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悪魔のような天使4

「そんなに睨むなよ。サリエは始めから君を殺す気なんてなかったのさ。それどころか君が死なないように色々工夫していたぐらいだよ?だから今までの非礼は許してやってくれ」


「ちょっっ、ラフィ!あなた、このインケン男は知り合いなの?それに殺すつもりがなかったってどういうこと!わたし、この男に何度も殺されそうに………」


 衝撃の言葉の連続にハニエルはうろたえるばかりだ。

 この場の空気を一瞬で変えた男達はハニエルが知っている全てを打ち壊す。

 歪な円の淵で、二人は周りの視線など一切構わずに、我が道を突き進む。

 この凍りつきそうなほど悪意に満ちた広間で二人の異端審問官だけが異端だった。

 闇に染まることなく自分達のペースを崩さない。

 そして場が白けるほどに空気を読まないのだ。


「あははっ~!!インケン男!その通りだな、サリエ!」


「煩い。黙れ、ラフィ」


 おかしそうにバンバンと自分の背を叩く男にサリエはにべもない返事を返した。

 しかめっ面の氷の美貌は美しいだけあって、恐ろしい。

 しかしラフィは慣れたもののようで、大げさに肩を竦めるばかりだ。

 サリエは何も答えない。

 ただ、無表情を崩さずに押し黙っている。どうやらハニエルの疑問に答えるつもりなど更々ないらしい。

 そんなサリエに代わり、ラフィが親切に説明をしてくれる。


「おれらはね、聖域におわす教皇聖下から派遣された異端審問官さ。大司教の動向や後『禁忌の書』なんかを調べるように使命を受けた。まぁ、他にも調べるように密命を受けていたんだけど、それは置いておいて。大司教に気付かれぬように調べている間に、この騒ぎが始まって、これ幸いとばかりに騒ぎに乗ることにした。傍観者の振りをしてね……」


「じゃ、じゃあ………」


「そう、大司教たちに気付かれずに君を守るため、あんなややこしい手順を踏んだんだ。色々怖がらせてごめんね」


 柔らかなヘーゼル瞳がウインクを投げかけてくる。

 ラフィは見た目に動揺しているハニエルにために言葉を砕いて、ゆっくりと説明してくれた。

 ゆっくりと意味を理解した金色の瞳が大きく瞬く。

 大きく息を飲んだ。


「じゃあ、ラフィは吟遊詩人じゃないの!」


「おいおい……突っ込む所は他にもあるだろうが」


 ハニエルの驚きにラフィはガクッと肩を落とした。

 どこかいじけたような、恨みがましい瞳でじとりとハニエルを見返すが、根が優しい彼はハニエルの疑問に真摯に答えてやる。


「世界を股に掛けた吟遊詩人とは仮の姿。おれもサリエと同じ、教皇直属の異端審問官――通称死の天使だよ。あの河岸で初めて出会った時、おれが異端審問官だと名乗ったら、君は絶対に逃げ出しただろ?」


