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黎明の刻7

 王家の立国の歴史とは違う、民の生活に根付いた歴史を追っているということだろうか。いや違う。もっと深い意味合いを持っているはずだ。

 フォークロア(民俗学)という言葉に悪魔という接頭語がつく意味。

 彼の言う敗者とは誰なのだろう。真実や存在すら残せなかった者が伝えたかった言葉とは何だったのだろう。


「貴女は知らないのでしょうね。いえ、知らなくていいのですよ。知れば聖域が放ってはおかない。………嗚呼、でももう手遅れですね。貴女は聖域に危険思想者として認められてしまったから」


「わ、わたしは悪魔なんて崇拝していないわ!そんなの勝手な言いがかりだわ!」


「聖域なんてそんなものです。言いがかりをつけて、都合の悪いものを消そうとする。貴女は実に運が悪かった。ただそれだけです」


 同情しているようで、あまりにも軽薄な色が滲んだ声にハニーは腹立たしさを感じ、むっと顔を顰めた。

 運のよしあしで、必死に築き上げてきたものが崩されるなど認められなかった。

 この騒動をそんな簡単に片づけてほしくない。

 運が悪くてエルは死ぬ羽目になったなど考えたくない。

 気まぐれでこの国が悲惨な夜明けを迎えることなどあってはならない。

 だが無情な声はハニーを更に戦慄に駆る。


「聖域はね、血に濡れた女王に生きていられると困るのですよ。貴女の口から彼らも知らない真実が飛び出すんじゃないかと戦々恐々としている。だから、噂なんて頼りないものを巧みに利用し、貴女の声が外へ届かない場所へと貴女を封じようとしているのです」


 愕然とした。

 この男は何を言っているのだろう。

 まるで今回の一連は全て聖域が仕組んだと言いたげな物言いだ。

 それは世界の全てを覆し、世界を混乱に帰することを意味する。

 ハニーの本能が理解を拒んだ。

 赤い髪を激しく揺らして突きつけられた事実から目を背ける。

 世界の旋律の中心、絶対不可侵の聖なる国が辺境の罪なき女王を陥れるなど、そんなこと……。

 

「そんなことありえない……」


 ぽつりとそれだけ呟いた。

 ありえない――この闇の中でかろうじて保っている理性が普遍の事実を告げる。

 それだけは分かっている。分かっているつもりだ。

 なのに闇に蝕まれたハニーの直感は男の言葉を受け入れようとする。

 黒幕は聖域自体。

 それが真実ならば、なんということだろう。

 聖域はなんと周到で姑息な手を以って、意のままにエクロ=カナンを躍らせてきたのだろう。

 いや、踊らされていたのはエクロ=カナンだけではない。

 血に濡れた女王の審判に関わったウォルセレンも、その他の国々もそうとは気付かせずに上手に騙して、彼らは影でほくそ笑んでいたというのか。

 確かにそういう見方で一連の流れを見れば、ハールート・マールート大司教とウヴァルから報告がなされてから、事態はあまりにも早い終焉を迎えようとしている。そう、まるで描かれた絵空事をなぞるかのように。

 報告を入れてからあの審判までに要した日数はほんの数日。それは言い換えれば聖域とこのエクロ=カナンの距離日数である。

 いや、それでも短すぎる。

 報告を受けた聖域が返答を返し、それに遅れて派遣する枢機卿を選出して、エクロ=カナンに向ける。

 どれだけ優秀な駿馬を以てしても、どれだけ有能な使者を以てしても、時間を超えることはできない。

 どこかで報告を入れる早馬がすれ違わなければ起きえないことだ。

 これの意味するところ、それは報告など入れる前からこれは決定された事項だということ。

 全て姿の見えぬ誰かの掌で踊らされて進んでいたのだ。

 この笑えない喜劇は聖なる地でハニーの首が飛ぶことによって幕を下ろす。こうやって誰かの意図のもと真実は闇に埋没するはずだったのだ。

 そう、今ハニーが運命に抗ってこの塔の地下に堕ちさえしなければ………。


 ごくりと喉を鳴らした。

 それが聖域の常套手段なのだろうか。

 血に濡れた女王の審判に訪れた枢機卿達も全て知った上で、このふざけた道化に参加していたというのか……。

 だがそれはあまりにも回りくどい手であるようにも思えた。

 こんな大がかりに舞台など用意せずに、闇の内に真実を消すことも聖域の絶大な力を以てすれば可能なはずだ。


「ふふ…貴女自身に分らないから、これ以上お話しても無駄ですね」


「待って!じゃあ、聖域はどういうつもりなの?わたし一人の口を封じればいいと考えているの?」


 波のようにあっさりと引く男に食い下がるようにハニーは自分の腰を固める人骨の山を掻き分け、男の方に駆け寄った。

 数万という数の骨が行く手を阻み、思うように動けない。

 それはまさにハニーを取り巻く全てだった。

 底なし沼に足を取られ動けず、ただ飲み込まれるのを待つのみ。

 だが、それでもハニーを突き動かす情熱は止まらない。


「ねえ!わたし一人いなくなれば、エクロ=カナンは無事なの?エルは……エルは戻ってくるの!」


 爆ぜる激情。

 研ぎ澄まされた清廉な輝きが闇を走る。闇が燃えさかる夜明けの星を恐れて逃げ惑う。

 絶望の淵にあってなお輝く生の躍動に、相対する男さえも圧倒された。

 今ハニーを突き動かすのはただそれのみ。

 どれだけ体が限界を迎えようと、この暗闇の中、信念の炎はいっそう激しく燃え上がる。

 男の紡ぐ言葉が真実ならば、その妄執とも取れる闇にさえ縋りたい。

 しかし、対する男の声はその炎を消すかのようにハニーを一蹴した。

 ハニーの抱えるものの重さなど一切に汲もうとしない、いっそ薄情なほど空虚な声がハニーの期待を裏切る。


「さあ?私は全てを知っている訳ではないのでね。なんせ、もう5年もこの闇の中にいるのですから。世間にも疎くなりますよ」

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