終章~そして、歴史は語り継がれる5
「悪魔の瞳なんて存在しない。元々サリエの両目は色が違うんだ」
ハニエルのところに見舞いに来たラフィが、サリエの陰でこっそりと悪魔の瞳の秘密を教えてくれた。
ハニエルが目覚めてから、サリエは一度しか見舞いに来てくれなかったが、流石はマメ男のラフィだ。
忙しい中でも時間を見つけ、花や菓子を持って訪ねてくれる。
もちろん来る度に、リュートを掻きならし歌まで歌ってくれるのだから、本当に司教なのかと疑いたくなるほどだ。
本物の吟遊詩人になればきっとどこでも引っ張りダコだろう。
それこそ世界を股にかける吟遊詩人になれる。
何度目かの見舞いの時、悪魔の瞳の威力で昏倒したアンダルシアの聖十字騎士団のことを尋ねたのだ。
流石に渦中のサリエに聞くことはできなかった。
するとベッドの端に腰を下ろしたラフィは、少しだけ複雑そうに目を細めて思案した。
しかしその顔はすぐに悲しげな微笑みに変わり、真相を教えてくれたのだ。
そう、悪魔の瞳の正体は生まれつき両目の色が違うだけ、という単純明快なものだった。
どうやって悪魔のような力が目の中に入り込んだのだろうと考えていたハニエルは、拍子抜けしてしまった。
色々と色の違う瞳の意味を考えていただけに、そのあっさりとした真実を簡単に受け取れることができずにうろたえた。
ハニエルの顔を見つめ、ラフィがうんうんんと同調するように、首を振る。
「あの色合いの珍しさや妖しさに、思わず何かを期待してしまう。それは誰だって同じさ。だからなんだろうな、いつしか悪魔の瞳と呼ばれるようになったのは………。悲しい現実だね。誰も自分の理解できないものに名前を付けて納得しようとする」
「……じゃあ、サリエの瞳は………」
「そう、ただの赤い目。おれらの目がヘーゼルだったり、金色だったりするのと同じさ。ちょっと左右で違うだけ。因みに瞳が赤いからって左だけ赤く見えることもないらしい。だから、誰かの命を奪う力はないし、アンダルシアの聖十字騎士団も無事だよ」
「そうなんだ」
ハニエルはちょっと胸を撫でおろした。
いけすかない調子の騎士団だったが、それでも死なれると後味が悪い。
なんだかんだ言っても命があればなんとだってなるのだから、生きていてくれることに越したことはない。
ホッと胸を撫でおろしたハニエルの緩んだ顔に、フッとラフィが笑みをこぼす。
「森の中でおれが言ったこと覚えてない?悪魔の瞳に睨まれて死んだ奴は今までたった一人だけって」
「え、ええ、覚えているわ。でも、その一人は……」
「ふふっ、その一人ってのは、瞳の色じゃなくてサリエのあまりの美しさに眼を奪われたじいさんさ。驚きのあまり壁に激突して、御臨終しちゃったのさ。その死に顔はなんとも穏やかだったらしいぜ?」
笑い上戸の彼は、腹を抱えて笑い出した。
確かにどうせ天に召されるなら、美しいものを見つめて死んでいきたい。
きっとその老人は迷うことなく天国に行けたのではないかと、ハニエルは思った。
「まぁそういう容姿だから余計に悪魔って言葉が馴染んでしまうのかもな」
「そうかも……。わたしも始めてみた時、怖いほど惹きつけられたの。吸い込まれてしまうほどに美しくて、まるでこの世のものじゃないみたいに思えて………」
「まぁそれは素直な感想さ。別に自分を責めることはない。それにサリエは同情なんて必要としてないんだから」
申し訳なさそうに下を向くハニエルの頭をポンポンと優しく叩くと、ラフィはニマリと笑った。
見かえすハニエルは不思議そうに目を瞬く。
「折角だからご希望添えるようにしてみた、なんて言ってたよ」
「ど、どういうこと?」
「あんまりにも悪魔の瞳の噂が独り歩きしてしまって、皆が好奇や羨望や畏怖や蔑みの目で見てくるもんだから、サリエも頭にきたらしいな。ある日、眼力で覇気を飛ばして、人を射竦める技を身につけやがった」
思いもしない言葉に動揺が走る。
あれは瞳の力ではなく、彼の努力の結晶だったのだ。
ハニエルは身を乗り出して、ラフィに縋るように顔を寄せた。
「え……そんなこと、できるの?」
「いや、出来るからアンダルシアの馬鹿どもはサリエに気絶させられたんだろ?どういう仕組みか知らないが、きっと肉食獣が睨みを利かせて獲物の動きを止めるようなもんなんだろうな。ま~そのふてぶてしさがサリエなんだよね~」
そう言って笑ったラフィは少し複雑そうに眉を寄せた。
その顔に紛れこむのはどういう感情なのだろうか。
サリエがどういう扱いを受けてきたか、それを知っているラフィにとって、悪魔の瞳の力はサリエの強がりにしか感じられないのかもしれない。
そんな風に同僚から情を向けられていても、フンッとそっぽを向いているような不遜な男には、絶対に話せない内緒のやり取りだった。
彼の秘密を知ってしまって、次に彼に会う時はどんな顔をしようかとハニエルは考えあぐねていた。
サリエにとって赤い瞳は、重く架せられた業のようなものだ。
きっとあの人を食った性格もあの瞳を持つ所為で、言われなき蔑みを受けた結果、歪んでしまったのだろう。
ならば今までの無礼を水に流し、彼のことを温かく受け止めなければならない。
そう思っていた。
つい先ほどまでは……。