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廃墟の天使8

「何処へ行った!ブラッディー・クイーン!」


 石棺の並ぶ広間に鋭い声が響いた。押し寄せる騎士団の足音はこだまし、激しい耳鳴りがした。

 だがここで怯んでる間はない。

 偶然とはいえ紙一重で繋がった命だ。なんとか持ちこたえないと、次はもうないかもしれない。

 素早くハニーは小さな暗闇に身を滑り込ませた。

 それに続いて入り込んだ少年の柔らかな体を抱きとめ、光に蓋をする。

 闇は深く、その果てがすぐ側にあるのか、それともずっと最果てまで続くのかも分からない。

 祈るようにただ少年を抱き締め、息を潜めた。


「出て来い!ブラッディー・クイーン!!」


 闇を通して響く怒声に身を隠したハニーは体をびくりと竦ませた。

 その体に安堵を与えるように少年が優しく寄り添う。

 二人の頭上にある蓋が騎士達の叫びで振動し、小刻みに揺れた。


「どっちに行ったのだ?」


「くっそ!外に通じてるじゃないか!」


 進むべき方向を失った騎士団の戸惑いの声がくぐもって聞こえる。

 ざわざわと騎士団の声や踏み鳴らされた石の床と甲冑の擦れる音が幾重にも重なって狭い空間に響いた。

 その雑音の中、一際流麗に響いたのはあの異端審問官の声だった。


「石棺の中…ということも考えられるな」


 どちらへ進んでいいのか分からない騎士団とは違い、彼の声はどこまでも落ち着いている。

 まるでハニーの姿が見えていて、それでなお焦らすように言葉を遊んでいるかのようだ。

 ハニーは聞こえてくる冷徹な声にビクリと体を震わせた。


(やめてよ!!!変に頭使って格好つけて!!ブラッディー・クイーンはもうこの場にはいないのよ。早くどこかへ行って!)


 暗闇の中で必死に祈った。

 サリエはカイリの数倍頭が切れる。

 勇猛ながらも単純で人の良さそうなカイリと違い、冷酷が服を着ているかのような彼はハニーの言葉や命乞いに耳を貸すこともなく、一片の躊躇なく刃を向けるだろう。

 それこそさっきハニーに剣を振り下ろしたあの騎士のように……。

 あの鬼気迫った眼差しをハニーは一生忘れることができない。

 湧き起こる恐怖を飲みこもうと、無意識に喉を鳴らしてしまう。慌てて息を潜め、自分を追い込む恐怖に戦慄した。

 闇の向こうから聞こえるもの音だけが彼女の全てだった。

 闇は恐怖ばかりを煽り、ハニーから五感を奪っていく。


(早く行ってったら!)


 祈りに反して、じゃりっと砂を踏む音が近くでした。

 冷や汗が背を伝う。震える体を押さえつけるように、狭い空間で体を抱きしめる。


「隠れるなら、どの石棺を選ぶか」


 まるでハニー達が隠れている場所を知っているような口ぶりだった。

 抑揚ない声がハニーの頭上にあった。

 じらしてじらして、一番恐怖に包まれた瞬間に見つけてやろうというあくどい意図があるように思えてならない。

 彼の足音は彼女の側を離れようとしなかった。

 ゆっくりゆっくりと石棺の周りを歩いているのか、何度も土を踏む音が聞こえる。

 耳に土を擦りこまれているような生理的に受け付けない音に身の毛がよだつ。


(どこまで陰険な男なの!足音すら嫌味に聞こえる)


 生きた心地がしない。あまりの緊張に体が引きつる。張り裂けそうなほど心臓が高鳴る。


「ん?これは血の跡か?」


 バサッと床にマントが落ちる音がした。


(終わった!)


 暗闇の中で無情を知った。

 もう傷口から血は出ていないが、入りこむ時にこの血染めの服が擦れたのかもしれない。

 まさか自分の血液一雫に足元をすくわれるとは……。

 枯れた心からはもう涙も出ない。


「面白い。どこまで逃げ切れるか」


 死の宣告のように冷めた抑揚のない声だった。

 それと同時にズリズリと重たげなものが擦れるような耳障りな音が響いた。


(石棺を開けようとしてるの?)


 暗闇でそれを聞くハニーは気が気ではなかった。

 ずらされる音が響く度に心臓は早鐘を打ち、血が逆流するかのような恐怖が押し寄せた。


(やめて!もうそれ以上は…ねえ!お願いだから!!)


 しかし石棺を開けようとする音は止まらない。


(神様!)


 眼を瞑り、両手を合わせた瞬間だった。

 不意にその音が止まった。祈る手をそのままに暗闇の向こうを見上げた。

 暗闇の向こうでは相変わらず騎士達の雑音が聞こえる。

 しかし身を切り裂くような、あの石棺をずらす音は止まっている。


「かなり重いな。いくら悪魔に憑かれていても女の非力でこれを開けることはできまい」


 物静かに、だがハニーの耳には鮮明にその声が聞こえた。

 さっきまで憎悪さえ感じた、響きだけは美しい声に心底安堵してしまった。

 思わず嗚咽がこぼれそうになる。それを懸命に耐え、サリエたちの声に耳をそばだてた。


「カイリ隊長、あいつはここにはいない。この神殿にいると見せかけ、多分壁のない横から外に逃げたんだろうな。ほら、ここから向こうへ幾つか血痕が点在している」


「まことか!流石司教殿!」


 サリエの側でカイリの感心する声がした。


「そうと決まれば…全員あちらだ!北へ向かえ!賊はそちらに逃げた。けして逃すな!悪の芽を摘み取るまでは安心するな!!」


 カイリの猛々しい声が闇すらも震わした。


「…どこまでも芝居がかった男だな。間抜けが小さな事柄に興奮して、何時まで持つやら……」


 カイリに合わせるように駆ける騎士の大群の轟音の中、サリエの鼻で笑う声がした。

 だが、騎士団の絶叫に飲まれ、その声は彼女には届かなかった。


「それはあの女も一緒か――」


 嘆息と共に被りを振ったサリエの顔に浮かんだその表情など、暗闇で身を震わせるハニーには到底分かるはずもない。


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