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終章~そして、歴史は語り継がれる3

 ベッドから飛び出し、レモリーに抱きつく。

 レモリーは驚いたように目を見開いたが、すぐに嬉しそうに目を細めてハニエルを抱きしめ返した。

 レモリーは淡い、まるで夜明けの空のような赤色の髪を優しく撫でるとその耳元にそっと囁く。


「ありがとう。愛しい私の半身。貴女はいつでも敏感に私の心に反応してくれる。でも私は大丈夫よ。もう一人で抱え込んで皆に心配をかけないと決めたから。だって貴女がいつだって側にいてくれるから……」


 ねぇ、そうでしょ?――――そう言ってレモリーは淡い赤の髪をかきあげた。

 その下には今にも泣きそうな天の邪鬼がいた。

 いつも全力で誰かに愛を振りまく天使に優しく微笑みかける。

 天使は真っ直ぐに優美な女神を見つめた。

 潤んだ金色の瞳が見つめた彼女は今までよりずっと溌剌としていて、美しかった。

 儚げな月の女王――そう評されていたのは、一重に彼女の我慢と忍耐の結果だったのだろう。

 本当は感情豊かで、大胆で、理知的な人なのだ。


「ハニー聞いて。私は一度死んだわ。あの日、あの広間で、自分で自分の胸に刃を刺して自分を殺した。あれが国を、そして貴女達を守る最善の方法だと、あの時の私は信じて疑わなかった」


 苦渋の選択を迫られた彼女の苦悩を思い知らされる。 

 誰かの為に死を選ぶというのは、何よりも崇高な行為だ。

 気高い彼女なら当然選んだ道だろう。

 人は誰かの為ならば、何者にも負けない屈強な心を得ることができるのだ。

 後はその心をどう使うかである。

 死して、終わらせるか。生きて、先につなげるか。


「いいえ、きっと死んで自己満足のまま終わりたかったのかもしれない。長く煩わされるよりも一瞬の苦痛で永遠の安寧を手に入れるならば………」


 その感情はハニエルにも理解出来た。

 事実、ハニエルも死を望んだのだ。

 死にゆくレモリーをその腕に抱え、こんな冷たい場所にいたくないと切に願った。

 じっと見つめるハニエルを見返し、レモリーが力強く目を輝かせた。


「でも今は違う。どんなに苦しくても生きて、生きて、生き抜いて、その先にある希望を見つけにいかないといけないのだと知った。教えてくれたのはハニー。貴女よ。貴女が私の代わりに血に濡れた女王を演じてくれたお陰で今のエクロ=カナンがある。貴女が守ってくれたこの命を私はもう二度と無駄にはしない。貴女が繋ぎとめてくれたこの国を二度とバラバラにはしないわ」


 こんなにも綺麗な女性だったかな。

 自らの命を全てかけても国を立て直すと誓ったレモリーの清々しい横顔を見つめ、ハニエルは少し嫉妬した。

 いつの間にか自分だけ置いていかれて、彼女が遥か高みに行ってしまったような一抹の淋しさを感じる。

 全てを振り切り、新たな日々に燃える元女王は清々しいほどに堂々としていた。

 彼女が女王の位を降りることが悔やまれるほどだ。

 しかし、全てはレモリーが決めること。

 ハニエルはただ、未来に向かって一歩を踏み出した友人の背を押すように微笑んで頷いた。

   




    *****


「大丈夫かな?」


 懸命にこの国を立て直そうとする親友のその眼差しを思い返し、ハニエルは一人呟いた。

 ここはゼル離宮の客間。

 ハニエルに与えられた寝室は豪華な寝具が備え付けられた、この離宮で一番見晴らしがよく、光に満ちた部屋だった。

 寒々しい石の床の上には暖かな毛長の絨毯が敷かれ、壁には色取り取りのタペストリーがかかっている。

 バルコニーからは、ゴモリの森や離宮の裾野に広がる城下を一望できた。

 ハニエルが寝込んでいる間にもエクロ=カナンは変わっていく。

 サリエとラフィが急場凌ぎで立て直した国家機能は、ハニエルの書簡をウォルセレンに届けたキャメルのお陰で更に確かになっていた。

 どうやらキャメルは城の地下牢を抜けた後すぐ、ラフィの計らいで、ウォルセレンと比較的仲の良いシルビリアの聖十字騎士団に預けられ、無事ウォルセレンまで向かっていたらしい。

 彼女は堂々とウォルセレン王に謁見を申し出て、ハニエルの書簡を渡すとエクロ=カナンの窮状を包み隠さずに上奏した。

 その話を受け、ウォルセレン王は即座に救援物資と応援の騎士団、そして医師や学者、宮臣を派遣した。

 彼女の懸命な努力と、ウォルセレン王の親馬鹿のお陰で、エクロ=カナンは最重要課題の伝染病の対策に本腰を入れた。

 それよりも前、ハニエルが目覚めた日、サリエの小間使いのように酷使されていたカンザスが国を発った。

 ハニエルが目覚めたと聞いて、カンザスは心底嬉しそうに胸を撫で下ろすと、レモリーに言付けを残して、従者を引き連れてゼル離宮を離れたらしい。


「顔見たら離れられんようになるからな。まぁ一回り大きなってからやないとオレも顔向けできひん………でも一言だけ。ずっとその笑顔を忘れずにいてほしい。次に会う時まで………」


