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悪魔の正体2

 凍りついた青銀の瞳は表情を失い、抑揚のない演説が広間に悲しく響く。

 ハニエルはただ、玉座の上の少年王を見つめるしかできなかった。

 ウヴァルが見つめている世界がこんなにも自分と違っていたなど、今まで知らなかった。

 異なる瞳の色をしていても、その目に映す真実は同じだと信じて疑わなかった。

 だがハニエルは今、ウヴァルとの間にけして渡れぬ隔たりを見た。

 彼は今までハニエルの見つめる世界の裏側を見ていたのだ。

 そしてそれは同じくレモリーが見ていた世界なのかもしれない。


「悪魔崇拝の国エクロ=カナンだと?何故、何も知らない奴らに罵倒されなきゃならない。何故、悪魔と呼ばれる者を崇拝してはいけない。それの何が悪いんだ?お前らの神が我々に何をしてくれたんだ?神に祈りを捧げることで俺らは何を得た?」


 空気を裂くウヴァルの覇気にハニエルは身を捩った。

 この空間を支配する彼の空気が痛くて、耐えきれなかった。

 闇に蠢く空間がウヴァルの心に共鳴するように、悲痛に震えている。

 まるで溢れる血を止める術を失った手負いの獣のようだった。

 拭いされない憎悪を帯びた声がハニエルを切り裂かんと広間に満ちる。


「答えは、このエクロ=カナンを異端のもののように蔑む視線だけだ!そんな視線に晒されて、明るい未来など描けるものか!!この国が陰鬱と呼ばれ、姉さんが血に濡れた女王と呼ばれるのは、お前らのその心ない思い込みの所為だ。お前らが信仰する神の所為だ!それは許された行為ではない」


 お前らの信仰する神――――――……。

 まるでこの国は聖域やウォルセレンと違う神を信仰しているかのような言い方だ。 

 千年前、ユーティリアが現れる前の混沌の時代、この国もまた邪神が支配していた。

 だがユーティリアの出現以降は、邪神は皆、古代の王が一つの壺に納め、永遠に姿を消した。

 しかしウヴァルはその邪神がまだ神としてこの国に君臨していると信じて疑わないと言わんばかりだ。

 ハニエルは胸の奥が崩壊するような戦慄を感じた。

 それ以上、言葉を重ねてはいけない。

 何を思ってもそれだけは口にしてはいけない。

 それは聖域に、ひいては世界に反旗を翻すことに他ならない行為だ。

 彼の意図することを本能が察し、心臓が警鐘を鳴らす。

 だが、盲目の支配者の饒舌は止まらない。

 大きく両手を開き、悦に入ったように言葉を紡ぐ。


「姉さんは一人で全ての悪意に立ち向かっていた。聖域の言いなりになり、他の国々との友好を結ぼうとした。でも、それは無駄な行為でしかない。どんなに姉さんが頑張ってもお前らはこの国を陰鬱とした悪魔の巣食う国だと罵る!!」


 全てを吐き出すとウヴァルは大きく息を吐いた。

 何かを耐えるように皺の寄った眉間を震わせ、拳を握る。

 それは千年エクロ=カナンの民が抱き続けた屈辱だったのかもしれない。

 ウヴァルは縋るような視線を歪の円の中心に眠るレモリーに向けた。


「可哀想な姉さん。そんな奴らには何を言っても無駄なのに……ずっと仲好くなれると願っていた。どこかの馬鹿が無邪気に姉さんに懐くものだから、国という垣根を越えられると本気で信じてた。でも俺は違う。そんなものは所詮、机上の空論!この国はあるべき姿に戻らなくてはならない」


 何かにとり憑かれたかのようなどんよりした瞳が狂気に輝く。

 薄暗いこの広間で彼の銀がかった瞳は青白い鬼火のようだった。

 表情のなくなった麗しい顔が広間の端に打ち捨てられた男を見下すように睨みつめた。

 何かを思い出したように、押し上げられた口の端がピクリと震えた。

 乾いた笑いと共に、ウヴァルは語り出す。

 もう彼はハニエルに聞かせるつもりなどないのかもしれない。

 一人で先走って、快楽の底まで堕ちていくようだ。


「大司教はね、とても欲の深い男だった。この国の利権をもっと手に入れたがっていた。影から国を乗っ取り、ウォルセレンにでも売るつもりだったんじゃないかな?姉さんに取り入ろうと媚びて近付き、でも呆気なく拒絶された。そんなこいつは懲りもせずに俺の方にやってきた。俺なら騙せると思ったらしいね。本当に心外だ。欲に塗れたこいつの本性が分からないほど俺は脳なしじゃない。俺はこいつに自分が動かしていると思い込ませ、自分の懐にこいつを収めた。彼は実に優秀な俺の配下だったよ」


