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ある麗らかな旧市街地の午後

 バス旅行のガイドはお決まりの営業スマイルで、率いる観光客達を振り返った。

 年配の者が目立つ観光客達はそれぞれ新緑輝くカナンの町を興味深げに眺め、ロマンとミステリーに彩られた城の歴史に聞き入っている。

 その一行の中で一際目立つ若い男女のカップルは新婚らしく、お互いに肩を寄せ合い、麗らかな陽光の中、幸せそうな笑みを浮かべて微笑みあっている。


「素敵ね~あなたが来たがっていた訳が分かるわ」


 そう呟き、女性は晴れ渡る風景にほうと感嘆を洩らした。

 そんな彼女の栗毛色の髪を優しく撫で、カナンの風は異邦人達を迎え入れる。

 見渡す限り煌めく緑の丘陵。

 その上には壮大な青い空が広がりばかりで、何も視界を覆うものは何もない。

 普段目にする車やビルといった近代的な物はほとんどなく、麓に広がるのはおとぎ話に出てきそうな木製の小屋ばかり。愛らしいおもちゃのような街だ。

 その行儀よく並んだ家々の前には白い石畳が広がり、小型の車に混じって馬や荷台を引く牛が行き交う。

 一行はバスを後にし、芝生が気持ちよさげに揺れる丘陵をのんびりと進む。

 彼らと同じような観光客の団体はあちこちに見受けられ、皆思い思いに都会の喧噪を離れた穏やかな景色を楽しんでいた。

 彼らの目指す先、緩やかな曲線を描く丘陵の頂きには広大な湖があり、その側にこのカナン市一の観光スポット、遺跡ゼル離宮が悠然と佇む。




「おや?君、どうしたのかな?」


 遺跡ゼル離宮の側で俯いていた少女は、その耳ざわりよい低い声に驚いたように顔を上げた。

 彼女の瞳が捉えたのは、眩い金髪の男性。

 観光客の一人だろうか。田舎であるカナン市では稀有なほど端整な顔立ちをした、長身の青年である。

 雄大なゼル離宮の影に佇む少女には青年の全身が輝いて見えた。

 長い髪が光に照らされ、光のように青い空に踊っている。

 少女は見知らぬその青年に不審感を顕わにし、子猫のように毛を逆立て、目を鋭くした。

 しかし青年はそんな警戒心を剥き出しの少女を意に反さず、少女に視線を合わせるように腰を下ろした。


「何か、嫌なことがあったのかい?」


 逆光で少女にはその青年の顔があまり分からなかった。

 だがその影の中で柔和な青い瞳がきらりと輝く。

 少女はその目に浮かぶ涙の雫をぐいっと拭うと、顔を激しく左右に振る。

 何でもない。そう言いたいのだろうが、その幼い瞳は縋るように青年の背の方をしきりに気にしていた。

 その視線の先では観光客の一団がガイドを先頭にゆるゆるとこちらに向かって歩いており、さらにその先では少女よりも少し年かさの子どもたちが歌を歌いながら遊び回っている。


「ブラッディー、ブラッディー、私のお顔はどこかしら?お手てはどこに飛んでいったの?ブラッディー、ブラッディー、真っ赤にお化粧したらゴモリの森でパーティーよ!」


 甲高い子どもたちの嬌声が青々と広がるカナンの空に響く。

 眩しい太陽に照らされ生き生きと輝く緑を雄大な風が駆け降りていく。

 途方もないほど穏やかで、幾星霜経っても変わることのない光景だ。

 青年は少女の視線が求めるものに気が付き、全て合点がいったとばかりに口元をほころばせた。


「泣かないで。可愛いお嬢さん。お兄さん達に置いていかれたのが悔しいのかな?大丈夫。お兄さんは君のことを大事に思っているよ」


 そう言って、少女の頬を伝う悲しみの雫をそっと拭ってやる。

 青年の言葉に始めは頑なだった少女の顔が緩んだ。


「……本当?」 


 少女は居心地が悪そうに足をもじもじさせ、縋るような視線を青年に向けた。

 その瞳は小さな体ではどうにもできない複雑な感情をもてあましていた。

 自分よりもずっと年上の青年ならば、胸に巣食う気持ち悪いものを全て綺麗に解き放つ術を知っているのだと信じて疑わない円らな瞳が青年の次の言葉に期待を寄せる。 

 ポンポンとその小さな少女の頭を撫でてやると、少女は子猫のように目を細めた。

 その姿に青年は優しげな笑みで答える。


「大丈夫だよ。もう少しすれば、心配して迎えに来てくれるはずだ。それまで少しの間、私が君の側にいてあげよう。―――――どうだろう?気直しに私が物語を語って聞かせようか?君は血に濡れた女王の話を知っているかな?」

 

「知ってるよ~!あのね、カナンに来てね、まだちょっとだけどね、もう耳タコだよ~!!」


 青年の言葉に少女は体全体を使って応える。その姿があまりも愛らしく、青年は込み上げる笑いを抑えることができなかった。

 破顔した精悍な顔はどこか愛らしくもある。

 青年は少女の側に座り込むと離宮の側に広がる広大な湖に視線を向ける。

 懐かしげに目を細める青年に倣うように少女もその横にちょこんと座ると、青年の見つめる物を探すように湖面を見つめる。


「そう、有名なあの話だよ。耳タコだなんて言わずに聞いておくれ。それに、これは君が知っている昔話とちょっと違うんだ。君が知っている話の、裏の話――――」


 そう言葉を切った青年は少女の方に視線を向けた。湖面の青を映しこんだ青い瞳は更に深さを増して、妖しく輝く。

 吸いこまれたようにその瞳から目が離せない。

 何物にも染まらない真っ直ぐな瞳で自分を見つめる少女に青年は優しく囁いた。


 そう、悪魔のフォークロアさ―――。

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