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塔の亡霊5

 クワインのサリエ―――。


 若干二十で教皇の側近となった男だと聞く。

 初めて相対した噂の男はカンザスよりも四、五歳上なだけの若者だった。

 だが恐ろしいほど頭が切れ、慄くほどに冷酷な男だという噂に違わず、彼から醸し出される触れれば切れそうな気配にカンザスは圧倒された。

 こんなにも一人の男に畏怖を感じたことがあったろうか。

 カンザスは人知れずゴクリと喉を鳴らした。

 噂が真実だというのならば、いつも彼の噂に付き纏うあれは事実なのだろうか。

 盗み見るようにサリエの左眼を窺う。


 そこにあるのは、黒い眼帯――――右眼のような黒曜石の輝きはない。


 その眼帯で隠された左眼に悪魔が宿っていると聖域では実しやかに囁かれている。

 ただ誰もその真実を確かめた者はいない。

 あまりにも目立つ故のやっかみなのか。

 それとも悪魔の瞳――邪眼などいうのもが本当にこの世に存在するのか。

 狭く限られた世界しか知らないカンザスはそれ以上知る術もなく、ただ噂だと決めつめていた。

 見る者を地獄へ送ると言われる邪眼など物語でしか聞いたことがなかった。

 しかし目の前の男はその眼帯の下に悪魔を飼っているというのだ。

 目の前の謎めいた男を見るにつけ、噂が真実に思えてならない。

 白皙の顔にかかる黒い眼帯に隠されたものに惹きつけられるように、カンザスはただただその美貌を見つめた。

 だがサリエはそのような視線には慣れているのだろう。

 驚愕に顔を強張らせるカンザスなど取るに足りぬ存在とばかりに鼻を鳴らした。


「結構。俺は護衛など必要ない。………それよりも早く自分の使命を果たさなくていいのか?血に濡れた女王がこの塔より解き放たれたのだろう?」


 地獄の業火よりも更に深く重く、サリエはカンザス達をねめつける。

 その声は抑揚なく静謐の時に消えるが、カンザスの脳裏には残酷な響きを持って残った。


「今さらどうなる訳でない。女王を追おうが、果たせない使命から逃げようが好きにすればいい」


「な、なんやと!」


 もうこちらを見ていないサリエの言葉を聞き咎めたカンザスは思わず激昂した。

 司教と一衛兵……越えられない身分の差がある。

 しかしそんなことはどうでもよかった。

 何故自分のことを何一つ知らない男に逃げ出すなどと愚弄されねばならないのか。

 カンザスにとってそれは許せないことだった。

 思わず食ってかかりそうなカンザスの肩をアクラスが強引に引き止める。

 手際よくカンザスの口に蓋をして後ろから抱きすくねると、親しみのこもった爽やかな笑顔をサリエに向けた。


「それは失礼しました。では私どもは先を急ぎますゆえ」


 卒なく頭を下げ、もがもがと暴れるカンザスを上手に抑え込んでアクラスはサリエに背を向けた。

 ゆったりと自分たちが馬を停めた方へと足を進める。

 その長い足が馬と塔の中間まで来た辺り。

 穏やかにたゆたう空気が張りつめた。

 きんっと空気を切り裂く音と共にアクラスの耳元を轟風が駆け抜けた。

 それは紙一重でアクラスの耳を僅かに逸れ、馬を繋いだ大木に真っ直ぐに突き刺さった。

 驚いた馬が前足を駆り、恐怖の嘶きを上げる。

 それに共鳴するように朝であっても鬱蒼と陰る森が不穏にざわりと揺れた。

 深々と突き刺さる白銀は密やかな陽光を受け滑らかに輝く。

 何が起きたかまったく理解できないカンザスはいきなり目の前に現れた銀の鋭利な小刀に目を丸くした。

 驚くように自分を押さえつけるアクラスを見上げるが、彼は至って穏やかな表情のまま。

 サリエに背を向けたまま、優美ともとれる笑みを浮かべている。