 その言葉がハニエルの胸を打った。

 ハニエルが今ここで無事にいるのは、彼のお陰といっても過言ではない。

 一抹の寂しさを感じつつも、しかし、彼はきっと自分の成すべきことを自覚してここを離れたのだと自分に言い聞かせた。

 きっといつか世界のどこかで一回り大きくなった彼と出会うかもしれない。

 それは遥か先の話ではなく、きっと近い未来の話だ。

 そう自分に言い聞かせ、彼らの進む道にそっと想いを馳せる。

 己の道を見極め、ハニエルの側を離れていく人がいる。

 人とはけして、他人と同じ道を歩むものではないのだろう。



 離れていく人がいる中、もちろん、そっと優しくハニエルの側に添っていてくれる人もいる。

 あの地下牢で囚われていたロロンは、意識の朦朧としたまま、キャメルと一緒に一旦ウォルセレンに戻ったらしい。

 だが目覚めた彼は、医者が止めるのも聞かず、ウォルセレン王が派遣した支援団に名乗りを上げた。

 彼曰く、おじょさんが待っているように言ったからおじょさんが来るまで城から離れる訳にはいかない―――。

 それを聞いた時、ハニエルは言葉も出ないほど胸を詰まらせた。

 彼の真っ直ぐで純粋な優しさに触れると、彼を巻き込んでしまった罪悪感が増す。

 自分は彼の優しさにつけ込んで利用しているのだと、自分の汚さが際立って思える。

 だがそれと同時に、一心に自分を思ってくれる彼の一途さにその汚れた自分が浄化されていく気もするのだ。

 今のロロンは、無事ハニエルとの約束を果たし、今は少しましになった腫れた顔で毎日厩舎に行き、ウォルセレンから連れてきた駿馬の世話をしている。

 ある者が何故馬ばかり気にするのだと聞くと、ロロンは屈託なく笑ったそうだ。


「ずっと寝たままじゃ、おじょさんも退屈なのね~。元気になったおじょさんをいつでも外に連れ出せるように、今から準備しとくのね」


 彼らしい真っ直ぐな言葉だ。

 無垢な彼の飾らない姿に、今では多くの者がロロンの隠れファンらしい。

 厩舎に手伝いに来る者も多く、ロロンから馬の育て方を習っている。

 これはエクロ=カナンにウォルセレン軍の強さの秘訣を教えているようなものである。

 きっと数年後、数十年後にはこの小さな一歩が大きな変化を齎すのではないだろうか。


 キャメルは、今は侍女ではなく宮臣として皆の中心に立ち、表舞台に出られない元女王に代わって政務の指揮をとっている。

 小さな彼女が城の中を忙しなく移動している姿は、見ていて微笑ましい。

 大怪我を負い、生死の境を彷徨っていたセオ・オーディンは昨日、目を覚ましたと聞いている。

 だが現場復帰に至るにはまだまだかかるだろう。

 彼の怪我は見た目よりも内面の方がひどいようだ。

 屈強な戦士は今、誰よりも己の至らなさを後悔しているという。


 アシュリは、ハニエルが広間に行く前にラフィによって助けられ、応急処置も受けていたらしい。だが、全て終わった時にはもう姿がなかったという。

 陽の光に照らされた雪の結晶が儚く溶けていくように、アシュリはひっそりとハニエルの前から姿を消した。

 最後に見たあの高潔なアイスブルーの瞳が鮮明にハニエルの脳裏に焼き付いている。

 だからかもしれない。

 ハニエルは、カンザス同様彼女とはまた出会える気がした。

 これは希望ではなく確信だった。



 そして、ウヴァルは……ウヴァルは未だ目覚めない。

 まるで眠ったまま時を止めてしまったかのように、深く瞳を閉じている。

 何故彼が目覚めないのかは誰にも分からない。

 もしかしたら、今彼は自分の中で戦っているのかもしれない。悪魔に負けた己と………。

 ならば、待つ者は彼を信じて祈るだけだ。

 彼もまた、この悲劇の犠牲者なのだ。

 皆、それぞれの道を歩んでいる。

 行き詰まりを感じながら、それでも手探りで何かを探している。

 それが生きているということなのかもしれない。

 一人立ち止まったままのハニエルはフッと息を漏らした。

 あれから10日以上経ち、皆、それぞれの使命を自覚している。

 なのにハニエルときたら、あの日から何も変わらない。

 ずっとベッドの上でぼんやりと空を見続けている。

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