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悪魔が生まれた時2

 そして合わせた両手を組むように握った。

 そのまま視線を落とす。萌えるような緑が目に焼きつくようだ。

 なんと心に沁みる美しさなのだろう。

 エクロ=カナンは大陸の北部にあるために、年間通して穏やかな気候の日は少ない。

 しかし、だからこそ、ここはどこよりも風薫る季節が素晴らしく、また格別なのだ。


 こんなにも穏やかで、優しくて、心弾み、そして美しい―――……なのに、この地に根付く何が、こうまでレモリーを追い込むのだろう。


 その如何ともし難い矛盾に胸が掻き毟られる思いがした。

 ハニエルはレモリーに悟られないように唇を噛みしめる。

 なんとか胸でとぐろを巻くドロドロの感情をやり過ごすと、ゆっくりと視線を戻した。

 そして心配げに自分を見つめる優しい青銀の瞳に微笑みかける。

 その笑みにレモリーは大きく眼を開き、二三度口を動かした。だが何の言葉も出てこないようだ。

 レモリーの言葉を遮るように、ハニエルは強く言い放った。


「エルは悲観的だわ!わたし、そういうの好きじゃない。国民の不安を晴らす方法はもっと他にあるはずよ。流行する病の原因を探るとか、国民にもっと気分が明るくなるような行事を提案するとか!そうだわ!豊作のお祭りをしましょう!とびっきりに楽しいものをね!きっと病の元も吹き飛んじゃうわっ!」


 いいことを思いついたとばかりに金色の瞳が屈託なく細まる。

 その透き通った金色の瞳の中で、青みを帯びた月色の瞳が揺れた。

 無邪気に微笑みかける存在を眩しげに見つめ、悲痛の面持ちで視線を下げる。

 それは気高い女王の顔ではなく、大きな影に怯える年端もいかない女王の、本当の姿だった。

 しばしの沈黙の後、レモリーは静かに言葉を紡いだ。

 誰もが聞き惚れる優しい声が今は、どうしてか千切れそうなほど弱々しかった。


「……ハニーは強い。私は、この大きな闇が怖いの。止めることもできず、原因も分からない。ただ不安の捌け口として噂の矢面に立つだけ……。それ以上、何の解決法も考えようとしなかった。ううん、出来なかった。これ以上闇を大きくしたくなかった。皆が私から離れていくのが怖かった………きっと私も心のどこかで、姿なき闇に悪魔がいると思っていたかったんだわ……」


 両親亡き後、レモリーは必死に小国を盛りたて、並みいる列強の国々と渡り合っていた。

 それでもそのか細い手ではこの国全ては包めない。

 そっと忍び寄る悪意が蔓延していっても止める術を知らない女王は、その身を切ることでなんとか国を保ってきた。

 十四で王となった乙女の、それが精一杯だった。

 悪意に満ちた噂が高潔な女王の心を徐々に蝕み始めた。

 気が付くと自分が本当の悪魔なのではないかと思うまでに。


 しかし……。


 レモリーは視線を上げる。そこには何物にも染まらない、強き心を持った眩しい天使がいた。

 ハニエルは初めて会った時から悪魔崇拝者のような陰険な者の国と思われているエクロ=カナンの自分を何ら変わりない友人として笑顔で手を差し伸べた。

 そして、どんな噂にも動じずにずっと変わらずいてくれる。

 思えば何とも型破りな出会いをしたものだ。

 お互い王族であり、片や聖女として塔で祈り暮らしている。

 そう簡単に異国の姫と出会えるはずはない。

 そんな二人が出会うには多少強引に運命を曲げなければならない。

 もちろん二人の出会いの立役者はハニエルだ。

 運命すら自分で道開き、創造する。それがハニエルという乙女だった。

 彼女はその美しい金色の瞳に映る世界をありのままに受け止め、そして惜しみない愛を注ぐ。

 何時だって誰かのために憤り、泣き、そして笑ってくれる。

 もちろんレモリーの為にも。

 その強気に満ちた金の瞳がレモリーの中の闇を全て払うかのように煌めいた。


「大丈夫、わたしが絶対にあなたの汚名を晴らすから!それで、この穏やかな国の国民に知らしめてやるっ!血に濡れた女王なんていないって。この国にいるのは国民思いで、弟好きで、そして何よりこのわたしっ!ハニエルが大好きな、ちょっと風変わりな女王だけだって!」


