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世界の終りで3

 ラフィの言葉を背に聞きながら、サリエは広間を見渡した。

 広間の扉の前では大蛇が暴れ、今にも感動の再会を果たしているハニエルとカンザスに襲いかかってきそうだ。

 感情を失った騎士達の大半は大蛇に押しつぶされ、もう起き上がることも叶わない姿と化している。

 その対極、広間の奥の玉座では、冷徹な王が面白くなさそうに顔を顰めている。

 しかし王者の風格と言えばいいのか、その顔には焦りなどはない。

 次の攻撃を仕掛ける気もないらしい。

 虫けらがどこまで粘れるか、ただその興味だけの為に大蛇を好きにさせている。

 ウヴァルにとってはどんな風に物語が進んでも、その行き着く先はたった一つなのだろう。

 幕が下りるのが早いか、遅いかなど些末な問題なのかもしれない。



 その二極の真ん中、広間の中心に大きく描かれた歪な円だけが未だ沈黙を守っている。

 その空間だけまるで切り取られた亜空間のようだ。

 その円の中だけは時も色も全て止まっている。

 その中心にいる美しき女王もまるで眠りについているかのようだ。

 サリエの漆黒の隻眼が何を見定め、キラリと輝いた。


「それにしても聖水って本当に効くんだな!」


 ラフィは、今さらながら小瓶の威力に感心していた。

 サリエに手渡された小瓶の中の透明の液体を振ってみる。

 清らかな聖水が小さく弾んだ。

 自分の懐を探り、残り二個の小瓶をサリエに手渡された三個と合わせ、少し残念そうにため息を吐いた。


「こんなことなら樽ごともってくりゃよかった」


「何を今さら。効果がなければただの水だ。天下の聖域が聖水すら作れぬなら後は滅びるしかない」


「へいへい、相変わらず忌憚ないご意見ありがとうございます。それで?何か現状を打開できる策は見つかったのか?」


 ラフィに背を向け、広間を見渡していたサリエは横目でラフィを一瞥した。

 その表情は常と変わらない無表情だ。


「さぁ?だが、やらねばならない」


 そう吐き捨てると、サリエはビュッと風を切って剣を構え直した。 

 敵意に満ち満ちた黒曜石の瞳が叡智を湛えて、その深さを増す。

 それは戦士の目だ。

 たった一つしかない黒曜石の瞳が死線を見極め、それを飛び越えんと猛る。

 こうなれば誰も彼に近寄れない。 

 空気が全てを拒絶しているかのように震える。

 ビィィン―――ッと空気が震え、大蛇と彼らの間に走る殺気のやり取りが尋常ではないことが肌を通して伝わってくる。


「さて、どう調理してくれようか?」


 玲朗な声には滴るような艶やかさが滲んでいた。

 言うが早いか、サリエは剣を握り返し、我を忘れた大蛇の方へと駆け出した。 

 身を低くして広間を疾走する。

 黒い旋風はあっという間に、怒り暴れ狂う大蛇へ辿り着いた。

 大蛇が羽虫をあしらうように、激しく尾を振り上げる。

 尾がサリエ目がけ、飛んでくる。

 ハニエルはカンザスの側でそれを見つめていた。

 息を飲む暇さえない。

 爆発した火山の岩もこれほど激しく飛んではこないであろう。

 迫りくる兇器を前にサリエが意味深な笑みを浮かべ、舌舐めずりをした。

 二つの衝撃はぶつかる前に、サリエが身をよじり、寸前で大蛇の尾を捌く。


 ズドォン―――ッ


 大蛇の尾が地面を抉る。

 細かな破片が宙を舞う。


「他愛もない」


 目にも止まらぬ速さで天井まで飛びあがっていたサリエが不遜な顔で鼻を鳴らした。

 金色の瞳が見つめる先で、サリエの剣が青く燃え上がる。

 絶対零度の業火――大蛇目がけ燃えさかる炎のような衝撃が振り下ろされる。

 触れあった瞬間、閃光が飛んだ。 

 そして遅れるように空気が震えあがる。

 ズンッと重低音の衝撃波が広間を満たす。

 サリエの剣が暴れ狂う蛇の喉元を一突きにし、それだけでは足りず、そのまま剣を返すと地面へと叩き落とす。

 激動が広間を駆けた。