 いびつに歪んだ口から語られる真実にハニエルは眼を背けたくて堪らなかった。

 その笑みはもう美しいと言えなかった。

 ハニエルはただ、何が真実なのかを確かめる術を失い、淡々と語られる彼の真実に聞き入っていた。

 ハニエルの知らないもう一つの真実を―――………。


「彼自身はただの姑息な男で、何一つ突出した能力はなかった。だが、自らの欲に貪欲で、その欲を満たす為ならどんな手段も厭わないところは一目置くものがあった。彼は大司教でありながら、その欲を満たす為に悪魔と契約したがっていた。ねぇ禁忌の書って知ってる?そう、悪魔を呼び出す書物さ。彼はそれを欲していた」


「禁忌の書……」


 まさかその言葉を再度この場で聞くことになるなどハニエルは思いもしなかった。

 禁忌の書――それはこの世を混沌から救ったユーティリア自身よる自伝のことではないのか。

 そこに書かれた彼自身の言葉はどんな聖書よりも人々を救う道標になり、それ故に人々を狂わせる諸刃の剣。

 だが今、その禁忌の書はまるで悪魔を召喚する術を記した書物のように言われている。


「それとなくその書物を貸してやったのに、残念、奴は一度もその力を発揮することはなかった。でも、もしかしたら一度くらいは何かを引き寄せたのかもしれないね。そう、病魔のようなものを……フフッ、そういえば大司教が布教に入った村ではよく病に倒れる人がいるみたいだったね。誰一人助からなかった村もあったとか……」


「それっ、謎の伝染病のことじゃないの!まさか大司教が……」


 ハニエルは愕然とした。

 あんなにもレモリーが懸命に原因を探っていた伝染病がハールートの仕業など、誰が考えただろう。

 ウヴァルもハールートが原因と知りながら、それを放置していたのか。

 ハニエルは弾かれたように、打ち捨てられたかつて大司教と呼ばれた男のなれの果てを見つめた。

 だがどれだけ見つめても、その姿から真実など見出せない。

 そんなハニエルを揶揄するようにウヴァルは愛らしい唇を押し上げる。

 まるで乙女のような微笑みだ。

 しかしなによりも残酷な魅力を湛え、ハニエルを追いやる。

 にまりと優美に歪むウヴァルの顔にハニエルは胸の内で煮えかえった感情を抑えることができなかった。

 理性でなんとか歯止めを利かせているが、その箍が外れれば今にもウヴァルに飛びかかって、力の限り彼を殴り付けてしまいそうだった。

 何故、彼は人の命を軽々しく扱い、あまつさえ嘲笑に晒すのか。

 ここにいる弟の為を思って、レモリーは孤独の闇に耐えていたのではなかったのか。

 何も知らない国民を救うためにあえて噂を打ち払うことなどせず、その裏で懸命に病の原因を探っていたのに、何故ウヴァルはその全てを悉く打ち払うようなことをするのだろうか。

 怒りに燃える金の瞳を侮蔑するように見下げ、ウヴァルは鷹揚とその椅子の背にもたれ掛った。


「しかし初めは従順だったのに、最近段々つけ上がってきてね、勝手に姉さんを教会に売りつけて、結果幽閉しなくてはならなくなったんだ。まあ、あの審判の場で姉さんが自殺しようとしたのはびっくりだったけどね」


 ははっと乾いた笑みを浮かべる彼が信じられなかった。

 彼が語ったのは、ハニエルの想像を絶する真実だった。


「ねぇ、ウォルセレン王に届いた密書を見たかい?あれは王宛の書簡だけど、絶対に君も見ると踏んでいた。君の行動力には目を見張るものがあるからね。あれは全て君をこのエクロ=カナンに呼び寄せる布石さ。道々に血に濡れた女王の噂を聞いたかい?少しでも君を歓迎しようと趣向を凝らしてみたんだ」


「全てあなたが企んだことだったの?」


「当り前だろ?あの書簡はウォルセレン王宛であり、そして聖域への密書でもあった。王が交代するんだ。聖域にも知らせる義務が国王にはある。だがウォルセレン王はあの書簡を自分自身で止めて、聖域に報告しないと踏んでいた。あんな、君を巻き込むような内容のものを聖域に晒す訳がない。報告すれば、聖域は聖女である君を守る口実に君を聖域に連れていく。ウォルセレン王がそれをよしとする訳がない。事実、そうなった。聖域はそのことに直に気付くだろう。そうなれば、聖域に書簡を届けなかったウォルセレンに対する聖域の見方も変わり、親密な両者に隙が出来る」


「まさか、聖域はこの一連の騒ぎを知っているわ……だから枢機卿が審判に来たのだし、それに聖十字騎士団も………」


 絞り出すようにハニエルは反論した。今にも消えそうな声は自信なく震えている。

 何が真実で、何が偽りなのか、もうハニエルには分からなかった。


「愚問だね。ウォルセレン王が自分で書簡を止めると知っているんだから、聖域には別の書簡を送っているさ。ウォルセレンに届けるよりも前にね。ウォルセレンのいいようにはさせないさ。つまり、ウォルセレン王に送った書簡をただの罠。君をおびき出すだけにある」


「なんで……なんでそんなことを………」


「盛大なセレモニーには観客が必要だろ?せっかくだから聖域のお偉い様に見届けでいただこうと思ってね」

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