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悪魔が生まれた時3

 大国ウォルセレンには聖女信仰があると聞く。

 王家に生まれた女性の一人が聖女『マリス・ステラ』を受け継ぎ、死ぬまで神と神の子に仕えると謂う。

 そうやって聖女の名を受け継いでいくだと。

 前マリス・ステラの死と時を同じくして生まれた哀れな王女は、この世に生を受けたその瞬間にその一生を神に捧げ、精錬潔白に生きることとなったと謂う。 

 それが今、目の前にいる乙女だ。名目と形式ばかりの立場と名前を負い、その名に恥じぬ生活を強いられる。

 それは一国の王女という立場よりも束縛がきつく、また選択の余地もない。


 しかしどうだろう。

 今、レモリーの目の前にいるのは自由奔放で、周りをも巻き込む躍動感に溢れた乙女だ。

 彼女からそんな不自由なところは何一つ見えない。

 彼女は、彼女に与えられたもう一つの名『ハニエル』のとおり、愛と美に溢れている。

 かの国と同じくエクロ=カナンもまた、かつてこの国を創った初代女王の名を代々に継いでいた。

 長子と生まれた女に授けられる神聖な称号。

 そして過去に何人も存在する『レモリー・カナン』。

 いずれ自分もその一部として埋没していく。

 レモリーはそう思っていた。

 あの日、この場所で、この眩い少女に出会うまで。

 彼女はエクロ=カナンの王女としてではなく、レモリー・カナン自身と仲良くなりたいと言った。

 そして、自分にはレモリー・カナン以外何もないと戸惑うレモリーに屈託なく微笑みかけた。


「ねぇ、あだ名つけていい?………そうね、じゃあ、エルはどう?ハニエルのエルの方ね。わたしのお下がりじゃいや?でもわたしはいつもエルと一緒にいるような気がして嬉しい」


 そう言って輝かしい存在は、大勢いる『レモリー・カナン』から彼女をたった一人の『エル』にしてくれた。

 『エル』――それは神の名だという。

 巷に溢れた名だ。

 それでも、ハニエルから分かれたそのエルが、彼女はたまらなく嬉しかった。

 自分が『レモリー・カナン』以外で認められた気がしたのだ。

 

(ハニー、貴女は分からないでしょうね。貴女の一言にどれだけ私が救われたか)


 自分の進む道を明るく照らしてくれるこの星のように自分にも何かできるかもしれない。

 ハニエルのことを思うと、凍りついた胸に希望の炎が宿る。

 レモリーははらはらと流れ落ちる雫をそのままに大切な友人に微笑みかけた。


(ねえ、その金の瞳に映るものが私にも見えるかしら?)


 レモリーの銀髪にハニエルの透き通るような赤がかかった。

 混じりあった髪はまるで生まれ出る太陽のように眩い。

 こつりと互いの額が触れ合う。

 ゆったりと風が吹き抜ける小高い丘で祈るように手を重ね、瞳を閉じて向かい合った二人の乙女。

 初めて出会った時と同じように、ゼル離宮に雄大で穏やかな風が駆け抜ける。


「ねえ、鏡越しの存在でもこうやって触れあった部分の温かさは本物でしょ?」


    ****

 それは血に濡れた惨劇がこの地で起こる数か月前の出来事だった。

 その後二人を待ち受けていたのは、あの日の穏やかさの欠片もない悪魔のような現実だった。

 血に濡れた女王として審判にかけられることとなったレモリー・カナンをその場に集まった人々は問答無用で亡き者にしようとした。

 その場に集まった彼らは悪魔や呪いなどどうでもよかった。

 聖職者の仮面を被った大司教に唆された枢機卿たちの心は闇よりも禍々しく、いたいけな乙女の真摯な祈りすら蹂躙した。

 ただ、悪魔を討った自分に酔いたいが為に。

 聖域が喉から手が出るほどに欲しているそれを自分の手の内にいれる為に………。

 そしてその場に居合わせた人々の欲望が真実に蓋をした。

 彼らは悪魔となったのだ。

  


