終章~そして、歴史は語り継がれる1
どんなことがあっても、日は昇る。
その日、エクロ=カナンは新しい朝を迎えた。
広間を満たしていた瘴気や罪悪、その一切を引きつれ、かつて神と呼ばれた者は明けゆく空の彼方に消えた。
彼らの消えた広間には、生まれたての陽光が静かに降り注いでいた。
目が眩むほどに目映く、身震いするほどに清浄な光に照らされた広間は静謐としていて、先ほどまでの凄惨さを微塵にも感じさせないほどにひっそりとしていた。
淡く眩い光に反して、瓦礫と化した広間は褪せた影を帯びている。
それはまるで骸のようだった。
突き破られた天井が痛々しく、広間に物悲しい空気を醸し出している。
それは誰かの剥き出しの心のようであった。
傷口からサラサラと音もなく、光が降り注ぐ。
その光の粒は一粒一粒が朝の訪れを祝福しているように、無邪気に空中を漂い踊っている。
その中心、降り注ぐ光を一身に受けて、一人の乙女が天を仰いでいた。
積み重なった瓦礫はどこまでも空虚で、その褪せた色の中、乙女の美しい白銀の髪が優雅にたゆたう。
「本当は…………ただの姉弟喧嘩だったのね」
乙女は、その腕に大切な弟を抱きしめ、悲愴な色の瞳を細める。
それはどこまでも清浄で精緻な美しさを放っていた。
腕に抱いた弟は固く瞳を閉じており、一向に目を覚ます気配はない。
まるで眠ったまま天に召されたような柔らかな顔つきだった。
乙女はその水仙に似た弟のすべやかな頬に手を当てた。
愛おしげにぎゅっと抱きしめ、今にも泣き出しそうな瞳で語りかける。
「なんて私達は、愚かだったのかしら……何故もっと早くお互いの手を取り合わなかったの………」
国を、人を、そして世界を巻き込んだ悲惨な惨劇。
それは実はただの姉弟喧嘩で終わる些細なすれ違いであった。
そこには神も悪魔もなく、歴史のタブーさえ存在していなかった。
だが、どこで間違ったのか、すれ違った心に、悪意が紛れこみ、欲が交じり合い、醜く歪んだ結果、多くの血が流れた。
「誤った道を進んだ結果がこれ………でもどんな荒野にも太陽は昇るのだと知ったわ。これだけ人々を苦しめ、悲しませた。その責務は一生をかけて果たさなければならない」
「エル………」
乙女のか細い後ろ姿をじっと見守っていた彼女が恐る恐るといった調子で声を掛けた。
声に導かれるように、白銀の髪が清浄な空気に靡く。
その髪の向こうに、全てをふっ切ったような可憐で、優美な女王の顔があった。
今までその乙女の側に影のように付き添っていた儚さや憂いはどこにもない。
瓦礫の中、薄汚れた白いドレスに身を包んだエクロ=カナンの女王は、即位して初めて心から希望に満ちた顔をして、親友を見返していた。
「私はこの国を守り抜くわ……そう、貴女が命を張って守ってくれたこの国を……」
溌剌とした笑みがひどく印象的で、色褪せた荒野の中で一際輝いていた。
白みがかった空は淡い金色と朱色に染まり、世界に新たな息吹を吹き込んでいく。
暗い闇に覆われていたこの国の新しい始まりを彩るには相応しい夜明けだった。
**
あの惨劇から数日、ハニエルは柄にもなく寝込んでしまった。
瓦礫の中でホッと胸を撫で下ろした瞬間、ガクリと膝からその場に落ち、そのまま昏倒したのだ。
その後、どんなやりとりがされたのかも分からない。
気が付いた時には、ふかふかのベッドの上に寝ており、慈悲深い青銀の瞳に見つめられていた。
一瞬、自分がどこにいるのか、何故寝込んでいて、あまつさえ何故、心配げにレモリーが見守られているのかも分からなかったほどだ。
ポカンと口を開けて、レモリーを見上げたハニエルに、彼女ははち切れんばかりの笑みを浮かべて、涙を流した。
「よかった……ハニー……やっと目覚めてくれたのね。私、貴女まで目を覚まさなければどうしようかと………」
レモリーは嬉しそうに涙を拭うと、ハニエルの手をぎゅっと握った。
触れあった体温が温かく、ハニエルの心に穏やかな情熱が溢れた。
ドクンドクンと鼓動が強さを増す。
指先まで熱く痺れて、ハニエルは段々と自分という存在を理解した。
それと同時に何故ここにいるのか、一連の悲劇まで全てを思い出す。
あのまま自分という意識が消え失せてもおかしくないと思えるほど、濃密な時間を走り抜けた。
それは全て誰よりも大切な友のために―――そして、彼女は今、ハニエルの前で変わらずに微笑んでいる。
ハニエルは生き生きと動くレモリーを穴が開くほど見つめる。
ずっと脳裏に浮かんでいた悲しげ面影はどこにもない。
握られた手で、恐る恐る優しく微笑む親友の柔らかな手に触れた。
震える心から驚きの声が漏れる。
「エル……笑っている………」
「ええ、貴女のお陰よ、ハニー。貴女が私の命を引き止めてくれたから、私は今、笑っていられるし、怒ることも、泣くこともできるの」
複雑な感情が綯い交ぜた美しく凛とした顔が、全て物語っていた。
それでもその顔に悲愴感はない。
先を見据え、何事にも動じない決意が表れている。