 対するサリエもこちらに背を向け、塔を見つめている。

 その痩身のどこに俊敏な動きでこの距離まで小刀を投げる力があるというのか。

 褪せた世界にある一色の黒がカンザスの胸の奥に小波をたてる。


「戯れが過ぎますよ?司教様」


 サリエが鷹揚とこちらに向き直った。

 その黒曜石の隻眼が放つ眼光の意味するところなどカンザスには分からない。


「………お前は何を考えている?」


 カンザスには甘美なサリエの声が地獄からおどろおどろしく響く悪魔のように聞こえた。

 逃れようとしても絶対的な力をもってカンザスの喉元を抑え込む声だ。

 あの美しい硬質な顔はどんな表情を浮かべているのか。


「何も……。そうだな。あえて言うなら、この手のかかる愛すべき主人のことを考えています。彼なしでおれは存在しない。彼がおれの全てです」


「フンッ。次はそんな減らず口を聞く前に始末してやる」


「恐ろしいですね。もう二度と貴方には会いたくないものだ」


 そう笑ったアクラスはどこか楽しげでもあった。

 その二人の謎めいた会話をカンザスは蚊帳の外で聞いていた。

 口を挟むことすら躊躇する緊張した空気。


(なんや?こいつらは何を話してるんや?)


 アクラスに抱きかかえるように運ばれ、有無を言わさず馬に乗せられてもカンザスはその疑問を拭うことができなかった。

 しかしアクラスはその問いを問うこともカンザスに許さない。

 ぴんっと張りつめた空気の中、居心地悪げにカンザスはアクラスを目で追う。

 カンザスを馬に乗せ、自分も自身の馬に素早く乗ったアクラスは、目にも止まらぬ速さで大木に突き刺さった小刀を抜くとサリエ目がけ、音速を超える動きで走らせた。

 触れれば切り裂く空気を纏い、小刀はサリエの方へと飛んでゆく。


「な!何を!!」


 カンザスの叫びなど間に合わない。小刀は確実にサリエ面目がけ飛んでいく。

 しかし迎え撃つサリエは身じろぎ一つせずに煌めく銀色を見つめている。

 キンッと空気が割れる。


(もう間に合わへんっ!)


 カンザスは想像しうる現実から目を背けた。

 しかし何時まで経っても想像した絶叫は聞こえない。

 恐る恐るといった体で薄緑の瞳をそっと開け、サリエの方を見つめた。


「――――あっ………」


 カンザスは息を飲んだ。

 想像の斜め上をいく光景に死の天使サリエの噂に違わぬ屈強さを感じた。

 その流麗な姿に傷一つない。

 長く細い指が煌めく凶器を彼の美しい顔のすぐ横で押し留めていた。


「面白い男ですね」


 アクラスはため息交じりに、何処か余裕無げに笑みを浮かべた。

 それはカンザスの知らない顔だった。

 出会ってまだ数年。誰もが親しみを感じる出来た男にはカンザスが知る以上の秘密が隠されているのだろう。

 何故彼のような存在が自分の側にいてくれるのか、それは彼の想像の域を超えたことだった。

 森で倒れた彼を気紛れに助けた。

 それから彼は従者という立場故にカンザスに敬意を払う他の者とは違う親愛と尊敬の念を以て自分に仕えてくれる。

 ただ与えられる権利に疑問を持ち、自分自身の力を確かめたく聖域の衛兵に志願した時も、アクラスは引き止めることなく自分に付き従った。

 時に意地悪にからかい、時に優しく諌める、理想の存在。

 それがカンザスの知るアクラスの全てだ。

 では、本物の彼はどこにあるのだろう。

 カンザスにはアクラスという名でしか彼を知らない。知りたいのに、知ることすら叶わない。

 非力な自分が吐き気のするほど嫌で、悔しげに唇を噛みしめる。そして無言で先に深い森へと消えたアクラスの背を追い従った。

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