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悪夢の始まり6

 あの崖の上で屈強なアンダルシアの騎士団を一瞬にして打ち破った悪魔の瞳の威力を思い出した。

 あの瞳は一瞬で騎士団の動きを止め、地面で昏倒していた。

 命を奪わずに動きを止める。

 これほどいい方法が他にあるだろうか。

 しかし目を輝かせるハニエルと違って、サリエは渋い表情だ。

 困惑気味に二三瞬きをし、それから気まずげに顔を背ける。


「悪魔の瞳?ああ、そうだな……しかし、一個と二個じゃ分が悪いと思わんか?」


「それ、へ理屈って言うのよ!やってみなきゃ分かんないでしょ!」


 にべもない返事を返され、ハニエルは憤然とした。

 彼にしてはなんと弱気な発言だろうと、サリエのマントを掴んで自分の方へと寄せる。

 目で訴えかけるように下から長身の彼を睨みつけようとした。

 だがそれよりも先にサリエがハニエルを抱き寄せた。


「っへぇ?」


 思わず出鼻を挫かれたハニエルが情けない声を出した瞬間、サリエは地面を蹴った。

 一瞬の後、ハニエルの鼻先を暴風が駆け抜けた。

 合わせるように大蛇の尾が勢いよく飛んできた。

 ゴウッと風を切るそれは、触れればその瞬間に木っ端微塵にされてしまいそうな勢いで押し寄せ、そしてハニエル達の横を過ぎるとけたたましい音を立てて床を抉った。

 硬質な大理石の床がまるでパン屑のように飛び散る。

 攻撃をかわされた大蛇が不機嫌そうに天を仰いで、長い舌を限界まで突き上げる。


「ッッッフッシャァァァァァァァァァァアアァァァァァァァァ」


 体の奥底から一瞬で凍らされるような叫びが広間を震わす。

 大蛇はゆっくりと視線を床へと戻すと、ハニエルとサリエを的に定めた。

 爬虫類特有の見開かれた目がギラリと輝く。


「お前が叫ぶから、あの蛇が反応したろうがっ」


 チッと舌打ちするとサリエはハニエルの体を軽々と肩まで持ち上げ、片手で支えた。

 ハニエルに言葉を発する余裕など与えない。

 そのまま広間を駆けだす。その背を追うように大蛇が床を這う。

 這っているはずなのに、その速さはまるで草原を駆ける肉食獣のようだ。

 途中何人もの騎士を巻き込みながら、大蛇はハニエルとサリエに狙いを定めたまま一直線に迫ってくる。

 大蛇の通った後には赤い一筋の線が出来ていく。

 大蛇は一度収縮したかと思うと空中に向かって飛び上がった。

 そのまま頭上から二人を丸飲みにする算段なのだろう。

 風が逃げ惑い、腐臭が困惑する。

 赤く裂けた口をめい一杯広げた大蛇がすぐそこまで来ていた。

 頭上を見上げたハニエルの目には鋭い歯の向こうにある闇しか見えない。


「サリエェェェェェェェエエエェェェェェェェェッッッッ!」


 どうすればこの危機から回避できるのか。

 ハニエルは力の限り叫んでサリエの首元に縋りついた。

 そのハニエルの耳元で、乱れたサリエの吐息が聞こえる。


「……っ分かっている。騒ぐな、莫迦がっ!」


 苦しそうな息を吐きながら、しかし顔つきだけは余裕綽々とサリエは嗤った。

 彼はハニエルを抱えたまま、横に飛びのいた。

 刹那、闇が収斂した。

 ズシンッ―――と腹に響く衝撃が広間を駆け抜ける。

 ハニエルの目の前で大蛇は石の海に潜りこみ、大理石の波飛沫が高らかと上がる。

 ストッと軽やかに床に着地したサリエはハニエルをかかえたまま、大きく息を吐いた。

 だがすぐに息を整えると、そのまま大蛇との距離を測るように重心を落として身構える。

 大蛇はすぐに顔を上げた。

 あれだけの破壊力を以て大理石の床を砕いたというのに、彼の物の顔面には傷一つなかった。

 平衡感覚を狂わすような激しい地鳴りが広間を席巻する。

 狂気に輝く冷やかな瞳が怒りを孕んで、ハニエルに向けられた。

