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塔の亡霊7

 男は意味深に言葉を切った。

 どうやら話す相手の想像を掻き立てるのが得意らしい。

 だがサリエはうろたえたりはしない。

 その黒曜石の瞳に映るのはありのままの闇であり、抑圧された心が生み出す悪魔などつけ入る隙などない。

 盛大に鼻を鳴らすと、顔を歪めて相対する男を嘲笑する。


「それで俺の不意を突いたつもりか?フンッ、嗤わせてくれる。確かに俺がサリエだ。だから何なんだ?」


「噂に違わず怖い方ですね。それで、こんな辺境の、囚われの身の学者に司教様が何の用でしょうか?」


 不機嫌なサリエの言葉さえも愛しいとばかりに男は笑みを零す。

 その態度に流石のサリエも愚弄されている気分になり、その氷の美貌を不快に歪めた。

 口では何も言わない。

 だがサリエを包む空気は饒舌で、彼の怒りを相対する男に直に伝えた。

 男はおどけるように小さく仰け反って見せ、大げさに肩を竦める。


「おお怖い。どうやら噂の司教様は気が短いらしい」


「質問に答える気がないのであれば、お前をただの骸にするまでだ。こんな闇の中、言葉を解する者がいてもそれは死者と同義だ」


 無情に言い捨て、腰に佩いた細い剣の柄に手をかけた。

 柄と鞘が触れ合い、か細い悲鳴のような音がなった。

 しばしの沈黙が闇に落ちた。それは言葉なき鬩ぎ合いであった。

 互いの瞳から飛び出た気迫がぶつかり収斂し、爆ぜる。

 意思なき人骨がその迫力に恐れ慄き身を寄せ合って打ち震えた。

 張りつめた緊張感。

 それはひとたびその均衡を失えば世界全てが崩れしまうような危うさを内包した細い糸であった。

 その糸を切るまいと闇から滲み出る悪魔すら息を潜める。

 闇に凍りついた漆黒の瞳は対極にいる男を捕えて離さない。

 対峙する闇に染まった鋭利な眼光もサリエの全てを見透かさんと陰鬱に輝く。

 一時の静寂―――その脆弱な糸がその重みに耐えきれず、切れた。

 深遠の闇に広がったのは愉悦の籠った不敵な笑い声だった。


「今日はなんと愉しい日だ。可愛らしいお姫様に美貌の司教。こんなに賑やかしいのはこの5年で初めてのことです。まるで夢を見ているようだ。私の言葉に誰かが答えるなど想像することもできなかったのに……。嗚呼、なんという高揚感なのでしょう」


「その愉しみ故に気まぐれで女王を逃がしたのか?」


 場違いなほど、うっとりと愉悦に浸る男に無情なサリエの声が突き刺さる。

 それでも男は軽薄な笑みを収めることなく、歌うように先を続ける。


「クスッ。彼女の為を思うなれば、この塔に留めておくべきでしたね。ここにいれば助かったはずだ。抜け出せば彼女に待つのは無情の死。吹けば折れそうなほど脆くか細い体では真実に辿りつくことすら叶わないでしょう」


「それほど先を見通せる目をもっていて何故解放した?」


「分からない。そうですね……ただ見てみたかったのかもしれない。彼女が私の思い描く未来を裏切る姿を。そして私には成しえないことを果たしてしまう姿を………。あの射抜かんばかりの眼差しを身に受けてなおこの澱んだ世界に彼女を留めておくなど私にはできません」


 彼は恍惚とした眼差しを天井へと向けた。

 落ち窪んだ眼窩にはもしかすると天上から赤い髪の天使が慌ただしく舞い降りた瞬間が映し出されているのかもしれない。

 5年もの月日を鬱屈としたこの空間でただ無を耐えてきた。

 妄執と嘲られる信念だけを朽ちかけた体の奥底で燃やし、忍びよる死すら従え生き永らえる日々。

 いくら見上げても閉じられた無情の空から光が差し込むことはない。

 それでも見上げずにはいられなかった。

 幻覚でもいい。泡沫の夢でいいのだ。

 一縷の光を望まずにはいられない。

 そんな日は永遠に来ないと知りながら、それでも浅ましい心は闇に差し込む神の息吹を待ち続けた。


 なのに……開くはずない、そう決めつけ諦めていた天上への門が不意に開けた。


 驚愕とともに見上げた先に眩い天上の世界があった。

 そして神々しい光に包まれて落下してくる一人の天使。

 男は自分が死して天国へ辿り着いたのかと錯覚した。

 嗚呼、このまま死して天上の人となればどれだけ楽だろうか……。

 屈強な心が鮮烈な光を前に膝を折った瞬間、門はあるべき姿に戻り彼は地獄の底へと引き戻された。

 彼の瞳に映るのは常と変わらない深い闇ばかり。

 僅かに差し込んだはずの光など脆弱ですぐに闇に飲み込まれた。

 天は彼を見捨てた。

 だが男にはそんなことどうでもよかった。

 その視線の先にあるのは堆く積もった無機質な人骨の山。

 その上に横たわる自分とは違う生命の息吹に恍惚した。

 このような神にすら見捨てられた地上の果てで、何を馬鹿なことをと冷静な部分が彼を嘲笑したが、目を離すことも敵わない強烈な存在感に打ち震える。

 その美しき顔に羨望を寄せ、強くしなやかな眼差しに射すくめられた。

 もし自由に歩ける足があるならば、あの輝かしい天使の側に駆け寄りたかった。

 もし腐っていない手があるならば、あの運命の乙女に触れて気持ちのままに抱き締めたかった。

 それは叶わぬ願いであっても、願いを抱くだけで心が満たされた。

 とろんと恍惚とした瞳をサリエに戻すと男は、陰鬱に口端を上げた。


「彼女が追われている理由は私がこの塔に捨て置かれている理由とある意味で同義なのでしょうね。…………聖域はあの存在を気にしているようだ。そんな物が本当にこの辺境の小国にあるとお思いですか?教皇様ともあろう方がまるで雲を掴むような話を本気にするなど愚かしい。あるとも確信できていないものを求め、国を潰そうとするなど正気の沙汰ではありませんね」


 男は大げさに被りを振る。

 口ぶりは憐みを帯びているが、その表情は愉悦に満ちていた。

 正気の沙汰でないと批判する彼もまた正気ではない。


「フンッ。話をはぐらかして時間稼ぎのつもりか?何処へ逃がしたか言う気がないのであればそれでいい。どう足掻いてもあの女の運命は決まっている」

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