悪魔のような天使1
「それでしょ?君の使者」
歌うように告げ、からかうようにほっそりした指先をハニエルの方に向けてくる。
一瞬、ウヴァルの言わんとしていることが分からずに、指差された自分の胸元を手で押さえたが、はっと気が付きハニエルは弾かれたように後ろを振り返った。
そこはハニエルがこの広間に入ってきた唯一の出入口である運命の扉がある。
ハニエルが体を数歩退けると、ウヴァルの指はまっすぐに扉を指し示めしていた。
「っえ―――――………」
突如、ハニエルの背にあった運命の扉が勢いよく開く。
広間にたった一つしかない扉の向こう、まるで深淵の闇に穿たれたように開いた先には地獄への道を飾るかのような赤い絨毯が真っ直ぐに伸びていた。
その道を寡黙な騎士達が列をなして、こちらに歩んでくる。
甲冑で身を包んだ騎士達の硬質な足音が規 則正しく響き、近付くほどにその音が大きく歪に反響した。
何が起きているのかハニエルには皆目見当もつかなかった。
だが自分にとっていいとは言い切れない状況であるのは分かる。
新たな敵の登場にハニエルは身を硬くした。
甲冑の兜を被る騎士達の間で、柔らかな亜麻色の髪が揺れていた。
騎士団の誰よりも長身の為に、すぐに目についた。
見慣れた色の髪だった。
そう、つい数時間前にすぐ目の前にあったものと同じ色をしている。
ただ一点を見つめていた金色の瞳が戦慄いた。
騎士達を引き連れるように、その男は亜麻色の髪を靡かせ、颯爽と歩いてくる。
彼はハニエルと眼が合うと悪びれもなく笑った。
「なん……で?」
彼はさきほどこの城の地下で別れたはずだ。
石の扉に遮れ、ちゃんとした別れの挨拶もできなかったが、彼はハニエルの託した想いを受け継ぎ、ウォルセレンに向かっているはずだ。
なのに、何故ここにいるのか。
ハニエルは言葉を失い、はち切れんばかりに見開いた瞳で、広間に入ってくる騎士達を見つめていた。
打ちのめされたように立ち尽くすハニエルの側を騎士達が通り過ぎていく。
その列の中に黒いマントを頭からつま先まですっぽり被り、項垂れるように頭を下げた者がいた。
そのマントの者はハニエルに何かを訴えかけるようにハニエルの方に身を捻じったが、男に引っ張られるようにして連れて行かれた。
男とマントを羽織った者だけが歪な円の淵に残され、彼らを連れてきた騎士達はハニエルを逃すまいと広間の端に移動した。
ハニエルは食い入るようにマントの者を見つめた。
俯いていてその全貌が分からないが、ほっそりしたシルエットからそれが誰なのか、想像に難くなかった。
ハニエルはその事実に愕然とした。
今にも心が壊れ、その場に崩れ落ちそうだった。
震える手で嗚咽を抑え込み、ただマントの者だけを見つめる。
「キャ、キャメル――…………」
彼女が何故、この地に舞い戻ってきたのか。
先ほど地下の牢から助けだした時、キャメルは愛らしい青銀の瞳を潤ませてハニエルに誓ったはずだ。
『姫様、本当にありがとうございます。姫様の父上に必ず、姫様の無事を伝えますわ。だから、それまで女王様のことをお願いします』
アシュリの攻撃の最中、唐突に別れることになったが、確実に彼らをこの城の地下から助け出せたはずだ。
キャメルだけでは行先が不安で、だからこそ旅慣れた彼の存在がどれだけ大きかったことか。
彼らが外からこのエクロ=カナンを変えてくれる。
そう信じていたからこそ、ハニエルは全力でウヴァルに臨めたというのに……………なのに、今目の前にいる彼らはなんだというのだろう。
ハニエルの壊れ掛けの感情が爆発した。
「ッッッッラフィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!」
切り裂かんばかりに鋭い金色の瞳で裏切った男を睨みつけた。
ハニエルに感化された空気がそこに立つ男に向かって、一直線に駆け抜ける。
その気迫すら鼻で笑うようにあしらうと、ラフィは小馬鹿にしたように肩を竦めた。
そこにはもう、優しくて、押しに弱くて、卒ある男前の詩人はいない。
闇に揺らめく炎に照らされた男はハニエルの知らない顔をしていた。
暴走しそうな感情を抑えつけるように歯を食いしばって、ハニエルはその荒波に耐えた。
ここで感情に全てを乗っ取られたら、彼らの思い通りだ。
無様な姿を曝し、笑い物になるためにここにいる訳ではない。
自分の内面にそう語りかけるが、感情は先走りし、ハニエルを暗い波の中に飲み込んでいく。
無表情に凍りついた顔で真っ直ぐにラフィを見つめる。
ラフィはハニエルの顔を面白そうに見つめ返した。
まるで森の中で焚き火を囲んでいるような気軽さである。
城の地下で別れた時、ラフィは服をハニエルに貸し与えており、ひどく貧相な服装をしていた。
だが、今、目の前にいる彼はそんな滑稽な姿など嘘のように引き締まった姿だった。
ラフィは上から下まで闇のような黒で設えた喪服を着ていた。