終章~そして、歴史は語り継がれる2
あの日の朝、太陽が昇ってからの話をレモリーは掻い摘んでハニエルに聞かせた。
まず目覚めたのは、ガルシア帝国出身の衛兵カンザスだったらしい。
彼は彼の従者と協力して、まずハニエルを介抱したらしい。
ハニエルよりも重篤な負傷者はその場に放置したままにして。
彼曰く、こんなしぶとい奴らよりもか弱い乙女を先に助けるのが男として常識なのだそうだ。
カンザスはハニエルがただ気を失っていると知ると安心し、それからやっとサリエとラフィの手当を行った。
カンザスは城の食堂から酒をくすねてくると、2人の傷口に酒をかけ、どこかの部屋のベッドのシーツを裂いて、ぎゅうぎゅうと傷口を縛り出した。
流石のレモリーも唖然として、もう少し優しく手当だけないのかと声を掛けたらしいのだが、カンザスは笑顔で、これが一番いい手当てなのだとのたまったらしい。
しかし流石は聖域の司教である。
そんな粗雑な介抱を受けて数刻も経たないうちに意識を取り戻し、素早く行動に出た。
どこまでもタフで、しぶとい司教達だ。
あんな死闘を繰り広げた直後に、今度は頭脳をフル活用して、瞬く間に国家機能を立て直したのだ。
彼らはまず城を囲っていた聖十字騎士団を使って、各方面の警備に当たらせ、物資の搬入を行った。
こうしてエクロ=カナンはなんとか国という体面を保てるまでになった。
だが早い復興の陰で、大きな傷も抱えていた。
騎士団は大半が壊滅しており、その騎士団を纏める立場のセオ・オーディンも死ぬか生きるかの重傷を負っていた。
ウヴァルに苦言を呈していた宮臣の多くが投獄され、また処刑された者もおり、すぐに政務を行うこともできない。
全てがすぐに好転する訳がない。
新しい太陽が昇っても、続いているのは昨日の延長だ。
それでも、一度地獄の底を知った女王は諦めるなどしなかった。
己の過ちを悔い、そして国の再興に向け、寝食を忘れ動き出した。
そして………。
「え?血に濡れた女王は死んだ?」
思いもしない事の顛末をレモリーから聞かされ、ハニエルは度肝を抜かれた。
寝ていたベッドの上でのけぞり、言葉を失う。
しばらくその体勢のまま固まってしまって、元に戻れないほどだ。
その大げさなリアクションに、レモリーは我慢できないとばかりに吹き出す。
申し訳なさそうに肩を揺らしながら、柔らかく瞳を細める。
その顔はさっぱりとしていて、言葉が発する重みなど微塵も感じさせない。
「そう。あの瞬間、血に濡れた女王は悪魔たちと一緒に魔界に消えたの。全ての醜聞も、謎の伝染病も引き連れて……」
まるでとっておきの秘密を打ち分けるように、レモリーは茶目っ気たっぷりに笑いかけてくる。
何故こうも穏やかな顔で、そんなことが言えるのだろうか。
呆然としたハニエルにはレモリーの全てが不可解だった。
「でも、それじゃエルは……」
「ええ、女王のお役御免ね。これで私は晴れて、ただのエルになれるわ。きっとね、これが一番いい方法だと思うの。血に濡れた女王は全ての災厄とともに消えたことにするのが……。そして新たな王が立てるのが一番手っ取り早くてコストもかからないお得且つ全てを一新する最適な方法だっておっしゃったから」
「手っ取り早くて、コストがかからない?」
更に度肝を抜かれる。そんな理由で簡単に王の位を降りてもいいのだろうか。
温厚で、思慮深いレモリーにしては、あまりにも大胆で勢いだけで決めてしまったようだった。
それよりもハニエルは気になることがあり、不安げに眉を寄せながら恐る恐る問うた。
「あの……おっしゃったって………」
「もちろん司教様たちよ!相談したら司教様達もそれがいいとおっしゃってくださったの。国の立て直しにはこれから苦労も多く、各方面で行き詰まるのだから、こういう問題はササッと勢いで解決したように見せかけておくに越したことはないと……」
屈託なく微笑むレモリーに反してハニエルの顔は俄かに曇り出した。
白ユリの花弁で弾む朝露のように精美な声音の裏に別の誰かの面影が浮かぶ。
その者がどんな顔をして、どんな声で、どんな風に話したのかもハニエルには簡単に想像が付いた。
きっと誰もが見惚れる氷の美貌を盛大に歪め、鼻で笑いながら玲朗と通る声で、意地悪く言い放ったはずだ。
もしかしたら大げさに肩を竦めるリアクション付きだったのかもしれない。
それでも名前が出るまでは、確信が持てず、強張った顔でレモリーを見返す。
「あの……司教ってもしかして……」
「ええ、サリエ様とラフィ様。お二人ともお若いのに教皇に認められるほどの方なんですって」
声を弾ませるレモリーは愛らしく手を打ってみせた。
普段大人びた彼女が見せたそんな隙に、思わずハニエルもキュンっと胸を締め付けられたが、ハタと我を取り戻す。
何とか親友に掛けられた催眠をとかんと、身を乗り出した。
勢いのままレモリーの肩を掴み、ガクガクと揺さぶる。
「あいつらの言葉を簡単に信じちゃだめよ!」
「あら?どうして?」
声を荒げたハニーにエルは不思議そうに首を傾げた。
その純真な青銀の瞳で真っ直ぐに見かえされるとハニエルも言葉を失う。
確かにあれほど頼りになる味方はいない。
レモリーが彼らの意見を聞き入れたのも、きっと司教の言葉だからではなく、それが現実的に国を立て直すのに一番いい方法だったからだろう。
だがそこまで分かっていても、最後の一手で彼らのことを認められないのは、彼らが今までハニエルにしてきた仕打ちがあるからだろう。
素晴らしく頭脳明晰で、強靭な精神力の持ち主。
だがその歪んだ性格から導き出される答えを心から信じることなど出来ない。
(だって、あいつはわたしに向かって剣を突きつけたのよ!わたしは間違ってないわ!)
