死と絶望のダンス4
勢いのまま、サリエがアスタロトに切りかかる。
超絶技巧で繰り出される剣技には目を見張らされる。
息を飲むハニエルの前で、サリエとアスタロトの死闘が繰り広げられる。
ほとんどサリエが切りかかり、アスタロトはその剣を避けるだけだ。
アスタロトは左、右と僅かに顔を避けるだけでサリエの剣を捌く。
サリエの勢いに押されて、後ろに追い込まれていくが、アスタロトの顔には追われる者の焦りはない。
寧ろサリエの顔は青白く、限界を迎えていることが一目で分かるほどだった。
下半身が蛇のような異様な姿をしているアスタロトの方が理知的な存在に見える。
対するサリエこそがまるで理性を失った獣のようだ。
血を撒き散らし、歯を剥き出し、手負いの獣は渾身の力を振り絞り、届きもしない相手にその鋭い爪を向けようとしている。
俊敏でありながら、冷静さを失わないアスタロトは哀れむような視線をサリエに向けながらも、紙一重でその攻撃を避ける。
「貴方らしくない……一度剣を向けただけで、実力の違いなど分かっているのでしょう?なのに、何故私に剣を向けるのですか?何故そのような力を持ちながらも死を急ぐのですか?」
はぁはぁと吐き出されるサリエの息の音と共にアスタロトの闇を撫でるような声が響く。
サリエの剣が斜め上から振り下ろされる。
それを半歩下がって避けたアスタロトにサリエは振り払った手を素早く返した。
目にも止まらぬ速さで、孤高の白銀が宙を唸らせる。
「ああ?……俺も莫迦なんだよ?どっかのお姫様に感化されてな」
ギュンと反発する宙を切り裂き、サリエの剣がアスタロトの肩口に当たる。
瞬時サリエの隻眼に渾身の力が籠る。
このまま一刀両断にしてやろうと、秀麗な顔が険しくなる。
ハニエルは祈るように名前を呼んだ。
握りしめる手が汗ばむ。
「サリエ………」
だが、サリエの剣はアスタロトの肩口を僅かに切り、そこで止まっていた。
力尽きたように、剣を構えたままサリエが動きを止めている。
ハニエルの見つめる先にあるのは、項垂れたように切りかかった剣でアスタロトに凭れかかるサリエの背と、そのサリエを哀れむ様に見下ろすアスタロトの無表情な瞳だけだ。
サリエの背からは何も感じない。
もう精も魂も尽きたように、燃えかすだけが無意味に残ってしまっているかのようだ。
「これで終わりですか?残念ですね……もっと貴方と遊びたかった」
アスタロトは残念そうに眉を寄せると、サリエの振り下ろした剣を慈しむようにそっと触れた。
自身の身が傷つけられたことよりも、これからこの至宝の美しさを誇る青年にする行いを厭うような、そんな顔だった。
肩で息をしながら、それでもアスタロトを睨むことを忘れないサリエはただ目で語る。
とっくの昔に限界を突破した彼にはもう、一言の言葉を紡ぐこともできないようだ。
「どうか穏やかな死が訪れますように……」
祈るような声に反して、アスタロトの眼差しは鋭かった。
アスタロトはサリエの剣を指先で軽く弾く。
瞬間、サリエの身が吹き飛んだ。
抵抗する間もなく、サリエの身が剥き出しの石柱に叩きつけられる。
「ッグハッ!」
サリエの口から鮮血が飛ぶ。
裂けた腕から血が吹き出し、あらぬ方向に向く。
もう生きているのが不思議なほど、襤褸切れと化している。
こうして最後の星が潰えた。
その儚い流れ星をハニエルはただ視線で追うことしかできない。
アスタロトはグシャリと無機質につぶれた黒い男に同情の視線を向け、しかしすぐに興味などないとばかりにその顔をハニエルに向けた。
ハニエルは未だ瓦礫の上に座り込んだまま、ただただサリエの方を見つめていた。
その小さく蹲った背にアスタロトが最後通告を告げる。
「心配せずともすぐ彼と同じ場所に逝かせてあげますよ」
優しい声音だった。
その声に引かれるようにハニエルは後ろを振り向いた。
その虚無を映しこんだ瞳を見返す。
小さくアスタロトが息を飲む。
そこにいたのは追い込まれた人の子ではなく、誰よりも気高い至高の存在だった。
聖女と呼びに相応しい威厳の籠った眼差しが静かに、だがアスタロトの全てを射抜くように向けられる。
ハニエルは立たない足を引きずるように、瓦礫の上を這ってアスタロトの方へと僅かに近付く。
「………マリス・ステラ?」
「それはわたしの名前じゃない。いくつも名前を持っているあなたなら分かるはず」
よたよたと、力のない足で懸命に立ちあがり、ハニエルはアスタロトと対峙した。
薄汚れた顔に、穢れた髪。
纏うのは襤褸切れだけ。
何も持たないはずの乙女は、絶対的な力を誇る悪魔を前にして、同等の様に堂々とした姿で佇んでいた。
「アスタロト……あなたにも他に名前があるのでしょう?」
そう言って一歩踏み出す。
しかし力強いのはその瞳だけだ。
ハニエルの足はすぐに瓦礫に掬われ、無様にその場に転がった。
それでも諦めることを知らない乙女は、歯を食いしばってアスタロトを睨みつけ立ち上がろうともがく。
「ハニエルとしてでも、マリス・ステラとしてでもない。ただわたしは、わたしとして、わたしの望むままに生きる。そう、生きて、生きて、そして最後まで生き抜く。それがわたしを守ってくれた皆が望むわたしだから………」
ジャリッと瓦礫を踏みしめ、震える足で立ちあがろうとしては、力が抜けたようにその場に倒れ込む。それでもハニエルは諦めない。
這ってでもアスタロトの方へと向かっていこうとする。
「わたしの体を渡せばエルが生き帰るなら、いくらでもこの身を捧げましょう。でも、その代わりに、あなたもわたしと一緒に地獄に行くと約束して。わたしは地獄でもわたしらしく生き抜くわ」
「一緒に地獄に……ですか?」
アスタロトが目を見開き、不思議そうにハニエルを見返す。
この小さな人間が自分に何を語りかけているのかよく分からないらしい。
対するハニエルは気高い金色の瞳を煌々と燃やし、この悪魔を見返す。その瞳にはもう恐怖などない。
ふわりと揺れた髪はまるで、大きな困難を前に、それを毅然と乗り越える雄大な翼のようだ。
真剣に自分の話を聞いてくれる存在として彼女は、アスタロトの心に直接語りかける。
「約束して。悪魔に望みを叶えてもらう時はそれに見合う対価を支払わないといけないのでしょう?ウヴァルがあなたに何を払ったかは知らないけど、わたしはわたし自身をあなたに支払うわ」