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孤高の王子1

 深き森の側に佇むゼル離宮の一室。

 薄暗いその部屋でエクロ=カナンの第一王子、ウヴァルは愁いを帯びた瞳を窓の外に向けた。

 空はどんよりと曇り、くすんだ灰色が城に重くのしかかる。

 微か空から届く霞んだ光のみを頼りに、眼下に広がる鬱蒼と広がる忘却の森を見つめていた。


 宝玉のような硬質な雰囲気を持つ、端正な顔立ちの少年であった。

 エクロ=カナンの民の特徴を色濃く受け継ぐ白銀の髪と銀がかった青い瞳を持つ。

 静謐とした湖沼に咲く水仙のように清浄で麗しい容貌と細身の体躯は少女のように繊細だ。

 しかし危うげな魅力を持った十六の少年の顔には王族たるに相応しい気高さがあった。

 その高潔な表情には大人に成りきれていない不安定さ故、他に染まることを厭う潔癖さが窺える。

 長いまつ毛に縁取られた瞳は切れ長で、静かに燃える信念の炎を宿していた。


 その側には寡黙な青年侍従が控え、主の言葉をただ静かに待っていた。

 まるで空気のようにその場に溶け込んだ侍従にウヴァルは話しかける訳でもなく、ポツリと言葉を漏らした。


「姉さんはどうなっているのかな…?」


 苦痛な表情と共に吐き出された独り言には彼の悲痛な叫びが含まれていた。

 視線はまだ灰色の空の下、不穏な風に吹かれる深淵の森に向けられている。

 ウヴァルは何気なく口に出た言葉に一瞬驚いたように、その瞳を揺らした。

 それは彼の意図したものではなかったのだろう。

 しかし一度口から出たものは取り消せないとばかりに自嘲気味に口の端を上げる。

 今にも雨が降り出しそうな空のよう、彼もまた不安定だ。

 侍従はただ黙して、目を伏せるのみ。

 薄暗い部屋に細長い侍従の影が映り、部屋の隅まで伸びて闇に溶け込んでいた。

 彼はその何も映さない青銀の瞳で闇を見つめている。

 ウヴァルは侍従の答えなど求めていないのか、自らの心情を吐露するかのように独白を続ける。

 ウヴァルが抱えるには、この一連の騒ぎはあまりに大きく底の知れない闇に包まれていた。


「どうして、こんなことに……。こんなつもりじゃなかったんだ」


 泣きそうなほど悲痛な声。

 曇った空の所為か、いつもより顔色をなくした頬がげっそりとこけて見える。伏せる長い睫毛の影が青白い肌に映った。

 表情は変わらずとも、彼が抱えるものの大きさが窺えた。

 胸に溢れるその感情を抑えるように自分の胸元を掴み、ウヴァルは深く苦しげな息を吐いた。



 目に浮かぶのは、自分の名を呼ぶ姉の目映い笑顔。

 脳裏に焼きついた光景が目の前に広がる度に胸の奥で何かが千切れるように暴れる。

 心に蓋をしても、ふとした拍子にあふれ出てくるこの感情はなんと表現すればいいのか。

 懐かしさか、それとも親しみか………。

 いや、それだけではないと、ウヴァル自身よく知っていた。

 情熱よりも熱く、慈しみよりも深い愛情―――それは姉への憧憬と慕情。

 敬虔な巡教者が、神の愛を疑わぬように。

 そしてその絶対的な存在の前にその身の全てを預けるように……。

 ウヴァルにとっての神は、姉だった。

 それ以上など考えられない、至高の人。

 しかし幼い子どもならまだしも、大人になるにつれ理性がその感情に迷いを抱かせる。

 誰に言えるだろうか。

 姉に恋焦がれているなど。

 どれだけ自分自身に否定してみても、この胸に焼きつく思いは消せない。

 答えを探して、深い闇の中を堂々巡りし続けてきた。

 一度は姉の側を離れようと考えた。しかしまた次の瞬間、自分に向けられるその笑顔に離れがたい思いに駆られて、結果何も変わらない。


 しかし……あの瞬間、その道が不意に途絶えた。

 運命は非情な腕で彼と敬愛してやまない姉をあっさりと引き離してしまったのだ。

 あっという間に遠くへと行ってしまった彼女を前に、彼はその絶壁に立ってただ呆然とするしかできなかった。

 どれだけ後悔しても、今、彼の側にあの目映い人はいない。


「本当に俺は……こんなつもりじゃ……」


「しかし、ウヴァル様」


「分かっている。分かっているんだ、アスター」


 俯き、肩を震わせると絞り出すような声で侍従の言葉を遮った。

 しばしの静寂。

 全ての痛みに耐えるようにウヴァルはぎゅっと身を縮こまらせる。

 自分自身を抱きしめるように両手で覆う。

 それは神から見放された哀れな迷い子のようだった。迷い子は自分の行き着く先も、懺悔を乞う言葉も知らない。

 ウヴァルは自分の中の負の感情を必死に押し留めていた。

 こうでもしないと気がふれてしまうのだろう。

 抱え込んだ感情を全て飲み込むように静かに息を吸うと、ウヴァルはゆっくりと顔をあげた。

 その顔から苦悩や悔恨の情は窺えない。

 深く重く輝くのはエクロ=カナンの王族の青銀の瞳。

 静かに揺れる情熱の炎を宿した瞳が全てを貫くかのごとく前を見据えた。

 硬く結ばれた口がゆっくり開く。

 その堂々とした姿はまるで威厳に満ちた為政者のよう。


「全てはこの国の為、そして姉さんの為だ」


 だが、その声はどこまでも硬く、無情の響きを宿していた。

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