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廃墟の天使5

「子ども、何故こんな深い森の神殿にいる?その子どもこそ悪魔では?」


 やっと塔の中腹まで登っていたというのに……。

 サリエの言葉がハニーを塔から突き落とす。ガラガラと希望が崩れ去り、ハニーはただただ何もない宙を掴もうと腕を伸ばした。

 塔が突き抜ける灰色の空は今にも嵐になりそうな気配を纏っている。


「そんな訳ない!」


 ハニーは叫んだ。泣き叫んだ。絶叫して、全てを曝け出して、訴えかけた。

 何故、何故この男はハニーの彼女の思惑を全て裏切ることばかりするのだろう。

 彼の纏う黒がハニーには何物にも染まらないという神聖な色ではなく、混沌よりさらに深い邪悪な黒に見えた。


「フンッ、罪人とは総じて真実を隠す」


 黒が蠢き、せせら嗤う。彼の足元では闇色の影が妖しく揺れ、不意に存在を増す。


「何だと!この子が悪魔だって!こんなに愛らしい少年が……」


 サリエの言葉を簡単に信じ込んで、カイリが息を飲んだ。

 慌てて少年から距離を取らんと後ろに下がる。

 恐怖の滲んだ瞳で怯えたように少年を見つめる様は、まるで悪魔の証拠を探しているかのようだった。

 カイリが引き下がった場に悠々とサリエが一歩躍り出た。

 彼が広間の中心に立つだけで、まるでその場が神の法廷であるような荘厳さが溢れる。

 サリエは抑揚のない声で、しかし朗と広間に響かせて広間全体に語りかける。さすがは神の教えを伝える者だ。どうすれば人の注目を引くかよく知っているのだろう。

 大業そうに大きく手を広げ、羽織ったマントをはためかせた。


「悪魔とはその力が邪悪であればあるほど醜悪な姿を隠して、天使のような顔で現れる」


「違う!この子は悪魔なんかじゃない。ただここで出会っただけよ!」


 サリエの言葉は説得力があり、ハニーでさえ真実だと思いこみそうになるほどだ。

 しかしそれは到底受け入れられない。全てを無駄にするサリエの言葉に、ハニーは女王の演技など頭の片隅に吹き飛んだ。

 力の限り、声の限りに訴えかける。


「正体を見破られて狼狽しているのか?」


 冷たい甘さを含んだ硬質な声がハニーの心臓を凍りつかせた。

 どんなに決死の訴えもサリエは冷たい一瞥を向けるだけ。

 簡単に一蹴し、鼻で嗤う。

 サリエが更に一歩、ハニーへと進む。近寄る恐怖にハニーは身構えた。

 この男は、ハニーが混乱し、恐怖に手足をからめ、狂気に傷つき、そして動けなくなるその時まで、ただ嗤って待っているのだろう。


「その……思ったことをすぐ顔に出す癖、改めた方がいいぞ。まあ、今さらかな?」


 手を伸ばせばすぐに掴める距離で足を止め、サリエはハニーを見下ろした。

 その怖いほど麗しい顔に浮かぶのは、さっきまでの皮肉でも嘲笑でもない。その氷的な美しさがハニーに何を訴えかけているのかまったく理解できない。


「ふざけないでっ!わたしが悪魔となんか契約する訳ないでしょ!!」


 噴き上がる憤り。鳴りやまない警鐘。焼け付く様な怒りで視界が赤く染まる。

 しかしそれ以上に冷静に図星を差してくる目の前の男が怖い。

 この男の前では何も取り繕えない。演技も小細工も全て見透かされ、胸の奥底に隠した素のハニーを引きづり出そうとする。

 その恐怖に打ち勝つよう、金色の瞳を鋭くした。


「そんな話はしていない。…………――――それで、お前が持っているのか?」


 フンッと鼻を鳴らすとサリエは不意にハニーの耳元に顔を寄せた。サリエの片方の手がハニーの腕を無遠慮に掴む。まるで抱きあっているかのように、二つの影が一つになった。

 瞬時、ビリッと体の感覚を狂わすような微細な衝撃がハニーの全身を駆け抜ける。


「……なっ!」


 何が起きたのか全く分からない。ただ掴まれた部分が燃えるように熱く、それに呼応するように心臓が激しく暴れ出す。

 ハニーは困惑と怯えに染まった金色の瞳でただただ目の前にあるすべらかな漆黒を見つめるしかできなかった。

 自分で自分の体の感覚が掴めないなど、どうしてしまったのだろう。恐ろしく不安定な心にさざ波が立ち、その心だけを置いてハニーの体がハニーの知らないところで変化していくような焦燥感に胸がざわつく。

