世界の終りで5
ウヴァルの声をきっかけに、広間にある闇という闇がハニエル達目がけ押し寄せた。
光を飲み込み、無に帰そうと剛速で迫ってくる。
前からも後ろからも、逃げる隙もなくハニエル達を追い詰める。
どこを見ていればいいのかすら分からない。
少しでも闇からハニエルを遠ざけるようにカンザスがハニエルを広間の中心へと向け、広間の扉の方へと剣を構えた。
扉の方からも生気を失った騎士達が押し寄せてくる。
押し寄せる騎士をカンザスの剣が薙いだ。
しかし次から次へと騎士が襲いかかってくる。
切っても切っても、まるで闇から生まれてくるように敵は増えていく。
「ゥゥゥウオオオォォオォォォォォォォォォォォォオオオオォオォォォォォォォッッッ」
腹の底から全てを出し切り、カンザスは握りしめた剣を走らせる。
それは燃えさかる太陽のように眩い閃光を散らし、闇を駆逐する。
それは側で見ていて爽快なほど思い切りのよい太刀捌きだ。
カンザスは縦横無尽に闇に突っ込んでいく。
彼にはずる賢さなどは一切なく、実直だ。
ただ時折その動きがもどかしく、危うい。
見ていてハラハラさせられるが、カンザスは見る者の胸のもやもやを打ち払い、敵の無差別攻撃をその実力だけで蹴散らしていく。
「すごい……」
ハニエルは息を飲んだ。
しかし、いつまでも見ているだけではいられない。
ハニエルは自分の生きる道を自分で切り開くために、必死に床に視線を走らせた。
床には幾つも槍や剣が落ちていた。
皆、所有者を喪い、血と失望に濡れていた。
思わず手にするのも厭うほどに、闇に染まって思えた。
(迷ってられないわ!)
ハニエルは躊躇することなく、素早く一番に近くにあった槍を手に取った。
血に濡れることを今さら恐れる理由はない。
恥も誇りも全て捨ててきた。
もう無くして困るものはない。
今はただ、レモリーをここから助け出し、ウヴァルの目を覚まさせることがハニエルの生きる目的だ。
手にした瞬間、自分に襲い掛かる黒い影を横に真っ直ぐ薙ぎ払った。
黒い霧が呆気なく裂けた。
その向こうで、ラフィが押し寄せる騎士と影を打ち払っていた。
辺りの状況に気を払いながら、ラフィの鞭が広間のあちこちで走る。
そのラフィ目がけ首のない騎士が大ぶりの剣を向けた。
鞭の可動範囲はサリエの剣やカンザスの剣に比べて広く、高く、そして自由だ。
だがそれに反してゼロ距離からの攻撃に対しては素早く対応できない。
ラフィが咄嗟に両手を構え、体術で迎え撃とうとした。
「ラフィィィィィィィイイイイイィィイィィィィ」
ハニエルが槍を真横に構えて、首なし騎士目がけ走り出した。
ハニエルには槍術はおろか武術の嗜みなどない。
使えるのは捨て身の体当たりだけだ。
それでも見て見ぬふりという選択肢はない。
どうか間にあって……と祈りながら、限界の足に力を入れる。
ラフィが左手を頭の前に構えた。
上から来る剣を手刀でいなすつもりなのだろう。
その素早い動きに対し、現状を見極める目もない癖に首なしの騎士は大剣が制されると踏んだのだろう。
目を見張る速度で槍を半回転させると上から真横に動きを変えた。
白銀の剣が風を唸らせ走る。
「っくそっ!」
剣の動きを見極めんとヘーゼルの瞳が険しくなる。
ラフィの右手は必死に鞭を呼び戻そうとするが、どこで迷子になっているのかもどかしいほどおっとり刀で戻ってくる。
ハニエルの持つ槍が迫る。
ラフィの鞭が懸命に闇を駆けてくる。
だがそれよりも早く首なしの大剣が火を噴く。
「ラフィッ!」
絶叫に近いハニエルの悲鳴が上がった。
しかしラフィの顔には追われる者の蒼白さはない。
自分の頭上にかかった影に気付き、彼は僅かに顔を上げた。
「ったく、いいとこ持ってくんじゃねぇよ」
苦し紛れな強がりの笑みから零れた呟きが迫る剣圧にかき消える。
「シャラァァァァァァァァアアアアアッッッッッ!」
ラフィの視線の先、首なしの騎士の更に上から猛る叫びが響いた。
首なしの騎士を上から撃ち落とさんと旋風が降り下ろされる。
ズドンッ――――と激しい剣風と共にラフィに向いていた騎士の大剣が弾け飛んだ。
