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黎明の刻5

 予想に反して、着地の衝撃は柔らかかった。

 ただこれはあくまでハニーの予想に反してだ。冷たい石の床を想像していたハニーを受けとめたのは、カサカサとした無機質な物体だった。

 幾重にも重なった棒状のそれらは、地下の全てを覆うように堆く積まれている。

 それが人の骨であると気付くまでにそう時間はかからなかった。

 ハニーは積まれた人骨の山に抱きとめられ、その中に飲まれるように落ちていく。

 痛みと共に全身を突き抜ける衝撃。ガシャガシャと耳障りな不協和音に包まれ、しかし止める術すら思いつかない。

 見えない恐怖と相まって、まるで地獄の底に突き落とされた気になる。

 いくら乾燥して脆くなった骨とはいえ、落下の衝撃はすさまじい。

 着ていた服が折れて尖った骨でズタズタに裂け、その切っ先は服に留まらずハニーの柔らかな肌にも真っ赤な線を描いた。


 やっとハニーの体が止まった時には、ハニーはただ襤褸切れを被っただけの状態になっていた。

 ただ怪我の功名と言うのか、ゆるく縛られていた布袋の紐は先ほどの衝撃には耐えられなかったようで、いつの間にかハニーの元を離れていた。

 だが、目隠しがなくてもハニーの前に広がるのは深遠の闇。

 困惑に落ちてきたはずの頭上を見上げても、それが上なのか下なのかも分からない闇があるばかりだ。

 床はもう、元の状態に戻っているのだろう。

 落ちてきた部分すら分からない。

 まさか塔にこのような仕掛けがあるとは。

 生きては出られない塔の秘密―――こうやってかつてこの塔に入れられた罪人を地下に落としてきたのだろうか。


 澱んだ空気の中、ハニーはぞっと身震いをした。

 まるで蟲のような闇がぞわぞわと足元から這い上がってくる。

 目隠しで見えないことよりも自分を包む闇の濃さに阻まれる恐怖の方がずっと上だった。

 地下の湿った空気がハニーの肌を舐めていく。

 吐き気が込み上げる腐臭が辺りを包み、ここがどんな場所なのか想像に難くなかった。

 この場にいることを拒絶するように全身に鳥肌が立つ。

 振り払っても取れない濁った臭いがハニーの心を更にどす黒く染めていく。この場では視覚や嗅覚などあってないようなものだった。


(震えるな!顔の周りを圧迫されてないよりマシじゃない)


 震える体を叱咤するようにハニーは骨の山から身を起こした。

 手を拘束する鎖が何かに引っかかり、か細い手首にずしりとした痛みが走る。

 深い闇の底に何か潜んでいるのではないかと、妄想に取り付かれそうになる。

 だが、漆黒の中で金色は輝く。ハニーの見つめるものは遠く離れたゼル離宮のみ。

 その鮮やかな赤い髪が何も見えない闇に揺れた。

 

(……髪が揺れた……風が流れるということは、何処かに抜け道がある証拠じゃない。惑われちゃダメよ。目に見えるものが全てじゃない)


 ハニーは足場の悪い中を懸命にもがいた。

 乾燥しざらざらとした骨が彼女の行く手を阻む。

 時にその身を切り裂く凶器の海を押しのけ、がむしゃらに前へと進んでいく。


「待ってて。エル!絶対にあなたとの約束は守るから!」

 

 先の見えない闇に噛み付くように、ハニーは叫んだ。

 声すらも反響せずに飲み込んでしまう、音のない黒。そこは世界の果てであり、絶望そのものだった。

 その中にたった一人。

 ハニーだけがその絶望の淵に立たされていた。

 のに………。


「クスッ」


 何もないはずの地の果てに、嘲笑ともとれる吐息が響いた。

 微かに、でも確実にハニーの耳朶に届く。

 戦慄が走った。


「誰っっ!」


 弾かれように顔を上げ、視線の先の闇を睨みつけた。

 ドッドッと早鐘を打つ鼓動が今にも逃げ出しそうなほどハニーの胸で暴れまくる。

 闇に冷やされたか細い体をかつてない緊張が包む。

 金色の瞳の先、何もないはずの闇がザワリと蠢いた。


「………嗚呼、口を開くのは何年ぶりだろう。ずっと自分の内でしか会話をしていなかったから……。もう動かし方も忘れてしまったのに……。まさか求めて止まないその相手がこんなに可愛らしいお姫様なんて、今日はなんていい日でしょう」


 のん気で、それでいてどこか現実味のない空虚な声。

 その声は恐怖に染まったハニーとは対照的に場違いなほど軽やかに闇を広がった。幻聴などではない。確かな空気の振動と共にハニーの心を揺さぶる。

 闇を快活に走るその声は、若い男のものように思えた。

 一寸先さえ見通せないこの世界で、相手はハニーのことをどれだけ把握しているのだろうか。

 さもハニーが光の中に浮いて見えるように相手はハニーをじっと値踏みして話しかけてくる。


「ぼろぼろになってしまって。折角の美しい顔が台無しですね」


「あなたは、誰?」

 

 低く、地に響く声がする方に鋭い眼差しを向け、ハニーは身を固くした。

 相手はハニーを聖域まで護送する騎士ではないのは話しぶりから明白だ。

 だが、この鬱蒼としたゴモリの森の果てにいるのは聖域を目指すハニー達以外に存在しない。

 忘却の森と呼ばれるこの森は一度足を踏み込めば、森を知る樵でさえ自分の居場所を忘れるほどに深い。

 その上薄暗い森の中では野生の狩人達が常に目を光らせている。

 そのため、ウォルセレンへの行き来は遠回りしても森を迂回する道が選ばれる。

 このような緊急の場合でもなければ森に入り込む者などいない。

 ハニーが相対するこの男は極めて異質な存在だ。


「答えなさい!」


 ハニーの厳しい誰何の声にも、相手はせせら笑って答えるのみ。

 そのつかみどころのない声が、見えない姿と相まってハニーを恐怖に包む。

 そんなハニーの心の内などお構いなしに、相手は口笛を吹くかのように軽やかに話し続ける。


「そうカリカリしないで。余裕のない女は安っぽく見えますよ?」


「よ、余計なお世話よ!あなたに何が分るのよ!適当なことばかり言って!!」


「クスクス。恐怖に震えているのに、怒鳴り声は一端ですね。気に入りました」


 ハニーをからかうその声はひとしきり笑うと、焦らすような間をたっぷり取ってその男はハニーを迎えいれた。


「ようこそ、地獄へ。歓迎しますよ?………血に濡れた女王様?」


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