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帝国の騎士3

 神殿を離れた二人は、道なき道を上へ上へと登るように進んだ。

 着ているものはただの襤褸切れ。

 しかしハニーは昨日とは違って、身も心も落ち着いた温かみに包まれていた。

 鬱蒼と茂る森に昨日は不安を掻き立てられたが、今は心なしか明るく見える。


「わたしって単純」


 呆れるように肩を竦ませながら、盛り上がった木の根を越えようと手を掛けた。

 所々苔むした分厚い木の根は気を付けないと滑ってしまいそうだ。

 身軽なエルは軽やかに向こう側へと木の根を超え、ハニーに手を指し出しながら不思議そうに首を傾げた。


「なんで?」


「昨日は怖くて死んじゃうかもって思ったのに、あなたと出会って心に余裕が出来たのだわ。こんなにも深い森が素敵に感じちゃうなんて」


「それは恐怖に囚われてちゃんと見えてなかったんだよ。本当はそんなに暗い森じゃないもの」


 小さなエルの声はさも当たり前の事実を告げているかのようにあっさりとしていた。

 するんと心に入り込んだその言葉にハニーはそうかもねと呟きを返す。

 

「きっとわたしの心から悪魔が去ったのね」

 

「え?」


 ハニーの独り言にエルは不思議そうに首を傾げたが、ハニーは何でもないと手を振って答えた。

 あの、軽薄で奇妙な男とのやり取りを詳しく話す気にはなれなかった。

 あの不可思議な出会いは時が経てば経つほど幻想ではないかと思えてしまう。

 頼りなく不確かな記憶に、男との出会った事実を確信できない。


 ただ唯一確かなもの――――それは彼が言ったあの言葉。


「暗闇に人は悪魔を見る」


 その言葉の意味が今ならよく分かる。

 昨日の森は地獄へと続いているほど殺伐としていた。

 なのに今はどうだろう。

 確かに身を切るほどに吹きつける風は冷たい。

 デコボコと地面を隆起する木の根に何度も足を取られた。

 しかし、今ならこの森の向こうにハニーの求める真実があると自信を持って言えた。

 よっこらせと木の根を乗り越え、ハニーはふうと息を吐いた。

 

「あなたっていう味方が出来て本当に良かった。あっ、でも騎士団に出会ったらわたしを置いて逃げるのよ。エルまで巻き込むのはごめんだからね!」


 これだけは言っておかねばと目の前の小さな背に声をかける。

 その瞬間、先を歩くエルがその言葉に驚いたように振り返った。

 薄暗い森に彼の金髪が踊る。

 円らな瞳が切なげに揺れた。


「それは出来ないよ。僕はハニーともう二度と離れられないもの。貴女が助けてくれたように、僕も貴女の力になりたい」


 エルは眉を寄せいやいやと首を振り、その身でぶつかるようにハニーに抱きついた。

 ぎゅっとか細いハニーの腰に手をまわし、縋るような真摯な瞳をハニーへと向けてくる。

 その澱みのない澄みきった瞳は吸い込まれそうなほどに深い。

 その全てがぎゅっとハニーの心を鷲掴みする。

 ハニーの鼓動が大きくが跳ねた。

 痛々しく外気に晒された麗しいハニーの肌が燃え上がった。


「ありがと!言葉だけ嬉しく受け取っとく。……でも、いいこと!あなたの笑顔は魔性の笑みよ!だから無暗やたらに笑いかけて女性を困らせてはダメ!間違いする人、続出よ?」


 このまま見つめられれば危ない。

 直感でそう感じたハニーは縋るようなエルの視線から逃げるようにがばっと顔を上に向けた。

 流石にこの小さな体を突き放すことはできない。

 慌てて、何かを誤魔化すように口をもごもごさせたハニーにエルは不思議そうに首を傾げた。


「魔性?どういう意味?」


 抱きついたまま小首を傾げ、エルは答えを求めるようにハニーの顔の方へと片手を伸ばした。

 柔らかく冷たい手がハニーの火照った頬を優しく撫で、彼女の鮮やかな髪を指に絡めた。

 そっと髪を慈しむように口付けるとエルは優美な笑顔を浮かべた。

 そのしなやかな挙動がどこか艶然としていて、思わずハニーはエルの手に導かれるように視線を下ろした。

 その先にある天使の笑みに流石のハニーも言葉を失って、金の瞳を潤ませた。


「ねえ、ハニー。なんでそっぽを向くの?僕はずっとハニーの顔を見ていたいんだ。もっと近くで、ずっと」


 言いながらエルの小さな手がハニーの顔を確かめるように顔の輪郭をなぞる。

 その微妙な力加減で愛撫され、体の奥がぞくぞくと震えた。

 自分を慈しむように向けられた青い瞳の深さに飲まれる。

 魅入られたように体を強張らせ、言葉を失うハニーにエルは爪先立ちでそっと顔を寄せた。

 そしてその林檎のように真っ赤な頬にエルの小さな唇が触れた。

 ちゅっと軽い音が生い茂った森の朝に軽やかに響く。


「わあ!なんでキ、キス……」


 まさかそんな行為で愛情を示されるなんて。

 うろたえてハニーは腰にエルを巻きつけたまま、たたらを踏んだ。

 一握りの理性のお陰で自分を見失わずに済んだが、危ういところだった。

 あのままではエルに見惚れて、魂が抜け出ていったかもしれない。


「ずっと一緒にいれるお呪いだよ?あれ?ハニー、顔赤いよ?」


「そりゃ人間だもの。赤くなりたい時は赤くなるのよ。それだけのことよ!あはははっ!」


 訳の分からない理由を並べ、空気を変えるように大声で笑った。

 もう自棄だった。

 自分の心の動揺をどうしてもエルに知られたくない。

 そんなから回った笑い声が森に空しく消えてくる。

 ひとしきり笑ってからハニーは困った顔で自分を見上げるエルに引きつった笑みを向けた。


「あははっ。赤くなった方が温かいでしょ?」


 そんなハニーを笑うことなく、エルはハニーの腰から体を離した。

 そして腰に当てられたハニーの手をつと取ると、祈るような仕草で瞳を揺らした。


「ハニー……疲れてるの?」


「うっ……うん」


 憐れむような幼い眼差しにハニーは一人取り乱しているのが悲しくなり肩を落とした。

 だがエルはハニーの言葉をそのままに受け止める。

 エルは哀れむように握りしめたハニーの手にふうっと息を吹きかけた。


「こんな恰好じゃ寒いよね。出来るならこの服と取り換えてあげたい」


「いいのよ。エルが気にすることじゃないわ。それにわたしにはエルがいる。それだけでわたしはとても温かい気持ちになれるの」


 納得いかないと愛らしい顔を顰めるエルを包み込むように抱き締め、ハニーはエルの頭に頬ずりした。


「城に辿り着けばなんとかなる。それまでの辛抱よ。さあ、先に進みましょう」


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