廃墟の天使7
金色の瞳が見つめる先でズズッと空気が裂けた。
ドォンッッッッッッッッッッ―――――――――――――ッ!!!!!
物々しい地響きが騎士達の地鳴りすらを飲みこんだ。それはまさに大地の叫びだ。
腹の奥底に激震が響き、光すら震撼させて天井が崩れた。光と共に礫の雨が降る。怒号が悲鳴に変わり、神殿は瓦礫と化した。
長い間眠りに就いていた神殿が、無礼にも土足で上がり込んできた侵入者に怒りを極めたのだ。
ここが地獄ではなければ、どこを地獄と呼ぶのだろうか。
神の怒りだと言わんばかりに降り注ぐ石の塊は人の倍の大きさもあり、食らえば一溜まりもない。
床に尻もちをついたまま、ハニーは茫然と亀裂の走った天上部分を見つめていた。
ここはもうずっと前からここは砂の城のようにもろく危うい状態のまま、その姿を永らえてきたのかもしれない。
天井が裂けるのに合わせ、幾筋もの亀裂が壁面を這っていく。中央の石台に添っていた柱が事態を支え切れず、その身を擡げ倒れゆく。
それはこの世の終わりを意味していた。
立ちあがらなければとハニーの冷静な部分が声を高く語りかける。だが鼓動さえも凍りつき圧倒されて、体はもはやハニーの意志だけでは動かなかった。
このまま騎士団をも巻き込んで、深い森の廃墟に消えるのが自分の末路なのだろうか。
その視界にはもうサリエはいない。あの少年も見えない。ただ絶叫し逃げ惑う騎士達の姿。その頭上に無情な神の采配が下る。
(次はわたしか……)
その手を誰かが掴んだ。
「こっち!」
驚き振り返ったハニーに構わず、その手は彼女を必死に引き上げようとする。
力強い響きを持ってハニーを導くのは小さな手。
何故、彼がここにいるのだろう。そんな疑問さえ湧いてこない。目的を失った気弱な金色の瞳が眩く揺れる金髪を追う。
その間も無数の瓦礫がハニーを押しつぶさんと降り注ぐ。
ただ、引かれるままに体に鞭を打ち立ち上がった。
目の前にあるのは自分の半分ほどの大きさの小さな背だった。さっき遠ざかった背がこんなにも懐かしく、胸を締め付けてくるなんて……。
ハニーは自分の手を引き、懸命に駆ける少年の背を追ってすぐ側の通路に逃げ込んだ。礫は深い闇の通路までは届かない。
騎士達も違う通路へと逃げ込んでいる。だが、逃げ遅れた者は………。
ハニーは顔を背けて、ただ少年の金髪だけを見つめていた。白い広間が凄惨な色に染まっていく。
その光に背を向け、自ら深い闇に飲み込まれていく。
ぎゅっと唇を噛みしめた。八重歯が刺さって血が滲んでも力を抜くことができなかった。もし一瞬でも力を抜けば、その場に崩れてしまいそうだった。
ただただ何も見えない空間を駆けた。
背中に感じる光が段々と小さくなり、点となり、最後にはなくなっていた。
聞こえるのは自分の息使いだけ。あまりにも深すぎる闇は自分の鼻先すら飲み込んでいる。ただそれでも前を信じていられたのは、唯一繋がった少年の手のお陰だ。
恐怖のためか、冷たくなった彼の手を温めるようにぎゅっと握りしめる。
「この期に及んでまだ……逃げる気力があるとはな……」
静かな、それでいて事態を面白がっているような隻眼の男の声が不意に聞こえた。
ざわりとした恐怖が湧きおこる。
しかし振りかえる余裕などない。思いのほか早い少年の足についていくだけで彼女は精一杯だった。
後ろに遠ざかる光が恋しく、地獄に堕ちてゆく感覚がする。
二人は暗闇を懸命に駆けた。
息は苦しく、彼女の体はもう限界だった。しかしその足を止めることは全ての終わりを意味している。
暗闇を少年に導かれるままに駆けたハニーがやっと自らの体を視界に捉えることが出来たのは暗闇において何度目かの角を曲がった時だった。
拓けた視界の先に広がるのは先ほどの広間よりも大きな場所だった。
高い天井とそれを支える堅牢な柱。くすんだ灰色の石畳が続き、所々苔むしている。じめっとした森特有の濁った香りが立ち込めていた。
それもそのはず。建物を支える両端の壁はなく、その代わり鬱蒼とした緑の森が遠くに広がっている。
その石畳の上には二列に頑丈そうな石棺が並べられていた。
一列十数個あるだろうそれはどれもびっしりとした苔で覆われ、角は長い間雨風に曝された為か全て欠けている。
目の前に広がるそこはこの神殿の霊安廟か何かだろうか。役目を終えた殉教者達のように永遠の眠りに就いている。
厳かに並べられている石棺に目を見張ったハニーの手を少年が強く引いた。
「ここに隠れよう」
「えっ?」
指し示されたその場所と強い瞳で自分を見つめる少年に彼女は戸惑った。
しかしその背を追うようにまたも怒号が鳴る。
どうやらあの広間を生き延びた騎士団がハニーを追ってきたようだ。今まさに襲いかからんとする騎士団の鬼気迫る雄叫びが近寄る。
押し寄せる死の足音に焦燥に駆られた金の瞳が一瞬揺れた。だがすぐに強い意志に溢れた輝きが灯る。
(迷っている暇はない。わたしには果たさなければならない使命がある)
意を決して、ハニーは頷く。そして余裕のない強張った顔に無理やり笑顔を浮かべた。
「あなたって、不思議な子ね。でも、あなたと出会えてよかった」
「僕もだよ………」
少年は大きな瞳を細め、少し悲しげに微笑んだ。まるで世の摂理を全て悟ったような眼差しを伏せ、儚げに地面を見つめる。
だがすぐに顔を上げると、真摯な瞳でハニーの手を握った。少年は瞳を閉じ、恭しくその手の甲にキスを落とす。まるで清廉な誓いの儀式のようだ。
ゆっくりと顔を上げた少年は深い青の瞳に情熱を灯し、射抜くようにハニーを見つめる。
「貴女が僕の全てだから」