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世界の終りで1

 聞き覚えのある声だ。

 キビキビしていて、ちょっと不器用そうで、だが優しくて聞き心地のよい、澄んだ青年の声――それはあの森の中で出会った訛りもきつい聖域の衛兵、カンザスのものだった。

 ハニエルからその姿は見えない。

 いや、その声すら大蛇の上げる咆哮の所為で空耳かと思ったほどだ。

 その瞬間ハニエルに分かったことはサリエに抱えられたまま、左に飛んだことと、大蛇の向こうからラフィの弾む声が聞こえたことだけ。

 そして広間の空気が変わったこと――――。


「よっしゃ!おれの出番だなっ!」


 誰よりも敏感に風の流れを感じたラフィは機を得たとばかりにニヤリと笑った。

 ラフィは何度打倒しても起き上がり自分に剣を向けてくる騎士達を一斉に薙ぎ払うと、自分の懐から透明の液体が入った小瓶を取り出した。

 素早くその小瓶の蓋を外し、宙へと投げ捨てた。

 軽やかに闇の中空で弧を描くその小瓶から清らかな雫が零れ出す。


「困ったな。専門分野じゃないんだ。だから失敗しても悪く思うなよ」


 そう言う顔は自信満々だ。

 ラフィは髪を掻きあげ、鞭を持つ手に力を入れた。

 そのまま静かに瞳を閉じ、目には見えない何かを掴もうとするかのように大きく息を吐いた。

 それは瞬きよりも短な間の出来事だった。

 宙を舞う小瓶がくるりくるりと円を描きながら、床へと落ちていく。

 円を描く度に涙のような雫が宙に広がる。

 その小瓶目がけ、ラフィは鞭を振るった。


共鳴シンパシー―――……風よ、我に従いて神の慈悲深き涙を槍とせよ――」


 闇が戦慄いた。

 いや、広間中にあった風が全てラフィの声に従うように鞭へと吸い込まれていったと言えばいいのか。

 時と時の、目には見えない間を縫っていくような敏捷さで闇を駆ける鞭は、肉眼ではその残像も分からない。

 ラフィの放った鞭は幾重にも重なる旋風を纏い飛んでいく。

 いや、鞭には限界距離が存在する。 

 しかし鞭から離れた風の鞭はそんなものすら感じさせる時間を与えずに、ラフィの投げた小瓶を粉々に砕き、大蛇に飛びかかった。

 サリエが大蛇の攻撃を避けて左に大きく飛びあがり、ゆっくりと床に着地した時、同じして大蛇の背を風の鞭が刃となって切り裂いた。

 厚い大蛇の身を裂く重い音と共に、ジュッっと酸が物を溶かすような音が広間に響いた。

 大蛇の背から黒い煙が濛々と立ち上る。

 大蛇はまるで悲鳴を上げるように頭を天高く持ち上げた。


「キシャァアアァァァァァァァァアアァアァァッァァァ」


 大蛇がもんどり打つ。

 形振り構わず身を捻じり、広間がミシッと嫌な音を立てた。

 大蛇はもう制御を失った、ただの肉塊となっていた。

 敵味方関係なく自分の側にある者を薙ぎ払おうと、太い尾を振り回し、何度も床に頭を叩きつける。

 広間の扉の前で呆然と立ち竦むカンザスに対しても否応なしに向けられる。

 カンザスは自分目がけ飛んでくる大蛇の尾を間一髪で避けると、素早く広間の中を見渡した。

 何かに導かれるように駆けて行き着いた先が、まさか悪夢に出てくる地獄そのものだと誰が思うだろう。

 この状況を見るにつけ、先ほど出会った超人的な肉体の男がまだまともな人間に思えてくる。

 広間の中でまとも人間は数えるほどしかいない。

 広間の中腹にいる鞭を持った男とその男から僅かに離れた場所で何かを抱えている黒髪の男。

 そして奥にいる細身の青年だけだ。

 ペリドットの瞳が自身の進むべき道を見定め、闇を切り裂くように輝く。


「ここは化け物の巣窟かっ!」


 大蛇の艶めかしい胴体を飛びこえ、カンザスは広間を駆けた。

 彼が目指す先にいるのは狂った魔物だ。

 力強く床を蹴ると、カンザスは天井近くまで飛び上がった。

 それと同時に腰に佩いている剣を抜きさると、魔物の脳天目がけ、高々と掲げられる。

 よく使い古されたその剣は、それでも鋭利な輝きを忘れていない。

 頭上高く掲げられた剣が電光石火の鋭さで振り下ろされる。

 瞬間火花が散った。

 のた打ち回っている大蛇の頭が再度大理石の海に沈んだ。

 遅れて地面がひっくり返り、天上天下が逆に向く様な衝撃が走った。


「ヒュ~やるじゃん、誰か知らないが……」


 いつの間にかサリエとハニエルの側に来たラフィが感心したように目を見開き、口笛を吹いた。

 サリエとラフィにはその闖入者の動きが見えているようだったが、残念ながらハニエルの視界にはサリエの広い背しかない。

 なんとか身を捻じって、自分の後ろで行われている状況を確認しようもサリエが無遠慮に動くため、ハニエルはすぐに元の状態に戻され、だらんとサリエの肩で揺れるしかない。

 サリエがフンッと鼻を鳴らし、冷めた流し目を大蛇の方に向けた。


「大方思慮浅い、祈りの泉の衛兵辺りだろ?」


 興味なさげな口調はもう大蛇も勇敢な闖入者もどうでもいいと言わんばかりだ。

 だがサリエのカラクリを知らないラフィはしきりに首をひねっている。


「祈りの泉の衛兵?いやに具体的じゃねぇか?」


 二人の会話をただ聞くだけのハニエルには祈りの泉がどこにあるのかも分からない。

 だが、彼女の鼓動は何かを確信したように早なる。

 ハニエルが知っている聖域の衛兵はこのエクロ=カナンには一人しかいない。

 あの森で突如切り裂かれるように別れた、小柄で勇敢な衛兵だ。

 独り言のように呟いた。


「カ、カンザス……?」


 それに応えるようにサリエがクッと喉を鳴らした。

 意味深に自分の後ろに一瞥をくれる。


「無謀と勇気を混同している奴はどっかの衛兵か、どっかの聖女と相場が決まっている」


「何よ!それ!」

「何だよ、それっ!」


 思わぬ言葉にカチンときたハニエルが一吠えする。

 だが、それ以上に張り上げられた甲高い青年の怒声に阻まれてしまった。 

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