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序章~悪魔が生まれた時~

 全てが終わった。

 何も映さなくなった彼女の瞳には輝かしい栄光の影もなく、ただ止めどなく涙が流れ落ちるのみ。

 悲しみも痛みも憎しみも、もう何も感じない。ただ壊れたように腕の中の大切な人を見つめる。

 このまま最愛の友と共に逝けたら、どれだけ幸せだろう。 

 天の楽園は誰に対しても普く温かな愛を与えてくれると謂う。ならばこんな凍えそうなほど冷たい場所に未練などあるものか。


(……ああ……どうか、どうかお願いです。天にまします我が御神よ。このままわたしを……わたしの命を召して下さい)


 心からそう願う彼女にはもう生に対する執着など微塵もなかった。全てを投げ出し、死んだように愛してやまない友を抱き締める。

 その虚ろな瞳から涙さえ枯れた。祈るように彼女の頭ががくりと落ちる。その瞳から最後の一雫が零れ落ちた。

 どこまでも清廉な輝きが、赤い海の水面を打った。

 その時……。


『お願いよ……もし私が………』


 彼女の体を駆け抜けた一陣の風。

 それは春の木漏れ日に流れるように優しく、初夏の緑の丘を駆けるように穏やかだった。

 その風は懐かしい匂いがする。


(……………エル?)


 まるで雷に打たれたような衝撃が走った。

 死に凍てついていたはずの体で血が沸き上がる。全身の毛穴が開き、熱い激情が体中を暴れる。

 ドクン――一際大きく鼓動が跳ねた。

 その瞬間、折れた頭が突如勢いよく上げられた。その真ん中にあるのは、生気の欠片もないガラス玉などではない。

 その瞳が切なげに歪み、腕の中の乙女を見つめる。その視線の先、凍りついた美貌は徐々に色褪せ、造り物めいていく。この美しい人形が数刻前まで生き生きと動き、彼女が呼べばはにかむように柔らかく微笑んでいたことなど嘘のようだ。

 彼女の瞳は何か言いたげに揺れた。だが彼女には悲しみに暮れる時間はなかった。

 凍りついた時を破るように男が一人、彼女の呪縛を破り弾及の声を上げた。


「誰か、こいつを取り抑えろ!こいつが悪魔だ!見ろ!血に染まった狂おしいほど赤い髪。狂気に輝く妖しい金色の瞳。これこそ悪魔の本性だ!!!」


 その鋭い叫びに応えるように重たく閉ざされていた広間の扉が一気に押し開けられた。

 外で控えていた騎士達が手に剣を持ち、まるで洪水のようになだれ込んでくる。

 広間の大理石を打つ無数の足音。

 彼女を赤く染めるためだけに突き立てられた槍。

 絶望の果てにある狂気が彼女を飲みこまんばかりに猛り狂う。


「血に濡れた女王を討てぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ」


 司教の怒声が広間を駆ける。それに呼応するように、騎士達の言葉にならない雄叫びを広間を覆い尽くしていく。

 黒い波だ。殺気がうねりをあげて彼女目がけて襲いかかる。その眼差しはこの国の悪魔を討つことに一片の迷いも持っていない。

 無表情な騎士達がその血だらけの悪魔を捕えようと広間の中心にいる彼女めがけて鋭い剣の切っ先を向ける。

 大切な人を失った彼女から、更に全てを奪おうと運命が襲い掛かる。

 怒号が鳴る。鎧が擦れて、甲高い悲鳴のような音をたてた。それは阿鼻叫喚。赤と白が混じり合った空間を狂気が黒く染めていく。

 もうそこにまで、彼女を引き裂かんばかりの鋭い切っ先が迫っていた。

 だが、その身を切り裂かれる危機であるにも関わらず、彼女はその騎士達に目を向けようとしない。

 ゆっくりと血の海に親友を寝かせると血で汚れた手を自らのドレスで拭った。

 その手でそっと親友の顔に触れ、悲しみに満ちた瞳に瞼で蓋をする。血で薄汚れた、愁いを帯びた美しい顔が本来の穏やかさを取り戻した。

 でもどんなに願っても二度と戻らないものを彼女は知っていた。

 その美しい眠り姫の側で蹲り、彼女はまるで巡教者のような敬虔な眼差しで祈るように手を組んだ。


「…ごめんね。でも、約束は守る」


 俯いたその頬に伝う涙はどこまでも清らかで、美しく煌めく。

 彼女の頬を離れた小さな雫は永久の眠りについた美しい人の血で汚れた頬に音もなく落ち、煌めき弾ける。

 その涙を見送ることなく、彼女はゆらりと立ち上がった。

 押し寄せる騎士達を正面から迎え撃つように、まっすぐと彼らの方へと体を向けるとゆっくりと顔を上げた。

 血で染まった赤い髪の向こう、赤く染まった顔が徐々に顕わになる。

 鬼気迫るその表情に皆が息を飲んだ。

 真っ赤に染まった顔の中心で異彩を放つのは夜明けの星のような輝き。先ほどまで感情の抜け落ちたそれが、燃えさかる炎のように人々を圧倒する。

 その場の全てを飲みこまんがばかりの猛々しさに遠巻きにしている者全てが目を疑った。

 強靭な体躯を持つ騎士達ですらその眼差しに射竦められ、躊躇するようにその動きを止めた。

 これは誰だろう。自分たちは何かを見誤っていたのだろうか。自分たちが対峙していたのは、権力の使い方すら知らない無力な子どもだったはずだ。

 なのに……自分達を射抜くその金色から目を逸らすことすら叶わない。

 その毅然とした姿に、その場にいる者は皆戸惑ったように彼女を見つめる。自分たちが対している者がなんなのか、その根本さえも彼らは分からなくなっていた。


「血で染まった悪魔………。それで上々よ」


 自分を遠巻きにする人々を見渡し、彼女は怒りに満ちた瞳を燃え上がらせた。

 金色の瞳から血の涙が流れた。血で真っ赤に染まった髪が風もないのに逆立ち、靡く。


 その瞬間、彼女は変わった。


 燦然と輝く王冠はすでに朽ち、玉座の前に広がるのは先の見えない荒野のみだ。それでも彼女は血に染められた荒野に毅然と足を踏み出した。

 待ちうけるのは棘の道―――――一度踏み入ればけして引きかえることのできない、深く険しい受難の道だ。

 その痛みさえも甘んじて受け入れる覚悟が金色に輝く瞳に宿っていた。

 一際通る、朗として力強い声が血染めの広間に響いた。


「この身が血で染まろうと腕が捥げようと構わない。我こそは血に濡れた女王!この思い果たす為なら悪魔とだって契約しよう!」


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