば、それが悪魔だろうが本物の神の化身であろうが何でもよかった。今はこの傷ついた体を一時でも休めることが出来るならなんだっていいのだ。

 今の彼女には体裁などに拘っている余裕はない。

 もとよりその朽ちた神殿の主に縋る気などハニーに更々なかった。一度神としてあがめられていたとしても所詮は邪神である。人々の心を玩び騙した悪魔などお呼びじゃない。

 いくら悪魔に取り付かれた魔女と罵られても、人の悪意や欲を食い物にする悪魔に助けを求めるつもりなどさらさらなかった。

 ただ、本当にあるならばその建物だけは利用したい。それが彼女の考えだった。

 このような崖っぷちに追い詰められようとも彼女の意志は固かった。

 どんな状況であってもこの身一つで戦う。まるで夜明けに輝く星のように眩い金色の瞳には何物にも染まらない強靭さが表れていた。


(何が悪魔崇拝よ!何も知らないくせに勝手なことばっかり言って!) 


 追手の見えないことが心に余裕を生んだのか、ハニーは自分の置かれたこの理不尽な状況に腹立たしさを感じるまでに自分らしさを取り戻していた。

 勝気な瞳を不快げに歪めるとぶすりと頬を膨らます。どれだけ薄汚れても元はその美貌を国の至宝と称えられたハニーである。

 崩れた表情でもどこか憎めない愛らしさがある。


「大体悪魔憑きとか、サバトを開くとかありきたりなのよ!他人のこと貶めるんだったら、もっとこう~オリジナリティに溢れたこと言いなさいよ!平凡過ぎて、鼻で笑ってしまうわ」


 盛大に鼻を鳴らすとぶちぶちと口の中で文句を言う。

 その姿は崇高な女王陛下というよりもただの年頃の女の子だ。


 悪魔憑きや悪魔崇拝、夜な夜なサバトを開き、赤子の血をすする。すべてはエクロ=カナンの女王に着せられた、根も葉もない悪意だ。

 誰が呼んだか、ブラッディー・クイーン。

 その真実がまったくの出鱈目であることをハニーが一番よく知っている。何故なら、今血なまこになって兵士たちが探しているのは紛れもないハニー自身。

 彼女こそが、彼らの追い求める『血に濡れた女王』なのだ。


「まったく!人を陥れたいなら、もっと色々と方法があるでしょ!やり方が汚いのよ!!」


 そうハニーが叫んだ時だった。 

 陰る森の向こう、視界が開けた。木々ばかりの世界に現れた異様な色合い。暗澹たる森の奥、深い木々に挟まれるようにそれは存在した。

 その中心にあるのは蔦が巻き付き、崩れかけた石の遺跡――。

 森と一体になったそれは、来る者を拒むかのようにむっつりと黙りこんでそこに鎮座していた。

 色が所々剥げた柱は無残に倒れ、建物の至るところが罅割れている。深い緑の苔がそこここにびっしりと生え、悠久の時をこの場で過ごしていたことは想像に難くなかった。

 かつての栄光の欠片もなく、闇に続くようにその遺跡は暗い口を開けて深い眠りについている。


「本当にあったんだ……」


 驚きに声を上げ、目を見張った。

 長き歴史の闇に忘れられても、その遺跡は威厳と神秘に満ちていた。古代の建造物とは思えないほどに堅牢で、崩れる前はさぞ荘厳な造りであったことが窺える。

 それはすなわちこの神殿を築いた者達の信心の深さでもある。騙されていようと彼らの真摯な祈りは本物であることをハニーはその肌に感じた。

 朽ち果てた石の瓦礫に畏怖を感じ、その足が止まる。

 暗い闇に浮かぶそれはまるで夜の国、冥王の館のようである。しかし陰鬱や醜悪とはまったく別の空気を纏っている。

 しばし言葉を忘れ、呆けるように遺跡を見つめていた。

 無意識に手が震える。それほどまでにこの朽ちた神殿は圧倒的だった。

 森の奥からガサリと草をならす音と獣の唸るような声が聞こえ、ハニーは弾かれたように後ろを振り返った。

 追手はまだここには行き着きそうにない。だがその前に暗い森の住人である獣に襲われでもしたら元も子もない。

 眩い金色の瞳には怯えが浮かぶ。

 そのか細い身で守れる範囲はなんと僅かなのだろう。ハニーは壮大なかつての神殿と深い森の奥とを交互に振り返った。

 限界を迎えつつある鼓動が大きく跳ねた。

 一瞬逡巡の後、ハニーは自分に言い聞かせるように大きく頷いた。


「……大丈夫。行くわよ、ハニー!この先が地獄なのか、それとも天国かなんて些細なこと。どっちであろうとわたしが果たすべき使命は変わらないんだから。むしろ地獄から奇跡の復活を果たす方が劇的だわっ!」

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