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夜明けの星4

 ズドォォォォォォォォォォォンンンンンッッッッ――――――


 地鳴りと共に衝撃波が広間を揺るがす。

 広間の天井が吹き飛び、たちこめていた霧が一斉に出口を求めて噴き出していく。

 それは凄まじい勢いだった。

 全てが昂り、全てが凌駕され、全てが解き放たれる。

 陶然とした感覚がハニエルを支配する。

 ただ見つめるしかできない。

 それは女神の最後の叫びだった。 

 壮麗で、情熱的で、そして潰える前の流星の輝きのようだった。

 その激しく躍動する空気が隠さない彼女の感情を直に伝えてくる。

 怒涛のような激しい勢いにハニエルはただただ、天高く昇り詰める彼女を見上げるのが精いっぱいだった。

 最後の一欠片が割れ目から消えさり、そこには清らかに輝く小さな星の瞬きがあった。

 全てが去ったそこには、濃紺の夜空が見える。同じ暗き闇でも心が落ち着く温かさがそこにはあった。


「よかった。僕の話を聞いてくれて。この世に悪魔なんていなくていいんだ。忘れられてもその方がいい」


 元の静謐を取り戻した広間に切ないベルビュートの声が響いた。

 彼の前には今にも泣き出しそうなハニエルが瞳を震わせて、じっと彼を見つめている。

 その顔が何を考えているかは想像に難くない。

 そんな真っ直ぐな愛情を前に、ベルビュートは今にも抱きしめてしまいたい衝動に駆られ、ふっと頬を緩ませた。

 悪魔であることを忘れていた少年姿ならまだしも、真の名を思い出し、正真正銘の悪魔に戻った自分が今になってもまだ誰かを愛しいと思い、胸を焦がされるなど思いもしなかった。

 面映ゆい感情に流されそうになるが、それを懸命に堪える。

 それがハニエルのためであり、きっと自分自身の為なのだ。

 感情のままにハニエルを地獄まで奪い去れば、きっと人の身であるハニエルには地獄など耐えきれずに死んでしまう。

 彼女が死んでしまうなど、仮想でも想像したくない。

 そうなればベルビュートは己を呪い、それこそ世界を本当に闇に帰してしまう。

 ハニエルのいない世界など意味がないのだから………。

 ベルビュートは自分の欲望を抑え込み、そして、ハニエルの愛する世界が存続するように、最後に一つ忘れてはいけないことへ意識を集中させた。


「さて――――――君はまだこっちにいるつもりかい?」


 唐突な言葉が何を指すのか、ハニエルは分からなかった。

 不思議そうにベルビュートを見返す。

 ベルビュートは蕩けきった頬笑みをハニエルに向けているが、その意識は別のところにあるようだ。

 頬笑みに反して抑揚のない声は、ガランとした広間に驚くほど響いた。


「君だよ。シャンデリアの下にいれば気付かれないと思ったのか?」


 その言葉を受け、広間の中心でシャンデリアが震えた。

 キンッと空気に霧散するようにシャンデリアが広間から姿を消す。

 粉塵になり、夜空をキラキラと棚引くその下には人影があった。

 ハニエルは目を見張る。そこにいるのは、先ほどまで彼女を守ってくれた気高い騎士だ。

 今も意識なくその場に倒れ込んでいる。

 その、こげ茶色の髪が何かを諦めたように揺れた。


「カンザス――?」


 ハニエルは呆然と口を覆った。

 揺れた髪はそのままに、倒れ込んだ彼の身がゴワリと起き上がった。

 小柄な彼にしてはいやにごつい体躯に見えたが、それはどうやら明かりの少ない広間が落とす影の所為だったらしい。

 小柄な青年の焦げ茶色の髪をそのままに、むくりと起き上がったのは、颯爽とした男前の従者アクラスだった。

 傷一つないその身で、他人受けのよい頬笑みを浮かべると、彼はやれやれと言わんばかりに髪を撫で払った。


「何時から気付いていたんです?」


「君らしくないな。そんな大雑把な気配の消し方で、気付かれないと思っていたのか。心にもないことは言わないように」


 視線だけをアクラスに向けるとベルビュートは王者の貫録で静かに答えた。

 その毅然とした背にアクラスは、何も言ってもどうにもならないとばかりに肩を竦めてみせた。

 その飄々とした態度は常と変わらない。

 だが、その紫の瞳の奥はけして心許すまいと強張っていた。

 彼の全てを空気で感じ取り、ベルビュートは困ったように苦笑する。


「本当に君らしくないな。その卒あるやり口もそうだが、そんな風に感情を剥き出しにするところも……。君が剥き出しにするのは殺意や狂気だけかと思ったけど……」


「それは貴方もでしょう?」


「違いない」


 クスッと自嘲気味に答えながら、ベルビュートはそっとハニエルの方に視線を向けた。

 話の流れが分からないハニエルは首を傾げるばかりだ。

 何時の間にアクラスがこの広間に入ってきたのだろうと考えるが、答えなど彼らの会話からは導き出せない。

 そんなハニエルをそっと抱きよせ、優しく髪を撫でる。

 慈しむ手や顔をそのままに、ベルビュートは背にした男に問うた。


「さて―――期限が迫っているのだが、君はどうするんだ?」


「まだ愚かな我が主人がおれの正体に気が付かないのでね」


 そう言ってアクラスは言葉を切った。

 困ったように眉を下げ、そして自分の足元に視線を向ける。

 そこにはこげ茶色の髪の青年が気絶して倒れている。

 その情けない顔を見つめ、アクラスは頬を緩ませる。

 その瞳には城の入り口でセオ・オーディンに向けていた狂気は微塵もない。

 まるで自分を創造した神に全てを捧げる殉教者のような穢れなき敬愛の念と、自分の子を慈しむ様な柔らかな愛情が籠っていた。


「そうか――………ならば後のことは君に任せよう。これは命令ではない。同じ……同じ宿命を背負った者への頼みごと……そう、永遠なる願いだよ」


「御意。閣下」


 空気を震わす激情が静寂の間に広がる。

 その悲壮さが漂う背にアクラスは敬意を表す様に仰々しく腰を折って、礼を尽くした。

 深く息を吐き、体中へ感覚を這わせるようにベルビュートは瞳を閉じた。

 一息の後に、憂いを帯びた青い瞳がゆっくりと開けられる。

 抱き締めていたハニエルの体がゆっくりと自分から離すと、ベルビュートはその瞳に自分の瞳を合わせるように顔を近づけた。

 何かを覚悟した、清廉の瞳が奥底に深い焔を燃やしながらハニエルを見つめていた。

 ドクン――ッと何かを確信した鼓動が跳ねる。不安に揺れる顔で縋るようにハニエルはベルビュートを見つめ返した。


「ハニー、ここで僕らはお別れだ」


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