 サリエは何時の間にこんなにもハニーとの距離を詰めていたのだろう。サリエは何故こんなにも脳に直接吹きかけるように甘く囁くのだろう。そしてサリエは何故………こんなにもハニーの心を乱し、そして熱くするのか。


「……怯えるな。すぐに済む…………」


 ハニーはサリエの囁きに心臓を鷲掴みされ、ヒッと体を引きつらせた。

 まるで睦言を囁くような甘い声だ。だが有無を言わさない圧倒的な響きで持ってハニーの動きを奪う。

 ハニーが身じろぎ一つすれば、この男はいつだって腰に下げている帯剣を抜きハニーに突き付けることができる。その事実に体全体の毛が逆立ち、ビリビリと震えた。

 ハニーの命はこの男の手の内だ。まるで杯に注がれた水のよう。サリエが気まぐれに杯を傾ければ、ハニーの命は床に流れ落ち、元に戻ることはない。

 ハニーはサリエに腕を掴まれたまま、唇を戦慄かせた。

 逸らすことのできない瞳は未だ漆黒の闇の色をしたサリエの瞳を見つめている。それは毒薬よりも濃厚な過激をもってハニーの自由を奪っている。


(ダメだ。このままこの男に飲み込まれたら、ダメ!)


 全てを拒絶するかのようにハニーは激しく被りを振った。眩い赤が黒の束縛を引き千切る。そのまま、勢いに任せてサリエの腕も引き払った。

 はぁはぁと肩で息をし、ハニーは怒りに滲んだ瞳でサリエを睨みつけた。言葉はない。だが、言葉以上に眼がハニーの激情を物語っていた。

 その視線を真っ向から受けてもサリエは片眉を動かしただけだった。特に感慨もないとばかりに、小さく首を振る。そして小馬鹿にしたように、形のよい口元を優美に綻ばす。


「まったく……莫迦な女だ。振り払わずにいればいいものを……。そんなにも自ら過酷な運命に堕ちていきたいのか?」


 それはまるで独言でも呟いているかのような、空虚な声だった。だが、全身でサリエを拒み、警戒するハニーにとってはどんな言葉も猛毒を含んでいるように思える。

 神経という神経がささくれ立ち、肌が過敏に反応する。


「ふざけないで……わたしは………」


 息をするのも怖い。目の前にいるサリエの姿が段々とハニーには分からなくなっていった。言葉だけは一端だが、内心は今にも崩れそうなほどに荒波が吹きすさぶ。

 だがサリエは特に気にすることもなく、失笑しただけだった。そしてまたしてもハニーの耳元に唇を寄せた。


「まぁいい。それで?お前が持っているのか?」


 耳を濡らす吐息が熱い。形なき言葉がハニーの胸内に土足で侵入し、凌辱する。問いかけるような隻眼の黒が深みを増した。さっきまでのやり取りがまるでおままごとのようだ。サリエは更に奥の奥までハニーを追って、ハニーの心の内を暴こうとする。


「わたしは……」


 上ずった声が何かを答えようとした。何を言おうとしているのか、自分でも分からない。

 底知れない恐怖が蓋を開けて噴き出してくる。

 ただ……サリエの声に逆らえない、本能がそう告げた。


「わたしは………だから………」


 震える金色の瞳が蠱惑的な黒と交わり、瞬光が走った。

 その時だった。


「あれらは悪魔だ!姿形に囚われず、神の栄光を脅かす者をひっ捕らえよ!血に染まった悪魔をけして逃すな!!」

 

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