 世界を股に掛けた吟遊詩人などという触れ込みだったろうか。

 ハニエルはラフィの言葉を呆然と聞きながら、そんなどうでもいいことを考えていた。

 本当はもっと色々な事が聞きたかった。

 でも今は目の前のことに目一杯で、それ以上は何も言えなかった。

 きっとハニエルが矢継ぎ早に質問を浴びせても、彼らは…と言ってもラフィだけだが、全てに応えてくれただろう。

 こんな敵地の中心で、そんなことを感じさせないような日常感を振りまいて……。

 ハニエルは胸の前で握り締めた手に更に力を入れた。

 力み過ぎて、小刻みに震える。

 それは今のハニエルの心の内のようだった。

 幾度となく裏切られた乙女は、不意に差し出された大きな手を前に困惑し、この手を取るべきか否かを考えあぐねていた。

 本当は、心は決まっている。

 もうその手を信じる以外にハニエルに残された道はない。

 けれども、傷だらけの心は過敏に反応し、もしかして手を取った瞬間にウヴァルの前に引き出されるのではと怖気づいて、手負いの小動物のように逆毛立ってしまう。


「なんだ?崖から落ちても懲りないお転婆が、やけにしおらしいじゃないか。頭でも打ったか?さっきから何も言葉になってない」


 サリエは莫迦にしたように口の端を上げた。

 そしてハニエルだけに見せる、底意地の悪い絶世の美貌で視線を投げかけてくる。


「バ、バカにして!それどころの話じゃないでしょ!」


 かぁっと頬を朱に染めて、ハニエルは叫んだ。

 サリエはどんな場にあってもハニエルをからかう態度を改めない。

 初めて会った時も、崖から突き落とした時も、そして彼の秘密を知った時も。

 ずっとハニエルを小馬鹿にして、心を乱し、そしてハニエルの心に火をつける。

 そんな彼がずっとハニエルを守っていたなんて、未だに信じられない。

 いや、もう何を信じればいいのかハニエルは知る術がなかった。

 さっきまで自分を攻め立てていた男が急に味方の顔をして側にいる。

 本当に味方なのか、またハニエルを陥れようとしているのか。

 それでも今はこの存在以外、ハニエルにはない。

 口が悪くて、いけすかない異端審問官。

 でも、彼の実力はハニエルが一番知っている。彼以上に力強い味方はない。


「あ、あなたね、始めから味方なら味方って言いなさいよ!何度も殺そうとして、今さら味方でしたなんてズルイッ!わたし、あなたが剣を振り上げて切りかかろうとしたこと、一生忘れないわよ!」


 ハニエルは凍りついた広間に大きく一歩踏み出した。

 そして勢いよくサリエに向かって、指を突きつける。

 さっきまでとは一変、その顔には常の負けん気の強さが溢れていた。

 サリエは麗しい顔を歪め、黒曜石の瞳を好戦的に輝かせた。

 フッと形のよい唇を押し上げると、誘うように唇を指でなぞる。

 彼は空いた手を腰に当てて、まるで値ぶみでもするかのように身を屈ませた。

 そして穿るようにハニエルに視線を投げかけた。


「指を指すな。一体どんな教育を受けているんだ、聖女様とやらは」


「インケンッ!で意地の悪い不届き者の異端審問官には、礼を尽くす必要なしっ!って習ったわ」


 ハニエルは、フンッと鼻を鳴らし、嫌味に嫌味で返した。

 だが、相手は百戦錬磨の異端審問官だ。

 どう足掻いてもハニエルに勝ち目はない。

 身を屈めてじっとハニエルを見つめる漆黒の瞳が艶然と染まった。


「それはそれは。教育の甲斐あって、素晴らしきじゃじゃ馬が育ったものだ」


「なぁ、なんですって!」


「見たままだろ?今更騒ぐな。お前は早とちりばかりする。あの時も切りかかろうとしただけで、あのまま立ってたら剣は上手にお前を避ける予定だった。崖に勝手に落ちたのはお前の方だ」


 まるで詐欺の言い逃れを聞いているような気にさせられ、ハニエルは更に腸が煮え繰り返る思いがした。

 ガツガツと足音を立てて、サリエの方に突き進むと、ハニエルはもう一度、サリエの胸に指を突きつけてやった。


「そんなの分かる訳ないでしょ!なんでそんな歪んだことばっかりするの!」


 ぐいっと指を突きつけられてもサリエはプイっとそっぽを向く。

 そんな態度が更にハニエルの怒りに油を注ぐ。

 今にもサリエにとっ掴みあいの喧嘩をふっかけそうになったが、ラフィがハニエルとサリエの間に入り、ハニエルを引き剥がす。

 まるで幼子をあやす様に、まぁまぁと手でハニエルを制した。

 苦労症の彼は、勝手気ままな二人にかき乱され、どこか疲れきった顔をしていた。


「はいはい、お二人さん。積もる話はまた後で……」


「でも、ラフィ!」


 ラフィに取り押さえられたハニエルが不服そうな顔を上げた。

 パンパンに膨らんだしかっめ面が愛らしく、ラフィは思わず顔を緩めた。

 乱れたハニエルの髪を直すように、ラフィはそっとその赤い髪を撫でてやる。

 そして、視線をハニエルからずっと殺意を持ってこちらを見つめる、青銀の瞳へと向けた。


「とりあえず痴話喧嘩は、この劇を終焉まで見てからにしてくれ」


 表情を無くした顔に、シャンデリアのほの暗い明かりが降り注ぐ。

 彼の長い睫毛が青白い肌に影を落とし、まるで幽鬼のような空恐ろしい顔だった。

 彼は刺すような視線で、言葉なく闖入者達を見下している。

 ラフィは憐みを帯びたヘーゼルの瞳を眇めた。


「まさか、ここの王子様が黒幕とは思わなかったがな……」


「俺も、こんなあっさり裏切られるとは思ってなかったよ。まぁ最後はどのみち消す予定だったけど……」


 裏切ったと言いながらも、鷹揚と三人を見下ろすウヴァルは酷薄な無表情だ。

 彼はふっと吐息を零すと、悠然と椅子に腰掛けた。

 気だるげに二三度顔を振ったが、次にハニエル達に向けられた顔には残忍な笑みがこびり付いていた。

 ククッと喉を鳴らすと、ウヴァルは鷹揚と足を組んでみせた。


「まあ、ゴミが二つ増えても何も変わらないか」


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