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世界の終りで9

 咄嗟に開いた口が言葉に詰まる。


「なぁ、なぁ、何するのよっ!わたしは真剣にっ!」


「いや、淑やかなお前は気持ち悪くてな。姦しいのがちょうどいいらしい」

 

 無表情のまま、何かを納得するように頷きながら、サリエはぎゅむぎゅむとハニエルの頬を引っ張る。

 気の済むまで存分に引っ張ったらしいサリエは、不意に手を離すとハニエルに背を向けた。


「こんな現状になっていると知らずにお前をここに入れたのは全て俺の采配ミスだ。お前が気に病むことはない。お前が気にすることはただ一つ、お前が命を変えても守ろうとしたレモリー・カナンだけだ」


 サリエとラフィの間から円の中心に横たわるレモリーが見えた。

 今にも泣き出しそうなほど憂いに満ちた女王がそこにいる。

 そしてその向こうには憎悪しか存在しない虚無の瞳がじっとりとハニエルを見下していた。


「サリエ……」


 サリエの言葉はいつも通り冷やかで、ハニエルを突き放す。

 だが彼はいつもここぞと言う時にハニエルを奮い立たせる言葉を掛けてくれる。

 サリエはハニエルに共に闘う以外の別の指名を与えてくれた。


「一度しかチャンスはない。分かったか?」


 ハニエルは大きく頷くとサリエの横に立った。

 見つめる先、玉座の高台の下にウヴァルがいる。

 真っ直ぐ見つめ合い、2人は対峙した。

 今までで一番近い距離にいるのに、まるで天にも届く塔の頂上と地面とで渡り合っているような錯覚を起こす。

 感情は複雑だ。

 ウヴァルもハニエルにとってはレモリーと同じく幼いころからの友人だ。


 だが、ハニエルの心は決まっている。

 金色の瞳が毅然とウヴァルを射抜く。

 そこには追われた者の気配はない。

 悪魔を前にしても、けして目を逸らさない屈強な精神力を持つ天上の戦乙女がいた。

 人は心を決め、これに殉じると定めた時、驚くほど心の平穏を得る。

 美しい顔を憮然とさせ、サリエは眼前の悪魔を睨みながら答えた。

 追いこまれた状況にあってもけして自信を失いない高慢な男。

 彼の強張った口元にこの場がどれだけ異常なものなのかが思い知らされる。

 それでも彼はこの場の闇を打ち砕くつもりだ。

 彼からは追われた者の気配など一切しない。

 強烈な威光を放ち、圧倒的な存在感でここにある。

 サリエがちらりとハニエルに視線を向けた。

 氷の美貌がいつもよりほんの少しだけ優しく見えた。


「邪眼を見て立っていられる奴は真の勇者だったか?噂の真相を確かめて来い。お前はこの物語の英雄だ、……エ…」


 語尾は驚くほどささやかな声で、ハニエルの耳に届く前に闇に消えてしまった。

 だがサリエはそんなことなどなかったかのように真っ直ぐに前を見ている。

 ハニエルは思わず何と言ったのか聞き返しそうになったが、それよりも早くサリエが己のマントを大きく払った。

 いくぞっという凛とした声が闇に響いた。


 それが合図だった。

 同時にラフィとサリエが横に向かって走り出す。

 カンザスがハニエルの手を引き、歪な円へと真っ直ぐに駆ける。

 円の淵を両側から駆け、サリエとラフィがウヴァルの方へと向かう。

 蠢く闇が自らの王を守らんと巨大に膨らむ。

 襤褸切れのようになった騎士が幾人も重なって、歪な肉塊となった化け物が剛腕を振るい、決死の体当たりを仕掛けてくる。

 それは壮絶でいて、心が抉られる程に哀れな地獄絵図だった。

 ヒュンヒュンっと風を切る音と共にラフィの鞭がしなる音が響く。

 闇を切り裂き、栄光をもたらさんと広間を駆ける。

 反対側ではサリエの剣が目にも止まらぬ速さで煌めく。

 閃光と共に血肉が散る。広間には断末魔すら聞こえない。

 息を食む微かな音とぶつかりあう剣の音のみがどこか遠くに聞こえるだけだ。

 その中をハニエルは駆けた。

 ハニエルの前にはカンザスがおり、彼に手を引かれながら、レモリーのいる円の方を目指す。

 カンザスはハニエルを庇いながら、覆いかぶさってくる闇を払った。

 だが払っても払ってもそれらが消える訳ではない。

 それらは目くらましのようにハニエル達の道を断つ。


「ぅおおおおおぉおおぉおぉっぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 カンザスはクッと唇を噛みしめて、ハニエルの腕を掴んで乱暴に闇を突き抜けた。

