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孤高の王子6

「失礼、両王子殿下」


 二人のやり取りに水を差すように言葉を挟んだのはハールートだった。

 明るい栗毛の髪を撫でつけ、その上に司教の証である白のカロットを被っている。

 人当りのいい瞳を優しく和ませた。

 レモリーなき今、彼以外に頼れる存在はいない。

 気持ちに反して弟に向けていた柔らかい表情を一変させ、ウヴァルは表情を凍りつかせた。

 何故なら姉なき今、彼がこの国の国主だから。

 その重責が彼の心を頑なにさせた。


「何だ?マールート大司教殿」


「扉が開いていたもので勝手に入りました。お許し下さい。早急にお伝えしたいことがありましたので」


 丁寧な物腰、活舌よく滑らかに語られる彼の声は流石、人に説法を説く司教だと思わされる。

 そっと腰を下ろし、頭を垂れた彼はウヴァルの言葉を静かに待っている。


「話せ」


「…はい、女王陛下の行方について……」


 ウヴァルの表情を窺うように、ハールートはおずおずと言葉を続けた。

 ウヴァルの表情に一瞬狼狽が見られたが、すぐにきっと口を結んだ。

 冷静さを取り戻した眼差しで先を促す。


「残念ながらまだ確保には至っておりません。ただゴモリの森付近で女王のような風貌の女を見つけたとの目撃情報が寄せられています」


「そうか」


 抑揚なく頷き、ウヴァルはごくりと唾を飲んだ。

 何故血に濡れた女王の話を聞くたびにこんなにも喉が焼けるほどに熱くなるのだろう。


「それと……」


 言いにくそうにハールートは言いよどんだ。

 ウヴァルは自分の感情の迷いを読まれないように、瞳を鋭くして先を促す。


「話せ。俺は今、お前以上に信用している者はいない。お前にはそれに報いてほしい」


「それは………もったいないお言葉です。それでは先ほど伝令が来ました。聖域は各国に聖十字騎士団の派遣を要請したようです」


 聖十字騎士団。

 その言葉に、ウヴァルは戦慄した。

 聖域はレモリー・カナンをけして逃さないとその意思を明確にした。

 確実に、何があろうと血に濡れた女王を聖域に連行するつもりだ。

 聖域の決定は世界の絶対。

 もうウヴァルではどうしようもないところまで姉は離れていってしまったのだ。


「そうか…」


 ポツリと呟くと、ウヴァルは灰色の空の方に視線を向けた。

 今にも泣き出しそうな空だ。

 しばし言葉なく佇む彼の横顔をハールートもまた、なんと言葉をかけてよいか迷っていた。

 不意にその口が開く。

 ただ眼差しだけは窓の向こう、鬱蒼と広がるゴモリの森を見つめている。


「彼女はどうなった?」


 一瞬ウヴァルの質問の意味が分からず、ハールートは言葉に詰まった。

 だがすぐにレモリー・カナン以外にウヴァルがその容体を気にする存在に思い当たった。


「………マリス・ステラ王女殿下でありますか?」

 

 ウォルセレン王女にして、聖域にも認められた存在―――マリス・ステラ・オブ・ウォルセレン。

 見る者全てが見惚れる、心優しき美姫である。

 彼女はレモリー・カナンの唯一の友であり、ウヴァルにとっても大切な幼馴染だ。


「彼女にもしものことがあれば、ウォルセレン王家は黙ってはいないだろうな。……ああ、そんなことは関係ない。彼女は昔からの友人………いや、俺の大切な人だ」


 掠れた声に込められた情熱を感じ、ハールートはただ申し訳なさそうに顔を俯かせた。

 どれだけ王女の現状を聞かれても、彼女の命が風前の灯である事実は変わらない。

 しかし今は真実をこの憂いの王子に聞かせることは憚られた。


「今はただ安静にと………。深く胸を刺されております故、まだ予断は許されない状況です。あの状況で息があっただけ奇跡のようなもの」


「医者には全力を尽くすように伝えろ」


「もちろんでございます。それにエリカ嬢が常時お側に付き、献身的にお世話してくださっていますゆえ、必ず回復いたしましょう」


 強張った声にウヴァルの抱えるものの重さを感じたハールートは少しでも彼の憂いが晴れるようにと力強く頷いて答えた。

 不意に出た名前にウヴァルは小さく眉を寄せる。

 エリカ・ミルトレは先日忽然と消え失せたミルトレ公の一人娘だ。


「………親も家もないのに気丈なものだ」


 ポツリとウヴァルは呟いた。その仮面のような青白い顔には何の表情も浮かんでいなかった。


「ええ、淑女の鑑のような方です。彼女こそ聖女だ。私も彼女とともに祈りを捧げましょう。王女殿下を救ってくださるようにと」


 そう言うと恭しく頭を下げ、ハールートは部屋を立ち去った。

 ウヴァルは何も言わずに背中で彼を見送る。

 血に濡れた女王を追っている自国の騎士団からの情報は未だ届かない。

 そして各国の騎士団が続々とこのエクロ=カナンに入り込んできている。

 幾重にも折り重なり、運命が彼を翻弄する。

 ウヴァルの心は不安と焦燥に駆られていた。

 本当なら泣き叫び、自ら命の淵を彷徨う、麗しい思い人の手を握って励ましたい。

 しかし次代の指導者となるべく彼には叶わぬ望みだった。

 今はただ、気まぐれな運命に祈るばかりであった。


 

 血に濡れた女王の帰還を待ち続ける高潔の王子。

 事態は彼の思わぬところで奏でられ、全てを飲み込む。

 不条理な世の奔流に晒された美しい姉弟に待ち受けているのは天使の泡沫か、それとも悪魔の些末か――。

 

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