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悪魔が生まれた時5

(悪魔審判ですって……どういうこと?戴冠の儀は?)


 一応姿を隠さないといけないと思い深くフードを被ったハニエルは、口さがなく隣国の女王を蔑む村人に恐る恐る尋ねた。


「あ、あの……審判って……」


「ああ、旅人さん。あんたはエクロ=カナンに行くのかい?悪いことは言わない。今すぐ引き返した方が身のためさ。もうすぐあの国ではとんでもない審判が行われるらしい。なんでも国の女王を裁くとかなんとか……」


 ハニエルが声をかけた村人は声を潜め、しかし、その言葉の端々に好奇心を散りばめて簡単に教えてくれた。

 国境を接していても、異国の事変など対岸の火事だ。

 火の粉が降りかからなければ、なんとも見ごたえのあるイリュージョンである。


「エ……女王を裁く………」


「なんでも女王は悪魔を崇拝し、この世を混沌に帰そうとしているらしいよ。わたしゃ、一度その女王さんを見たことがあんだけどね、カナン人らしい青の瞳に白銀の髪を持った美人だったよ。でもね、今はその面影すらない凶悪な姿に様変わりしたらしい。なんでも、髪は血で赤く染まり、目は闇でも爛々と輝く金色なんだとさ。その姿を悪魔と呼ばず、なんと呼ぶんだい?」


「なっ――――――…………」


 ハニエルはその村人の言葉に絶句した。

 思わずふらつくように後ずさる。

 その時、ハニエルの被るフードが弾みで落ちた。

 深く被ったフードに隠された淡い暁のような髪が村人らの前に晒される。

 ざぁっと風に流され、赤い髪が沈んだように薄暗い村の中で鮮烈な色彩を放つ。

 その瞬間、村の全ての者が動きを止め、ハニエルの方に見つめた。

 ハニエルが声をかけた村人の顔が、俄かに恐怖に歪み引き攣った。

 息を飲み、後づ去る。

 それだけでは足りず、もっとハニエルから逃げようともがくが、腰が抜けたようでその場に座り込んだ。

 震える指先がハニエルを指さした。


「あ……悪魔……悪魔がここにいる……」


 掠れた声はそう呟くのが精いっぱいだった。

 だが、近くの村人達にその恐怖が伝播していく。

 まるで波が空気を伝っていくようだった。ハニエルを中心に波紋が広がっていく。


「ひぃ、悪魔だ。悪魔の女王がここまで来た」


「誰か助けて!殺される!」


 ハニエルに向かって石礫が飛んだ。

 礫じゃ足りず、鍬やら、熊手やら、火が煌々と灯った松明やら、ハニエルに悪意を持ってハニエルを傷つけんと飛んでくる。

 その幾つもがハニエルの身を打った。

 側にいたロロンが慌ててハニエルの手を握り、馬車まで命からがら逃げるとそのまま村を後にした。

 あの時ロロンに手を引いてもらわないとハニエルは歩くことはおろか、思考を動かすこともできなかった。

 怖かった。

 見も知らない者に悪意をぶつけられ、存在を疎まれるように罵られるなど考えたこともなかった。

 誰も助けのいない、孤立無援の状態に自分自身を信じることすらできなかった。

 もしかしなくとも、レモリーもこんなにも凍てつく恐怖を感じてきたのだろうか。

 そう思うと浅はかな自分に嫌気が差し、恐怖と相まって、気がどうにかなってしまいそうだった。

 一体、かの国で何が起きているのだろう。


(な、なんで……なんでこんなことに……エルは?エルはどうなっているの?)


 ハニエルは森を全速力で疾走する馬車の荷台で、自分の両ひざを抱えて震えていた。

 御者台ではロロンが巧みに手綱を捌きながら、心配げにハニエルの方をちらちらと見返していた。


「お、おじょさん、大丈夫なのね?」


 心の優しい彼にはハニエルの痛みが分かるのかもしれない。

 とろんとした目から注がれる眼差しはとても柔らかかった。

 ハニエルは彼に心配をかけさせまいと、大丈夫と大きく頷いてみせた。

 まだ本調子ではなく、引き攣った笑みしか返せないが、彼が側にいてくれるということだけで孤独に縮みあがった心が、緊張の糸を解いて肩の力が抜ける気がした。

 ふうっと大きく息を吐き、被りを振って頭の中に巣食う嫌な妄想を追いだした。


「心配かけたわね、ロロン。あなたがいなかったら、わたし、あそこを動けなかった」


「おじょさん、ほんとにエクロ=カナンに行っていいのかね~?」


 どこか間延びした声だが、心底ハニエルを心配している。

 彼も村人達の異様な反応に恐怖を抱いているのだろう。

 ロロンも村人の話は聞いていた。あえて言葉にしないが、さきほど村人が話していた悪魔の女王の特徴が、今目の前にいるおじょさんの特徴と一致していることを知っている。

 だからといっておじょさんを疑っている訳ではない。

 彼は自分の手の届く範囲のものしか知らず、そしてそれが自分の世界だと思っている。

 どこか知らぬ村の、一生自分と関わることのない者の言葉よりも、自分に百の幸せと千の希望をくれる目の前のおじょさんを信じている。

 だが現状は、彼の愚鈍な目にもおじょさんに不利な状況であると言わざるを得ない。

 その状況のまま、かの地に行ってもいいのだろうか。

 彼は戸惑いつつも、おじょさんの言葉がかかるまで、自分の恐怖を見ないようにして、全力で馬を駆った。

 その背に不意に声がかかった。


「ねぇ、ロロン、さっきの話、聞いた?」


「あ………あの……」


 言葉に詰まったロロンを無視して、荷台からハニエルは静かに語りかけた。

 抑揚ない声からは感情は読めない。


「血に濡れた女王は赤い髪に金色の瞳をしているそうよ。奇遇ね。わたしと同じ色合い……これならわたしも血に濡れた女王になれるわね」


「お、おじょさんっ!」


 思わずロロンは馬を止めんと手綱を引いた。

 馬が嘶き、馬車が後ろに傾ぐ。

 だが、それよりも早くハニエルの厳しい声が飛んだ。

 馬車の荷台で、輝かしい金色が闇を切り裂かんと光る。


「ロロン、馬車を止めないで!急いでゼル離宮まで行ってっ!約束を果たす時が来た。鏡に映った天使エルのため、わたしは今、悪魔になるっっ!!」

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