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孤高の王子4

 ハールートは素早く、そして抜かりなく行動に移った。

 エクロ=カナンから聖域のあるエストロイムに向かうにはウォルセレンを真っ直ぐに突き抜けても6日はかかる。

 いくら聖域への使者であっても不穏と見做され、方々で足止めを食うわけにはいかない。また事の重大さ故に聖域以外の協力者も必要だった。

 そこでウヴァルは旧知の仲であるウォルセレン王を頼みとし、内密に聖域との橋渡しを頼んだ。

 驚きつつもウヴァルの報告を受けたウォルセレン国王が取り計らい、聖域へ最短で書簡を届けることができた。

 計画は予想以上にスムーズに進んだ。

 ウヴァルの想像とかけ離れたところで。

 計画の綻びの一つは、ハールートの秘密文書を読んだ聖域を仕切る高位枢機卿たちがレモリーの悪魔崇拝という言葉に色めきたったことだ。

 彼らは今が自分の地位を確立するチャンスとばかりに、我こそがその重大な役割を負うと息巻いたのだ。

 他の枢機卿や司教たちは何も知らされていなくても、その不穏な空気に敏感になり、思い思いに身勝手な噂を流す。

 そして一番の想定外は、どこからか話を漏れ聞いたウォルセレン王の一人娘マリス・ステラ王女であった。



 そう――――彼女こそ、レモリー・カナンの唯一無二の親友。




 突如ゼル離宮に幽閉され、程なく現れた大勢の枢機卿にレモリーはただただ言葉を失っていた。

 その場でレモリーの身のあり方についての審判が行われる予定であった。

 恙無く、秘密裏に行われるはずだった審判――……それを乱したのはその場に突如現れたマリス・ステラ王女だった。

 親友の窮地に、心優しい彼女はいても立ってもいられなくなったのだろう。

 父王に内緒で馬車を駆り、今まさに行われている審判の場に踏みこんだ王女が見たのは、穏やかさの欠片もなく美しい髪を振り乱した悪魔だった。

 それは変わり果てた親友の姿。驚き立ち尽くす王女の顔をウヴァル自身も同じ心境で見つめた。

 審判の場に連れ出されたレモリーはかつての穏やかな面影など嘘のように変貌させ、その場にいる全ての者を射殺さんと狂気に染まった瞳を燃え上がらせていたのだ。

 これぞ血に濡れた女王――――かつてのレモリー・カナンを知る者には信じられない姿だった。

 諦めにも似た心地で茫洋と見つめる先を重い足取りでレモリーが進む。

 嗚呼、姉は悪魔の化身となったのだ………。この時初めてウヴァルはそう確信した。だが心が枯渇し、映し出す現実をうまく受け入れられない。

 もうどうすればいいのか自分にも分らなかった。

 立ち尽くし、縋るようにその変わり果てた姿を追う。



(……姉さん……俺は…………)


 心の葛藤が口をついて現れた時、血走った瞳がウヴァルのそれとぶつかった。

 似通った色合いの眼差しが絡まり合い、爆ぜた。


 そして……………悲劇が起きた。


 それは一瞬の出来事。恐怖と絶望に手足を絡められたウヴァルには止める間もなかった。ただ息を飲む。

 焦燥にかられた青銀の瞳が映し出したのは悪魔が羽化する瞬間だった。


「……我は悪魔の女王っ!人ごときが裁くなど愚劣の極み。神を以てしてもこの血を贖うことはできまいっ!」

 

 レモリー・カナンは血に飢えた獣のごとく激昂した。

 そのドレスに隠し持っていた剣を素早く取り出すと天高く掲げる。窓のない広間で研ぎ澄まされた切っ先が妖しく輝いた。

 妄執に囚われた瞳は、切っ先の向こう―――壁にへばりついた聖職者たちに向けられている。

 まるで悪魔に捧げる生贄を探しているかのようだ。

 レモリーはその場にいる者全てを悪魔の生贄にささげんとばかり切っ先を躍らせ、構え直した。

 カチン―ッと硬質な音が宙に響く。それは運命の鐘の音。もう誰もこの狂気からは逃れられない。

 妖しく歪んで尚美しい顔が流麗な笑みを浮かべた。


「……愚かで哀れな者達よ―――………この私に、そして私の全てに手を出したこと、後悔するがいい。其は万死に値するっ!」


 血に濡れた女王の長いドレスの裾が大きくはためいた。凍りついた広間を疾風のごとき駆け抜けると、居並ぶ聖職者たちに襲い掛かった。

 静粛な審判の場が突如阿鼻叫喚と化す。

 逃げ惑う枢機卿。立ち竦むウヴァル。青銀の瞳が赤く染まっていく。

 世界が歪む。

 耐えきれず綻び出した自分の理性をなんとか留めながら、それでも目の前の圧倒的な存在を前に足が動かない。

 血に濡れた女王にはもはや慈悲などなかった。

 次々とその場にいた者に襲いかかろうとしたレモリーが次の標的に捉えたのはウヴァル。

 彼と同じ色をした瞳が一瞬、複雑な光彩を放った。

 振り上げられた剣。

 ウヴァルはただ降りくる運命だけを見つめていた。このまま最愛の人に殺されてもいい。そう思うと嵐の海のように荒れた心が平静を取り戻す。

 そっと瞳を閉じ、苦痛の先にある天上の世界を思った。


「……ダメッ!」


 遠くで聞き慣れた珠のような声が聞こえた。だがいつも以上に切迫したその声から一瞬誰だか分らなかった。

 その声に被るように何か分厚いものを一気に貫いた、鈍い音が鮮明に頭に響く。

 同時にドスンッと崩れ落ちる音がした。その後には痛いほどの沈黙が世界を覆う。

 ゆっくりと瞼を上げ、ウヴァルは驚愕した。その青銀の瞳が見つめる先―――世界が変わっていた。


 驚きを浮かべ、血の海に平伏した美しき人。

 その側に立った真っ赤な女。


 信じられない。

 何故こんなことが………。

 全てを失った彼の見つめる先で世界は目まぐるしく変わっていく。

 たった一人取り残されたウヴァルの前にいるのはもう彼の知っている最愛の姉ではない。

 それは血と狂気に染まった悪魔の女王。真っ赤な血の海に佇み、彼女はその場にいた者を見渡した。


 そして一際通る甲高い声で叫ぶ。


「この身が血で染まろうと腕が捥げようと構わない。我こそは血に濡れた女王!この思い果たす為なら悪魔とだって契約しよう!」

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