塔の亡霊1
「ふっざけんな~!キサマらは何しとったんやっっ!!」
甲高い少年のような怒声が麗らかとは言い難い深い森の朝に響いた。
鬱蒼と広がる森の一部だけ開けたそこ――過去の出来事に固く口を閉ざした石造りの塔、嘆きの塔が聳える原野。
その塔が見えるか見えないかの位置に張られた幕の側では数人の騎士が顔を真っ青に変えて恐怖に項垂れていた。
そしてそんな彼らに怒気に染まった視線を投げつけているのは小柄な青年だった。
青年の側では長身の男がもの静かに控えている。
男は青年が地面を踏み鳴らし、全身でもってその怒りを表現しているのを止める訳でもなく、事態を静観していた。
青年は怒髪天を衝く怒りに顔色を変えている。
だがそんな顔すら愛嬌があると思わされるほどに、青年はまだ少年と呼んでも差し支えないほど幼い顔つきをしていた。
溌剌とした輝きに満ち、精悍に引き締まった顔は草原を吹き抜ける雄大な風のようであった。
その中で理知と正義を宿した瞳だけは違った。多くの物事を見つめてきたであろうペリドットのような淡い輝きを秘めた薄緑色の瞳だけが彼の正確な年齢を表している。
短く刈り込まれた焦げ茶の髪を怒りに逆立て、彼はもう一度叫んだ。
「キサマらの使命はなんやっ!起きたら女王が消えてたやと?よ~そんな寝言をオレに向かって言えたなっっ!」
彼の刺すような声に項垂れた騎士達は更に深く頭を垂れ、自らの不手際を嘆いた。
しかし彼らがどれだけ血の涙を流そうとも時間は元には戻らない。
昨夜まで死した人形のようだった彼らの積み荷が、まさか朝の訪れと共に消え失せるなど誰が想像しただろう。
エクロ=カナンの騎士達は皆一様に青褪め、唇を戦慄かせていた。
言葉にならない悲痛なうめき声が静かな森に妙に響いて消えた。
彼らの顔に浮かんでいる恐怖は血に濡れた女王を逃してしまったことよりも、これからの自分達の処遇を想像してだった。
青年がどれだけ怒鳴りつけても、もううんともすんとも言わない。
物言わぬ木偶の坊と化した騎士達を見下すように、青年はふんっと鼻を鳴らした。
そしてバサリと自分の羽織っているマントを翻した。
濃緑のマントに浮かぶのは赤糸で縫い取られた大輪の花とその中心に描かれた黒い鷲の紋章。
それが大陸の東部に位置するガルシア帝国の旗印だと知っていれば、騎士達はもっと恐怖に慄いていたはずだ。
並いる列強国の中でも抜きん出て残虐なことで知られる恐怖帝国ガルシアの騎士が自国に入り込んでいるのだと。
しかし彼らにはもう物事を判断する余裕さえなく、神に祈る言葉すら失っていた。
「ああぁっっ!クソ!」
一度も項垂れた騎士達を振り返ることなく、青年はだんだんっと足音荒々しく大股で嘆きの塔へと向かっていた。
こうなればすぐにでも逃げだした血に濡れた女王を探し出さなければ……。
急いで女王の後を追おうと逸る気持ちのまま、青年は塔の側に止め繋いだ馬の元へと向かう。
青年の逸る心はそのまま顔に表れていた。彼の心で業火のような怒りが燃えさかる。
彼の怒りは当然のものだ。
聖域が敵だと認めた『血に濡れた女王』が捕えられていた塔から逃げ出したというのだ。
女王が不可解な力を使って騎士達をやり込み逃げ出したのであれば少しは同情もするだろう。
しかし、彼らは女王を塔に閉じ込める以外はせず、逃げださないと高を括っていた。
見張りも立てず、塔の中で監視することすらしなかったのだ。
だが朝になり塔の扉を開けた瞬間、彼らに戦慄が走った。
昨日と何も変わらない、冷たく鬱屈とした狭い空間。
一つだけ違うのは昨日彼らが押し入れたはずの襤褸切れのような女がいないことだけだ。
それの意味するところ………騎士達は理性を失っていた。泣き叫び、恐怖し、言い争いを始めた。
こうやってこの世に地獄が生まれるのだろう。それほどまでに見るに堪えない光景であった。
そこに丁度通りかかったのが、この青年達一向だった。
青年は聖域より命を受け、この塔に駆け付けたのだ。
彼は素早く状況を判断し、比較的まともな二人の騎士をそれぞれ、エクロ=カナンとウォルセレンに派遣した。
彼らが確実にその仕事をこなせれば、数日中に女王討伐の騎士団が組まれることだろう。
だが残された騎士達のなんと役に立たないことか。
いくら青年には不可抗力であったとはいえ、青年が血に濡れた女王を連れ帰らなければいけない事実は変わらない。
むしろこのままでは青年の不手際が責められる。
「何でこうなんねんっ!!」
どれだけ叫んでも感情が治まらない。
青年はガシガシッと髪をかき毟り、それでも溜まらず側にあった大木に向かって渾身の一発を打ちこんだ。
「っっぅいってぇぇぇ~!!」
青年は思わずその場にへたり込んだ。
結果は言わずと知れたこと。そんなことをしても怒りは治まらず、結果理不尽な痛みだけが彼の腕に残った。