騎士は首以外にも両手を失い、無様に床に転がる。
先ほどまで首なしの騎士がいた場所には颯爽と胸を反らし、剣を構えるカンザスがいた。
「おい、大丈夫か……」
首なしの騎士からラフィの方へ視線をやると、カンザスは心配げに眉を寄せた。
きっとお互いにお互いがどういう存在なのか分かっていないだろう。
だが今はお互いの敵が同じであることだけ分かっていればそれでいい。
ラフィが彫の濃い顔が不敵に緩み、カンザスの方を見かえした。
だがすぐにその目が険しくなる。
ラフィの見つめる先、カンザスの背で首なしの騎士がゆらりと立っている。
何とか一矢報いようとしているのか。
もう生きる目的も忠誠を誓う相手もいないのに、その敵に対する貪欲さはどこから来るのか。
カンザス目がけ、噴き出す血もそのままに首なしの騎士が体当たりを仕掛けてくる。
「いい加減にしろ!もう決まってんだよ」
グイッとカンザスの肩を掴むと、ラフィは素早く前に出た。
そしてカンザスの肩を支柱に激しく足を踏み出す。
ラフィの長い足が首なしの騎士の腹に真っ直ぐに入り、広間の端まで蹴り倒した。
それはあまりにも目まぐるしい展開だった。
首なしの騎士が襲いかかってきてから、その者が完全制圧させるまできっと数分もかかっていない。
よってハニエルは槍を構えて走りながらギョッと顔色を変えた。
「ぇええっ!ちょっと……」
まさか体当たりをする前にその標的がなくなるなど思いもしなかったのだ。
なんとか足を止めようと踏ん張るが、人間はそう簡単には止まらない。
「ぃ、いややぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
バランスを崩し、ハニエルはその場に頭から身を投げ出した。
宙をスライディングしていく。
ハニエルの体は低空飛行を続けながら、勢いのまま向こう側から押し寄せるきした騎士達の一団へとぶつかっていく。
「ちょっとぉぉぉぉぉ……どぉぉいぃぃてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」
もちろん誰一人ハニエルの言葉を聞いてくれる者はいない。
だが心あらずな騎士たちをあっと言わせることには成功したらしい。
ポカンと口を開いたまま突っ立っている彼らの内の一人の大事な部分にハニエルの持つ槍が刺さった。
その騎士も周りの騎士達もその一瞬、激痛が走ったかのように顔を歪めた。
ハニエルも思わずつられて、ごめんと謝りながら一緒に顔を歪めたほどだ。
しかし謝りながらもハニエルの身は止まらない。
そのまま床に着地するとともに彼らの足元にぶつかる。
足への攻撃など予想もしなかったらしい彼らは、あまりの勢いに仰け反って倒れていく。
まるでドミノ倒しだ。
元は屈強な騎士だったのだろうが、皆も全身が傷だらけで体は死人のように脆い。
ハニエルの攻撃だけでこんなにも呆気なく崩れていく。
ハニエルは騎士らの甲冑で強かに体をぶつけ、しばし立ち上がることもできなかった。
だがいくら脆く崩れても元は屈強の戦士だ。
すぐに体勢を立て直して、床に突っ伏したまま、手足をばたつかせて懸命に起き上がろうとするハニエルに容赦ない攻撃を仕掛けてくる。
ハニエル目がけ剣が振り下ろされる。
その横から黒い霧がハニエルを包み上げて消してしまおうと近寄る。
咄嗟に上げた顔が見つめる先で、黒と白銀がひしめき合っている。
どっちが先にハニエルを奪えるかを競っているかのようだ。
混乱気味の金色の瞳が迫りくるそれに戦慄いた。
「ぁあ…………」
悲鳴にもならない、情けない驚きが漏れた。覚悟も決める間もない。
あっという間に全てが幕を下ろそうとする。
しかし常に死と生は隣合わせなのだ。
生きていれば常に死の影が付き纏う。
そしてまた逆も然り。
死を自覚した瞬間、生が手を差し出すこともありえるのだ。
迫りくる死を見つめるハニエルの声をかき消し、ヒュンっと風を凪ぐ音とズシャッと何かを切り裂く音が響いた。
金色の見つめる先に鬩ぎ合う闇はない。
あるのは風を纏う鞭が霧を払い、大ぶりな剣が騎士の剣を叩き落としている姿だった。