黎明の刻2
「これ、効くんだよ?」
極めつけの台詞に、ハニーは二の句が告げられない。
うろたえて、あわあわと動く口で何かを告げようとしたが、空回って言葉にならない。
じんわりと熱い額に手を当て、自分を見つめる熱っぽい瞳を見かえすのみ。
余裕も返す言葉も見当たらないハニーと、片やそんなハニーの挙動を楽しんでさえ見える余裕に溢れたエル。
どっちが子どもなのかと疑いたくなるほどだ。
「む~将来が不安なほど天然のタラシね」
思わずときめいた自分に嫌気が差し、ハニーは拗ねるようにエルから視線を外した。
はあっと腹立たしげにため息をつくと、側の石棺に背を預ける。
「なにか言った?」
側ではエルが愛らしい顔を更に愛らしくして微笑みかけてくる。
その絶妙な笑顔はまるでそうあるのが当然とばかりに美しく、ハニーの心を揺さぶる。
(く~なんて可愛いの?っもう狙ってやってるとしか思えない!)
「知らない!」
不思議そうに目を瞬くエルに、ハニーは少し怒ったように答えるとそっぽを向いた。
だがすぐにつんっと遠くに向けた金色の瞳には迷いが生じ、ちらりと側のエルを窺う。
エルはハニーが何故こんなにも怒っているのか分からないと、目を伏せ落ち込んでいる。
これこそどっちが子どもか分からない。
ハニーは自分の浅はかな行為を恥じ、エルに向き直った。
「………えっと、エルが気にすることじゃないのよ。これは全部わたしの勝手な気持ちなんだから。あのね。わたしはこの通り、超がつくワガママで自己中心的な人間なのよ。だからよく一緒にいる人を辟易させるの。でもわたしは性格が捻くれているからそんなことでは落ち込まないし、反省もしない。こうなったらとことん自分らしく生きてやるって開き直っちゃう。……よく怒られるんだけどね。だからさ、何が言いたいかというと………エルも自分の思うように振舞ってくれたらいいってこと。わたしはわたしらしく、あなたはあなたらしく。エルはわたしに気を使わなくていいのよ」
「僕は僕らしく……」
理解できないのかエルは目を見開く。
衝撃を受けたのか言葉なく、エルはハニーを見つめてくる。
今度はハニーが理解できないと驚かされる番だ。
「それって命令なの?」
「命令?何よ、それ!そんな漠然とした命令なんてしないわよ。わたしとあなたは、友達でしょ?友達は命令なんかしないわ。でもそうね。もし………もしわたしがあなたに命令することがあるならばそれは…………――――きっと、最後の時よ」
切なげに目を細めた。痛々しい体をぎゅっと抱きしめる。そうでもしないと、全てが崩れてしまいそうだった。自分自身も、世界も全て。
そうあまりに穏やかな空気に忘れそうになるが、ハニーは今誰もが恐れる血に濡れた女王なのだ。
エルと一緒にいるこの空気があまりに心地よくて、さっきまでの凄惨な出来事を見ないようにしてきたが、しかし肩にある生々しい痛みがハニーに現実を突き付ける。
そう―――ハニーは聖域に追われる罪人だ。
世界を敵に回し、聖十字騎士団に追われ、それでも果たさなければいけない使命を抱えている。いつまで一緒に行動できるか分からない。
いずれ訪れるその時は、この優しい少年を置いてハニーは戦場に身を投じる瞬間だ。
この穏やかな時が優しいほど、訪れる運命の時が過酷になる。だがこの一瞬があるからこそ、ハニーは次の一歩を踏み出せるのだと身をもって知った。
だから………。
「そう。だからこれはね、わたしの希望なの。夢で期待で……う~ん?なんて言えばいいのかしら?」
ハニーは上手に表現できないこの想いをはがゆく思った。
別れの時は確実に訪れる。しかし、どうかその時までは王と平民という垣根を越えて、ただのハニーとエルという友達でいたい。
「そうね。簡単にいえば友達へのお願いよ」
「お願い……」
「こうあってほしいなって細やかな願い……って、なんでそんなに難しい顔で考え込むのよ」
言葉を切って考え出したエルにハニーはむっつりと眉を寄せた。
けしてエルが理解できないような言葉で話した覚えはない。それを何故理解に苦しむと顔をしかめられなければいけないのか。
じっと自分を見つめてくる少年は大人びた気難しげな顔になったかと思えば、急に子どもらしい戸惑いをその愛らしい顔に浮かべる。
出会った時は感情の欠片もなかった少年が今はコロコロとその表情を変える。
側で彼の変化を見つていると、ついハニーの表情が緩んだ。さっきまでのむすっとした顔が解けて、ハニーは胸に込みあがる愛しさを感じた。
記憶がないこの少年は、孵化したばかりの小鳥のようだ。
懸命に自分の体についた殻を払い、世界に目を向けようとしている。
「ふふ。淡い期待よ。ずっと一緒にいれたら幸せなのにって願わずにいられないのと同じように……だから、お願い。あなたはあなたらしく生きてほしい。…………さあもう夜も更けてきたし、移動するのは明日の朝にしましょう」
そう言って話を切り上げ、二人は身を寄せ合って眠りについた。
疲れきった体はすぐに眠りの波に沈み、もう指先一つ動かすのも億劫だ。よく考えれば、離宮を離れて今までまともな休息をとっていない。
体も心も限界を超えていた。
本当は今の間に考えておなかければいけないことが多々ある。だが一度ハニーの元を離れた意識はもう手元には戻ってこない。
その途切れ行く意識の中、誰かに話しかけられたような気がした。
「それは君次第だよ?」
あれは誰だったろう。
あの、穏やかさの中に紛れてこちらを揶揄する、あの独特の雰囲気。
そう、あれは……。
思い出した時にはもう、彼女は深い眠りの淵に落ちていた。