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帝国の騎士8

 カンザスの口から放たれた激昂が森を震撼させた。

 激しい衝撃となって森を駆けていく轟音の余韻が静寂の泉に響く。

 ハニーの耳にもその残渣がいつまでも残った。

 誰も何も言わない。

 誰も動かない。

 ただ朽ちた葉が最後の見せ場とばかりに、優雅に舞い落ちてくる。

 

 その中で一人、カンザスだけはハニーから飛び退くように距離を取り、興奮した面持ちで、顔を烈火のごとく赤くして怒り狂っている。

 ハニーとカンザスの間には相容れない空気が漂っていた。

 その空気などお構いなしにカンザスは怒鳴る。


「お、お前……服着ろっっ!なんて破廉恥な恰好してるんやっ!」


「着てるわよっ!」


 カンザスの言葉に思わずカッとなってハニーは叫んだ。

 さっきまでの恐怖などどこかへ吹っ飛んでいる。

 その愛らしい顔がカンザスにも負けず真っ赤に染まったのは羞恥のためだ。

 だがそんなことを悟られまいと必死に表情を改める。

 ふんっと高圧的に鼻を鳴らし、自分の方をびしっと指さした。


「ちょっと、どこに目をつけてる訳!このわたしが素っ裸で森を走ってるように見えた訳?ちゃんと……まあボロボロだけど一応ドレスを着てんでしょ?これは都で一番流行りのデザインなのよ!」


 自慢げに言い放ち、どうだとばかりに堂々と胸を反らして見せる。

 さっきまで恐怖に身を竦ませていた者とは思えないほどに堂に入った姿だった。

 しかし彼女の身を包んでいるのは僅かな衣だけでデザインもへったくれもない。

 しかも濡れて頼りない衣は、彼女の艶めかしい体を全て覆うにはあまりにも少ない。

 そればかりか下卑た視線から彼女を守るはずの衣はぴったりと体にひっついていて、そのしなやかな体のラインを余すことなく強調して見せていた。


「卑怯やぞ!それがお前の作戦か!そんな色仕掛けでこのカンザス様が怯むともで思ってんのか!う、うら若き乙女がなんてはしたないんや!」


 恐れるように腰が引けたままだが、カンザスも負けじと叫びかえす。

 生まれながらのはねっかえりは激情には激情に答えてしまうらしい。

 ハニー然り。カンザス然り。

 そんな不毛な戦いを泉の淵と中で繰り広げる二人を、それぞれの従者は蚊帳の外に見守っていた。

 アクラスはニヤニヤとその爽やかな表情を歪めて面白がっていた。

 対するエルはその愛らしい顔に緊張を走らせ、青玉よりも深く煌めく瞳を僅か離れた場所のアクラスへと向けていた。

 その瞳が幾つも色合いを変え、不穏な色彩を放つ。

 その瞳の意味することはなんなのか。

 幼い顔に読み取れない影が帯びる。

 しかしこの小さな森の劇場で演じられる喜劇はエルの不安など露知らず、明後日の方向に走り出していく。

 狂い出した音を誰も正すことはしない。

 五線符の外に飛び出た不協和音は互いの感情のまま新たなメロディーを奏でていく。

 ただ一人歪んだ現実に気が付いているはずのアクラスは終始観客に徹して、ニマニマと不届きな笑みを浮かべるのみだ。


「はしたないですって!変なツンツン頭にそんなこと言われたくないわ!自分の姿を鏡で見てから人のことを貶しなさいよっ!」


「ツンツン頭で何が悪いねんっ!かっこええやないかっ!……っておいっ!そんなに太もも全開で足を開くなっ!とりあえずこれを着とけっ!話はそれからやっ!」


 短く裂けたドレスの裾から覗く白く柔らかなハニーの太ももから視線を逸らすよう、カンザスは更に顔を真っ赤にして喚いた。

 慌てて自分が羽織っていたマントを外すとぐいっとハニー方へと向けてくる。


「いらないわよっ!そんな濡れて重くなったマントなんてっ!」


 激昂したハニーはにべもなくその手を打ち払った。

 哀れな黒い鷲が弱弱しく羽ばたき、水面に不時着した。

 濃緑が淡い碧の水面を寂しげに漂う。


「ふふっ……ふっ……ははっはははははははっっ!もう限界っ!」


 そのやり取りに水を差したのは、アクラスだった。

 二人の軽妙なやり取りに我慢できないとばかりに腹を抱えて笑い出す。

 ひとしきり笑うとアクラスはどんな時でも爽やかさを忘れない、人好きのする顔に屈託ない笑みを浮かべ、泉の二人の方へと向き直った。

 口から覗く白い八重歯がきらりと輝く。


「とりあえず泉から出たら?お二人さん」


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