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黎明の刻4

 冷たい石の床に座り、ハニーは拘束された手で自分自身を暖めるように抱きしめた。

 外からは騎士たちの話し声が微かな風の音と共に聞こえてくる。

 彼らは塔よりも離れた場所に幕を張り、今宵の寝床としているようだ。

 塔の前には門番一人置いていない。

 たとえ石の壁一つ隔てていても血に濡れた女王の側にいたくはないのだろう。

 実態は何の力もない、ただ乙女なのに。

 僅かに聞き取れる声はどれもハニーに向けた嘲笑で、蔑みだった。自分は悪魔など怖くないと強がった罵声がそれに混じる。

 そのどれもがハニーの耳には白々しく聞こえた。本当は捉えどころのない恐怖に襲われ、ハニーのことを恐れおののくほどに畏怖しているのだと彼女は知っていた。


 だからこそ、この状況はハニーにとって好都合だった。

 今、ハニーの持てる武器は唯一、ブラッディー・レモリーに着せられた汚名のみ。

 彼らがハニーを侮り、畏怖し、遠ざける。彼らとの距離が遠くなればなるほど、ハニーに与えられた運命の時が確かなものになる。

 

(逃げるなら、今しかないわね)


 ハニーは圧迫された暗闇の中で小さく微笑んだ。

 『嘆きの塔』について、ハニーもある程度なら知っている。

 この塔がいつからこの森に佇んでいるのかは知らないが、長い歴史の中でこの塔は聖域のための牢獄として使用されてきた。

 表向き、聖域は牢獄とは表現しない。

 懺悔と改悛の場――――異端の思想に取り付かれた司教や神の教えに背いた者を是正するために、塔は存在するという。

 自らの過ちに気付いた者は塔から出ることが許され、新たな人生を歩むことができる。

 ただ、この『嘆きの塔』は世界に散らばる聖域の塔の中でも異質だ。

 鬱蒼とした森に囲まれ、ただぽつんと立つこの塔は聖域から一番遠くにあるためか、過去、他の塔には収容できない罪人を多く受け入れてきた。

 そしてその全てが塔に入ったが最後、罪人は二度と日の目を見ることはないという。

 一度入れられたら最後。

 看守一人もいないこの塔でただ飢えて干からびるのを待つのみ。

 世間がその者を忘れるのをただ静かに見つめる塔。死に行く者の嘆きが聞こえるから嘆きの塔と呼ぶのだそうだ。


 自分もこのままこの塔につながれ、誰にも知られずに死んでいくのだろか。

 何も見えない闇の中でハニーの心には滲むような恐怖が湧いてくる。

 過去、ここに囚われて悲痛な叫びをあげながら死んでいった者の亡霊に囲まれているような薄ら寒さに身の毛がよだつ。

 

(大丈夫、彼らは私に手は出せない)


 騎士らの目的はハニーを聖域まで移送すること。

 ハニーはまだこの塔では死ねない。

 かつての塔の住人と同じ道を歩む訳にはいかない。

 だが、今のハニーはあまりにも危うい場所に立たされ、運命を綱渡りしていることに違いはない。

 いつ、その存在をなかったことにされるのか。それは死よりも恐ろしいことのように思えた。

 

(何か、いい方法はないかしら?)


 ハニーは外に気づかれないように、そっと塔の内部を歩いてみた。

 拘束された手で、そっと壁を撫でて進む。

 硬質な石のひんやりとした感覚にまるで石にさえ拒絶されたかのように感じてしまう。


(どこかに秘密の出口があれば……)


 焦燥感ばかりが胸を駆け巡る。

 閉ざされた視界に今もくっきりと焼きついているのは、血の海に浮かぶ誰よりも愛しい人。


(戻らなきゃ。聖域になんて行ってる暇はない)


 そう、誓いを新たにした瞬間だった。

 触れていた石の壁の一部がずりっと奥へと動いた。

 不自由な体がバランスを崩し、張りつめていた何かがプツンッと切れた。


「えっ――――」


 吐息のような声が飲み込まれた。

 足元から突風が押し寄せる。真っ暗な世界が激動した。腹の底から何かが込み上げるような気持ちの悪い感覚が広がる。

 自分が地下へと落下しているのだと気づいた時には、全てが手遅れだった。

 暗闇から更なる深遠の闇に突き落とされ、見えない恐怖に体が強張る。

 その身を切り裂く風の音がハニーにはまるで重々しい葬送歌に聞こえた。泣き叫びたいのに、急激な環境の変化に自分の体がついてこない。


(このままでは死んでしまう!)


 やっと理解できた状況は絶望的な展開だった。

 まさかこの塔にこんな仕掛けがあるなんて……。

 こうして今まで多くの罪人が闇に落ちていったのだろうか。

 もう神に祈るには遅すぎる。今はもう、この奈落の底がハニーを優しく抱きとめてくれることを願うばかり。

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