 二人の視界にはもう、遠く円の淵で死闘を繰り広げる二人の死の天使はいない。

 ただ聞こえる剣呑な炸裂音だけが彼らの無事を伝えている。

 サリエとラフィは左右から玉座を挟み込んだ。

 高台となった玉座の一番下の段に立ち、ウヴァルは自身に襲い掛かってくる脅威をじっと見つめている。

 余裕のない瞳が揺れる。

 だが絶対的な権力を持つ王は心を無にして、堂々と牙を剥き襲いかかる二匹の獣を迎え撃つ。

 死の天使とはよく言ったものだ。

 天使というにはあまりにも血に濡れており、慈悲もない。

 それは獣だ。

 理性もなく、完膚なきまでにウヴァルの未来を潰そうとする。

 全てを薙ぎ払い、全てを打ち砕き、元凶であるウヴァルを滅しようと兇器を振るう。

 闇の中でいくつも閃光が散った。

 それは瞬き消えてゆく夜空の星々のように眩く、そして儚げでだ。

 陰鬱な空気を吹き飛ばし、高みへと猛り昇る情熱が内側から世界を壊していく。

 闇が慄き、猜疑心に駆られ逃げ惑う。

 カンザスの剣に比べて細い、すらっと長い剣を操る男は普段無口な癖に、何故か剣技だけは雄弁だ。

 颯爽と闇を走り、ウヴァルの胸を突き破らんとする。

 誰にも邪魔出来ない。

 静寂と虚無に覆われた広間が疾走する気高い魂に共鳴して躍動する。

 黒で埋め尽くされた空間を更に気高い黒が塗り替えていく。

 

「無駄なことを!」


 激しい憎悪に満ちたウヴァルの声が飛んだ。

 瞬間、ハニエル達を覆っていた闇が晴れた。

 金色の瞳が見つめる先、円の向こう岸では一人の青年目がけ、二人の天使が鉄槌を下そうとしているところだった。

 ウヴァルは唇を噛みしめ、二人の天使を憎悪の瞳で睨みつけている。

 ハニエルは息を飲んだ。

 あんなにも感情を剥き出しにして、素の自分を曝け出すウヴァルを見たことがなかった。


 今までどれだけ自らの手持ちの駒を壊されても、顔色を変えるようなことはなかったはずのウヴァルが見せた、心の隙。


 この広間を支配する王の黄金の冠は先ほどまで妖しいほど眩い光を放っていたのに、今は見る影もなく朽ちている。

 サリエが剣を構えウヴァルの方へ打ち下ろそうとし、反対側からラフィが鞭を振るおうとした。

 後少しだ。

 後少しでこの悲劇が終わる。

 悪魔は元の壺の中に、千年の月日が育んだ悪意はそっと人々の心の奥底に……。

 あるべき場所に還っていくのだ。

 ハニエルは懸命に祈りを捧げた。

 カンザスに手を引かれながら、自分がどちらに足を向けているのかも分からない。

 今のハニエルの心はサリエ達と共にある。

 きっとカンザスもそうなのではないだろうか。

 全身全霊をかけて、悲劇の幕を下ろそうとする者を前に、今さら自分だけ助かりたいなど思わない。

 闇に浮かぶ明けの明星のような瞳が凛を輝く。


 どうか思いが届いてほしい。

 自分の命が尽きてもいい。

 どうか彼らの勇気とその偉大な情熱だけは無駄にしてほしくない。


 握りしめた拳が震える。熱せられた瞳から涙が流れた。

 見つめる先にいる勇猛な2人の天使と、醜悪な悪魔。

 そして追い込まれたちっぽけな青年。

 3つの色が金色の瞳の中で混じり合って、違う色を作り出す。

 それはどこまでも潔く、どこまでも尊く、そして素朴な夢を追う旅人の儚いまでも美しい涙の色に似ていた。


「ウヴァル………」


 本当にちっぽけな青年。

 誰よりも偉大な理想を持ち、誰よりも人の痛みに敏感で、そして誰よりも姉を愛した、どこにでもいる青年。

 その感情を表現する方法をちょっと間違えただけの、可哀想な………。

 彼の青銀の瞳が戦慄く。

 迫りくる脅威を前に、ただただ見つめ返すしかできない。

 彼の後ろでは表情のない悪魔が切なげに目を伏せ、主の命令を待っている。

 サリエの剣が火を噴いた。

 ラフィの鞭が聖水の瓶を砕く。


「お願いだから!ねぇ、ウヴァル、もうこれで終わりにしましょう!!」


 健気な乙女の祈りが胸に響いたのか、追い込まれるウヴァルの顔が歪んだ。

 頑なに閉ざされた青年の心を覆う壁が罅を作る。

 パラパラと欠片が零れ、その下にある傷だらけの生身の心が僅かに顔を覗かせる。

 ウヴァルの足が一歩後ろに後づさった。

 負けを予感したように強張った顔が歪んだ。

 今にも泣きそうな顔が自分に迫りくる脅威だけを見つめている。

 もう終わり……追い込まれた目がそう語る。

 だが、その瞳の中で捨てきれない彼の激情が最後の抵抗を見せた。

 生々しい憎悪が込められた青銀の瞳が自分に仇を成すものを射殺さんと見開いた。


「アスタロトォォォォォォォォォォォォォオオオオオオオォオォォォォォォォォォォォッ」


 ウヴァルの口から絶叫が迸る。



 瞬間――――世界が止まり、そして終わりを告げた。

 

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