悪夢の始まり4
ハニエルは泣き叫ぶように喚いた。
そんな彼女を面倒臭そうに、それこそ蠅でも払うかのようにサリエは片手であしらうと自分の背後に追いやった。
「光栄だね、大国ウォルセレンの噂の聖女殿下にそう評価してもらえて」
甘い声でそう呟く。
その声に反して攻撃的な動きでサリエの握る剣が闇を駆け抜けた。
驚くハニエルの視界で、甲冑に身を包んだ騎士2人が床に崩れた。
ガシャンッと甲冑が大理石の床にぶつかる音が遅れて聞こえてくる。
剣を薙ぎ、堂々と前を見据えるサリエの背には何の焦りも怯えもない。
騎士達が描く正円の一部がサリエだけぽっかりと欠けていた。
だがその隙間を埋めんと、別の騎士が矢継ぎ早に鋭く槍を突きたてた。
それも三方からいっぺんにだ。
サリエを串刺しにせんと目にも止まらぬ速さで槍が飛ぶ。
「サリエ!危ない!!」
ハニエルは思わず声を上げた。
意味もなく、だが突き動かされるように手を伸ばす。
その指が差し示す先で、鋭い剣が闇を切り裂いた。
それは息を飲む間すら与えないほど、圧倒的な光景だった。
ハニエルの見つめる先で、サリエは軽く飛びあがって三槍の切っ先をかわすと、一切無駄のない動きで、空中で身を捻じった。
そのまま、空中から一人の騎士の顔面へと華麗に降り立つと同時に残りの二人の腹に目にも止まらぬ速さで一撃を加え、床に沈めた。
サリエは着地した男の顎を蹴り上げ、向こう側から迫る敵の動きを阻むと、その場で軽やかに回転した。
もちろん回りながら剣を薙ぐことも忘れない。
勢いのついた剣は風の甲冑を纏い、更に威力を増す。
そのまま後ろにいた騎士に攻撃の暇さえ与えず吹き飛ばした。
その騎士の後ろで切りかかっていた別の騎士共々彼らは床の上に折り重なっていく。
「っうそ……たった二人なのに………」
目の前で繰り広げられる一方的な命のやりとりにハニエルは釘付けになっていた。
全く表情を変えずに淡々と騎士達を捌くサリエの横で、ラフィが手にした鞭で数人の槍を一斉に打ち払う。
鞭はまるで生き物のようにラフィに懐き、彼の命令に従順だ。
鞭の飛距離に限界がないのだ。
無限大で死角なしの鞭が縦横無尽に宙を切り裂く。
しなやかなで無駄のない動きは革特有のものだ。
しかしその威力はサリエの剣と引けをとらない。
ヒュッと風を引き裂く音と共に激しく風の爆ぜる音がする。
まるで風が鞭に絡まり、鞭の一部になっているようだ。
ハニエルを中心に据えて、二人の天使が円を描くように舞っている。
その円の中だけは、肺を蝕む闇も薄らぎ、神の祝福に満たされているようだった。
剣の舞が激しく炸裂し、旋風が駆け巡る。
目まぐるしく展開される圧倒的で壮絶な侵略を前に、いかな騎士であろうと敵う筈がなかった。
ハニエルは、サリエがどんな悪意を前にしても顔色を変えなかったことを思い出した。
確かにこれほどの腕を持っていれば、馬鹿らしくて手を出す気にもならないだろう。
感心しすぎて、どこを見ていればいいのか分からないハニエルは、音に惹かれるように縦横無尽に闇を裂いて回る二人を交互に見つめていた。
その為、ハニエルは自分に近寄る脅威に対して無頓着となっていた。
耳に籠る剣風に弾かれ顔を上げた時には、もうすぐそこにまで鋭利な輝きが迫っていた。
ハニエルは目を大きく見開いた。
強力の二人の守護天使の間を突いて、騎士がハニエルに一撃をいれようとその鈍く煌めく刃を打ちおろそうとしている。
金色の瞳が吸い込まれるように、その鋭い切っ先を見つめる。
視界の遠く彼方にサリエとラフィがいた。
「っ――――――!」
避けなければ……そう分かっているのに体が言うことを聞かない。
いつからハニエルの体はハニエルの言葉に従わなくなってしまったのだろうか。
風にねじ込まれる剣圧の雄々しい音が鼓膜に響く。
「ぃぃぃぃややややややぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
剣先から逃げるように固く目を閉じた。
そんなことをしても何の解決にもならないと知りながらも、押し寄せる恐怖を見つめることができなかった。
ハニエルは咄嗟に身を捻じり、頭を抱え込む。熱い衝撃が脳漿を駆け抜ける予感に総毛立つ。
しかし予感が実現するその前に、ハニエルの頭上で金属同士が擦れ合う嫌な甲高い悲鳴がこだました。