「ッッッッシャァァァァァァアアアアアアァァァァァアァァァァァァッッッッ」


 大蛇が絶叫を上げ、もんどり打つ。

 しかし非情な異端審問官は表情を変えることなく、その腕に力を込め、大蛇を床に磔にせんとする。

 常に冷え冷えとした氷の美貌が熱せられ、険しさと共に躍動する生に輝いていた。

 それはある意味死の天使サリエらしくない、まるで血を求め戦場を駆ける戦士のようだった。


「サ、サリエ……」


 冷静な攻撃しか見せなかったサリエらしくない獰猛な姿にハニエルは息を飲んだ。

 彼が心配な訳ではない。

 サリエの力を以てすれば大蛇を永遠の海に沈めることも可能だろう。

 事実サリエは傷一つ負わずに大蛇を一刀の下に沈めている。

 それでも漠然とした不安が込み上げてきたのは、サリエの横顔が今まで見た彼の顔と違っていたからだ。

 触れれば瞬時に切れてしまいそうな氷の美貌に見たこともない狂気が見え隠れする。

 何故だか目が離せずにいるハニエルの腕をカンザスが掴む。

 一瞬カンザスの存在すら頭から飛んでいたハニエルは驚いたように振り返った。

 その彼女を元気づけるようにカンザスが笑みを向けた。


「大丈夫や、オレもあいつの援護をすっから!君はオレが守ったるで、ハニエル」


「カンザス………」


「いい心掛けだ。そのままハニーを守っとけよっ!」


 ニヤっと笑いかけるとラフィが二人の横を風のように通り過ぎた。

 ハニエルの止める間もない。

 ラフィは二人の視線を振り切るように走り、大蛇の側まで来ると手にした小瓶を三個、宙に投げた。

 素早く鞭を構える。


「ラフィ?」


「共鳴―――――――っ!」


 鞭が唸り、空気が爆ぜた。

 突如押し寄せた竜巻がラフィの鞭から繰り出され、大蛇目がけ押し寄せる。

 ギュンギュンと空気が震え、広間の全ての風がラフィに集まる。

 あまりの激しさに息が苦しくなっていく。

 壊れた小瓶から零れた聖水の雫が竜巻に押しやられ、水の刃になって大蛇に襲いかかる。

 それは目を見張る光景だった。

 人が自然の叡智を操り、従えている。

 押し寄せる風の大鎌が大蛇の身を切り裂かんと光った。 

 その一瞬を見逃さずにサリエが飛び退く。

 瞬時、横から吹きすさぶ暴風が大蛇の身を撃った。

 幾億もの風の刃と幾つもの神の慈愛の涙が大蛇の身を穿つ。

 大蛇が天に噛みつかんと頭上を仰ぎ、それでも足りずに長い舌を限界まで伸ばす。

 ズドンッとハニエルの鼓膜を破裂させるような風の唸りが全てを凌駕する。 

 ズタズタに裂ける大蛇の身体からドロリとした血が噴き出した。

 血の雨が降る。

 一瞬で広間は赤く染めるそれは天井で怯えるように揺れていたシャンデリアの灯すらその色に変える。

 汚泥のような赤はハニエルの方にも飛んでくる。

 カンザスが庇ってくれたが、それでもそのいくつかはハニエルの頬を赤く染めた。

 そっとそれを拭い、ハニエルは胸が締め付けられる。

 ハニエルは人知れず涙を流した。

 そして、広間の奥の特等席で一部始終を見ているウヴァルの方を振り返る。

 ウヴァルは大蛇が血を噴き、痛みから逃れんと身を打っていても特に思うところはないようだった。

 だが無感情な青銀の瞳が少しだけ見開かれている。

 青銀の瞳が見つめる先でラフィが鞭をしならせ、身構えている。

 そのすぐ側では剣に付いた血を拭うようにサリエが剣を鋭く振り、ウヴァルの方を睨みつけている。

 もう大蛇は悲鳴すら上げない。

 サリエに床に落とされたまま、大蛇は沈んだ。

 二度と起き上がれない、永遠の海に。

 聖水に焼かれた背から煙が上がり、大蛇の身が燃えカスとなって、広間に舞い落ちていく。

 一度同情するようにラフィが大蛇の方を振り向くと、胸の前で十字を切った。


「灰は灰に、塵は塵に……哀れな迷い子には永遠の安寧を………」


 聖域の司教らしい厳かな声だった。

 ざぁっと風がかつて大蛇だった灰を散らばせた。

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