   *****

  ハニエルがエクロ=カナンに向かう決心をしたのは、あの悲劇が起きる数日前だった。

 エクロ=カナンに不穏な空気が流れていることは前々よりレモリーに聞いて知っていた。

 だが、ハニエルは所詮人の噂だと軽く捉えていた。

 きっと75日経てば消えてなくなるものだと。

 そんな噂よりもレモリーが原因を何とか探ろうとしている伝染病の方が心配であった。

 頑張り屋のレモリーが病に倒れたりしないかと気をもんでいた。

 しかし、それが愚観であるとハニエルはすぐに思い知らされた。

 噂でではない。

 自分を包む環境から敏感に察知したのだ。

 勘がよくても、いつも見当外れなことを仕出かすハニエルだが、この時は違った。

 皆が何かを隠しているのではないかと、日常の中に漠然とした不安を覚えた。

 それが確信に変わったのは、自分にはどこまでも甘い父王の態度からだ。

 父王はハニエルがエクロ=カナンに向かうことを頑なに禁じたのだ。


「お前は聖女としても自覚が足りない。祈りの塔で、もっと勉学に励みなさい」


 そう冷たく言い放ち、ハニエルを塔に軟禁した。

 父王の言葉は尤もである。

 だが如何せん相手はハニエル。

 端から聞く気はない。

 聖女らしくなど今さら言っても無駄である。

 それは父王が一番理解しているはずだ。

 その父王が今さらそんな上っ面を口にするのだから、ハニエルが訝しむのは当然だ。


(そんな建前で騙されると思ってるわけ?)


 ハニエルは父王がエクロ=カナンを覆う不穏な影について何かを隠しているのだと確信した。

 そこからのハニエルは間者も驚くほどの行動力で父や王臣達の動向を探った。

 軟禁などハニエルにとっては何の障碍にもならない。

 ハニエルを縛り付けたければ、選りすぐりの一個師団で押さえつけなければならない。

 それは後日父王がため息とともに零した科白だった。

 その言葉のとおり軟禁などあってないようなもので、ハニエルは自由に城中を暗躍した。

 そしてあの日、エクロ=カナンからの書簡が秘密裏に父王の下に運ばれていくのを見たのだ。

 ハニーはこっそりとそれを盗み見るため父王の書斎を訪れ、勝手知ったるわが部屋とばかりに隠された書簡を見つけ出した。

 ここまでは実に順調に事が進んでいた。


(さてさて、何を隠しているのかしら?エクロ=カナンをまだ悪く言う輩がいるならわたしがやってけてやらないと………)


 そう心の中で勇ましく腕まくりして、書簡を開いた。

 しかし一目、書簡に目を落とした瞬間、ハニエルの余裕は全て吹き飛んだ。

 思わず書簡を床に落とした。

 すぐに拾わないとと思いつつも、行動に出れない。

 それほどまでにハニエルは我を失っていた。

 言い知れない寒気が体の奥すら凍りつかせていく。

 そこには思いもしない事が書かれていたのだ。


『レモリー・カナンは心を壊し王の責務を果たせないため、女王に代わりウヴァル・カナンがエクロ=カナンを治めることとする。それに当たって早急であるがマリス・ステラ王女を王妃に迎えたい。戴冠の儀は急ぎ、ゼル離宮で3日後に執り行う予定である』


(なっ、エルが心を壊している?わたしがウヴァルの王妃?戴冠の儀が3日後ですって……何がどうなって……こんな話になる訳?)


 あまりに突飛な内容にハニエルは目眩すら覚えた。

 書簡にしたためられている几帳面な字に見覚えがある。

 何を隠そうこの書簡の主人公であるウヴァル自身だ。

 ウヴァルは、レモリーと同じようにハニエルと長い付き合いがある。

 彼がハニエルの『マリス・ステラ』という立場を分かっていないなど考えられない。

 なのに何故、王妃に迎えるなどと無謀としか言いようのないことを書き記したのだろう。

 かの国と我がウォルセレンを比べた時、申し訳ないがエクロ=カナンは目下の国である。

 国の規模も軍事力もウォルセレンはエクロ=カナンの数倍ある。

 そのウォルセレンに対してこの書簡はあまりにも一方的で、失礼極まりない。

 下手をすればこの書簡を理由にウォルセレンがエクロ=カナンを侵略することもあり得る。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 今はウヴァルと自分の未来についてよりももっと考えなくてはならないことがある。


(エルに何があったの……王の責務が果たせないなんて……)


 戦慄く唇を噛みしめ、ハニエルは自室である祈りの塔で書簡の意味を考えていた。

 仮にウヴァルが王位を継ぐことになってもこんなに早急に戴冠の儀を行うなどありえない。

 あの書簡にはどんな意味があるのだろうか……。


(ウヴァルはこの際置いておいて、エルはどうしたんだろう?本当に心を病んでしまったの?でもあのエルが……信じられないわ。エルがわたしに何も言わないなんて考えられない)

 

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