 まるでねっとりと這う蛇のような殺気がハニエルの首に巻きつき、ゆっくりと息を奪おうとしているかのようだ。

 底知れない大蛇の眼差しにハニエルは肌を粟立たせた。


「ッックッシャァァァァァァァァァアアアァァァァァァッッッ」


 大蛇は広間を震撼させるような咆哮でハニエル達を威嚇し、鎌首を持ち上げた。

 それは、二度目はないと宣言した稀代の戦士のようだった。

 息を飲む間も与えず、大蛇はハニエルに、そしてハニエルを抱えるサリエの方へと向かってくる。

 サリエは正面に大蛇を見据えたまま動こうともしない。

 腰を低くしたまま、片手で肩に乗ったハニエルを支え、片手で剣を構えている。

 圧倒的にサリエの方が、分が悪い。


「サリエッ!もういいからっ!わたしを下ろしてっ!」


 ハニエルは迫りくる大蛇を前に悲痛な叫びを上げた。

 無力なハニエルを守ってサリエが傷つくのはハニエルの本意ではない。

 しかしサリエはその声を聞いても頑としてハニエルを手放さない。

 身を捻じって降りようとするハニエルの腰をガシリと掴むと、ハニエルの方に顔を上げた。

 クッと喉を鳴らし、秀麗な顔を意地悪く歪む。


「なってない聖女様だな。言いつけを忘れたか?お淑やかに笑ってろと言ったはずだ」


「屁理屈はいいの!下ろしてったら!」


「却下!そう簡単にあの蛇に餌をやる気にはならん」


 ハニエルを餌だと言い放つと、サリエは無造作にハニエルを担ぎ直した。

 まるで荷物のような扱いだ。

 しかし今は、抱えられ方に文句を言っている場合ではない。

 彼の強がりや不器用な優しさに甘えて、守られてるばかりでは何も解決しないのだ。

 ハニエルはサリエの広い背を叩き、足をばたつかせた。


「サリエッ!私を下ろしてったら!わたしも一緒に戦うからっ!」


「はぁ……いくら阿保でも10を聞いて1ぐらい理解しろ。俺は却下と言った。強情で聞き分けのない聖女様には再教育が必要か?」


 身を捻じったハニエルを押さえつけ、サリエは心底嫌そうに首を振った。

 しかしその手は未だハニエルの腰を押さえつけ、離す気はないらしい。

 サリエはその体勢のまま次の大蛇の攻撃に備えるように更に身を低くし、臨戦態勢になった。

 大蛇も空中から二人に狙い定め、空気を震わす咆哮をあげた。


「ッックッシャァァァァァァァァァアアアァァァァァァッッッ」


 そう静かにサリエが答えたと同時に大蛇が収縮した。

 また飛びかかってくるつもりなのだろう。

 ハニエルが鼻持ちならないサリエの言葉に何かを返そうと口を開いたが、それが言葉になる前に大蛇は空中に踊り上がっていた。

 このままハニエルを抱いたままではサリエは大蛇に攻撃することは叶わない。

 その行き着く先は………。

 この闇にあって想像に難くない、差し迫った未来がすぐそこまで来ていた。

 しかし剛速で闇を駆ける大蛇から目を背けることはできない。

 人とは明らかに違う瞳は瞳孔が開き、闇の中で妙に煌めいて見えた。

 その瞳には何も映っていない。

 大蛇の向こう側には、こちら側を気にしながらも一人で何人もの騎士達を相手にしているラフィが見える。

 状況は最悪だ。何よりハニエルがその最悪さに輪をかけていると言ってもいい。

 広間の奥からウヴァルの嬉々とした笑い声が聞こえてくる。


「あはははっ、口ほどにもない。これで終わりだ、ハニー」


 後少し、ハニエルの視界には大きく開いた大蛇の口の中にある虚空しか見えなくなったその時―――バンっと空気が反発するような快活な音が広間に響いた。

 広間に外の清らかな空気が流れ込んだ。 


「な、なんや、これはっ!!」


 開け放たれたそこから清涼な風が流れ込み、広間に籠っていた鬱蒼とした空気を吹き飛ばす。

 そしてその風と共に妙に人懐っこい印象を受ける声が響いた。   

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