ここまで頑なになるハニエルは天の邪鬼なのだろうか。
いや、一乙女として正当な主張であるとハニエルは心の中で頷く。
キッと金色の瞳に力を入れると、熱の籠った弁を振るう。
「あのね、エルが大変になっている間、実はわたしも結構大変で……その大変の半分以上はそいつの所為で…………」
さんざん言われた嫌味を思い出し、ハニエルはプクリと頬を膨らませた。
その姿は冬眠を前にしたリスが大量のドングリを頬袋にため込んでいるようである。
詰め込み過ぎて、少し涙目になっているのに、それでも吐き出さない。
そんな頑固な部分すらリスと被っている。
クスクスと肩を揺らして笑いながら、レモリーはなんとかハニエルの頬を萎ませようと口を開く。
天の邪鬼を素直にさせるのはいつだって、レモリーの役目なのだ。
「大変なんてものじゃなかったでしょ?初め聞いた時、心臓が止まるかと思ったわ。私のハニーがそんな危険な目になっていたのに、私ときたら、ただ城で寝ているだけだったなんて………」
レモリーは心底辛そうに瞳を伏せた。
その影を帯びた横顔には彼女が抱える心の闇の大きさが垣間見えた。
慌ててハニエルは取り繕う。
「いや、エルを責めている訳じゃなくて……わたしが言いたいのは、血に濡れた女王なんて存在しないと知っているのに、あえてそれに便乗した不届きな司教のことで……」
「あら?それは不可抗力だったとおっしゃっていたわ。それにひどく落ち込んだ顔で、ハニーを危険な目に合わせて後悔してるって、私に零されていたの。きっと他に方法がなかったのでしょうね」
うんうんと頷くと、レモリーはキラキラとした瞳をハニエルに向けた。
こうも穏やかに諭されると次の言葉が出ない。
春の木漏れ日に似た優しい微笑みを向けられ、ハニエルは遂に我慢できずに息を吐きだした。
どうやらレモリーはサリエとラフィに心底傾倒しているようで、どれだけハニエルが言葉を重ねてもその頬笑みで打ち消してしまいそうだ。
ひどく落ち込んだ顔というのはラフィの方だろうか。
それも大げさな演技が大部分を占めているように思えた。
それでもこれ以上言葉を重ねると、更にレモリーは自分を責めるような気がして、ハニエルはそこには触れないようした。
ただ、それでも聞かないとならないことがある。
ハニエルは困ったように眉をよせ、言葉に詰まるようにもごもごと口を動かした。
「いいの?エルはあまり神職についてる人好きじゃないでしょ?」
「あら?ハニー、それは誤解よ。神職についている人にいい思い出がないだけ。ハールート・マールート然り。前にいた司教然り。国のことを思っているように見せかけて、本当は辺境の地の司教にされたことを恨んでいた。早く聖域に戻ろうと躍起になって、結果、この国を陥れる」
痛々しげに青銀の瞳を伏せ、レモリーは心の奥底にある悲しみに耐えるように言葉を切った。
その瞳が今まで見つめてきた光景がどれだけ暗いものであったのかなど、ハニエルには見当もつかなかった。
同じ人間でありながら、違う色を持つ故に歩み寄れない。
どれだけ心を許しても千年の月日が二人を引き裂く。
国の違い、民族の違い、習慣の違いというものの根深さをハニエルは今回のことで嫌なほど思い知らされた。
だが、気付かないままでいた時よりも一層、お互いを認められ、歩み寄れるのではないかとも思っていた。
複雑で切ない視線の先にいるのは、傷を抱えながらも高潔さを忘れない女神だ。
全てを分かり合いたいなど、贅沢は言わない。
だが少しでもその感情を分かち合うことはできないのだろうか。
彼女の負担を一瞬だけ肩代わりできたら………。
そう思った瞬間に、ハニエルは行動に出ていた。