 金の瞳が燦々と光を放つ陽光を浴び青い空に輝いている。

 この真っ直ぐな瞳を見ていると何故だか自分にも何かができそうな気がしてくる。

 二人を包むように柔らかな緑が揺れる。

 ハニエルの髪が緑の間に混じり、まるで凛と咲き誇る真紅の花のように鮮やかになびく。


「あなたが悪魔になりそうな時は私が止める。反対にわたしが悪魔になりそうな時はあなたが止めてね」


 毅然と輝く金色の光に射抜かれてレモリーは息を飲んだ。

 長い間、姿なき闇や悪意に引き裂けかれた胸に爽快な癒しの風が駆け抜けた。

 レモリーの胸が燃えるように熱くなる。熱せられた青の瞳から月の雫がホロリと流れた。

 一筋の輝きを追って、次から次へと雫が流れ落ちる。

 堰止めを失ったかのように、月の輝きを秘めた雫は止めどなく溢れる。

 嗚咽混じりにレモリーはハニエルに聞き返した。

 涙で滲んだ青銀の瞳に眩い金色が溶け込む。


「わ、私が悪魔になった時………貴女が止めてくれるの?」


「もちろん!でも、エルが悪魔になることなんてないわ。いつも優しくて、誰より気高い。きっとわたしが悪魔になる可能性の方が高いわね!」


 楽しげにハニエルは笑う。

 肩を揺らし、そして恥ずかしそうに眉を寄せている。

 国民のために自分の身を切るような懐の深いレモリーと違い、ワガママで自己中心的な自分が悪魔になるのは一瞬だろう。

 きっとキィキィと聞き分けの利かない悪魔になること請け合いだと、ため息交じりに零す。

 普段は感情的で自分の考えばかり押し通そうとするハニエルだが、そういう自己分析は意外と冷静にできるのだ。

 それが真実だと言いたげな声にレモリーは激しく首を横に振った。


「そんなことない!ハニー、貴女は私の天使よ。貴女がいるから……どれだけ離れていても、たった一人でも、私は頑張れる」


「エル…………」


「ハニー………お願いよ。私が悪魔になったその時は、貴女が天使となってこの国を照らす光になって……」


 今にも消えてしまいそうな声だった。

 ハニエルは今にも崩れて風に攫われそうな親友の手に力強く握りしめた。

 自分には想像もつかない大きな敵と戦う友人をどうやれば励ませるのか。

 ハニエルは悔しさを噛みしめた。

 同じく力ない子どもだ。いや、列強の大国相手に波風を立てないよう振舞い、しかしけして気品さを失わないレモリーに比べ、自分はなんと幼くて頼りないのだろう。

 何を以てもレモリーに敵わない自分に、今、何ができるだろう。

 自分の非力に泣きそうになったが、ハニエルはそれを懸命に耐えた。

 ずっと泣くことすら耐えてきたレモリーの前で泣く涙などない。

 そのハニエルの前でレモリーは涙を止める術を失い、封印していた感情を流し続けた。

 涙など王位に就いてから流したことがあっただろうか。

 誰よりも早く完璧な王になるために、感情すらコントロールした。

 誰よりも強い王になるために、弱い自分を胸の奥に追放した。

 誰よりも優しい王であるために、自分の痛みに気付かぬ振りをした。

 どんなに自分を思う家臣や弟の言葉も頑なに心を閉ざした。

 少しでも心を開けば、余計な物まで出てきて、もう自分が思い描く王であることができないと思っていた。

 でもそれは間違いだったのかもしれない。

 レモリーは王位に就いてから流すことなく耐えた涙の分泣き続けながら、目の前の金色を見つめた。

 その固く凍てついた心に爽やかな風を吹き込んだこの眩い夜明けの星を。 

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