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悪魔が生まれた時1

「ねえ、ハニー。貴女だけでも信じてくれるなら、私は悪魔になっても構わないのよ」

 

 城下を見下ろせる小高い丘の上に立ち、その美しい人は告げた。

 雄大な風が鮮やかな緑を揺らし、その美しい人の、誰もが見惚れる白銀の髪を天高く巻き上げた。

 白銀の髪は降り注ぐ陽の光を受け、澄んだ空に煌めく。

 その眩い光の糸の向こうにどっしりと構えるゼル離宮が見えた。

 丘陵の頂きに佇む離宮はなんとも厳めしく、そして荘麗であった。

 側に広がる湖と相まって、気品溢れる王のようだ。

 彼女の気を引こうと湖から吹いてくる悪戯な風に困った顔を浮かべ、彼女は長い髪をそっと耳にかけ、離宮の方に振り返る。

 そんな仕草の一つ一つが胸を締め付けるほどに儚げで、何故か目が離せなかった。

 少しでも目を離すとこのまま風に消えてしまうのではないか。

 そんなありえないことを漠然と考えながら、赤髪の乙女は金色の瞳を細めた。



 ここは十年前、初めて二人が出会った丘だ。

 出会いは実に唐突で、勝手気ままな偶然が重なった結果であった。

 だがしかし、それこそ運命のなせる業だと、ウォルセレン王女マリス・ステラ―――ハニエルは思っていた。

 そしてエクロ=カナン女王レモリー・カナン―――ハニエルが親しみを込めてエルと呼ぶ乙女もそう思ってくれていると、ハニエルは勝手に確信していた。

 そんな熱の籠った視線に気付いたのか、レモリーがハニエルの方を振り返った。揺るぎない信念の宿った、穏やかで激しい青銀の瞳がじっとハニエルの金色をみつめる。


「ハニー、この国はね、皆が病気にかかっているの。目には見えない、心の病気よ。忍び寄る恐怖に名前をつけなきゃ、皆怖くてどうしようもない。それは悪魔の所為だって、血に濡れた女王の所為だって、そう思うことで少しでも不安は解消したいのだわ。だから私はこのままで構わないの………それで皆の心が安らぐのなら、私は喜んで血に濡れた女王になるわ」


 そう言って微笑んだレモリーは透き通る空にこのまま消えてしまうのではないかと不安になるほど美しく、見つめるハニエルはしばし言葉を失った。

 言葉にならない不安が胸を締め付ける。それがなんなのか、この時のハニエルには分からなかった。

 言い知れない漠然とした焦燥感が、この穏やかな光景に一握の黒を落とす。

 答えに窮し、ハニエルは目で訴えかけるようにレモリーを見つめ返した。

 いつも躍動感に溢れる愛らしい顔が不服だと言わんばかりに、歪んでいる。

 その顔にレモリーは、思わず込み上げる笑いを我慢できなかった。

 疑問符をいっぱい頭の上に飛ばしている親友には悪いが、なんとも頓狂な顔で、そこがまた愛らしかった。

 ハニエルに悪いとレモリーはそっと顔を背け、小刻みに肩を震わせた。その姿に更にハニエルの頬が紅潮し膨らむ。


「な、なんで笑うのよ?」


「ふふっ。ごめんなさい。あまりにもハニーがしかめっ面をするから……。でもね、ハニー……おかしいでしょ?私、こう呼ばれるのが嫌じゃないのよ?」


「はぁ?何言ってるの、エル!そんなバカなことっ!」


 思いもしない言葉にハニエルは思わず、レモリーのか細い肩に手を置いた。

 そのまま訴えかけるように両肩を揺さぶる。

 それでもレモリーの、全てを慈しむような微笑みは変わらない。

 戸惑うハニエルの右手をそっと取るとレモリーは自分の左手に重ねた。

 二人の間で掌がピタリと寄り添った。

 その掌に一瞬目をやり、レモリーはどこか悲しげな笑みを浮かべて瞳を伏せた。


「私達は姿形も髪や眼の色も、生まれた国も習慣も違う。性格だって正反対。なのに、こんなにも似ているのはやっぱり鏡に映った者同士だからだわ」


 ハニエルは一瞬、何の話をされているのか分からず、答えに窮した。

 金色の瞳を大きく開き、目を見張る。

 ハニエルの見つめる先で、レモリーの白銀の髪がゆらゆらと揺れた。

 ハニエルの淡く澄んだ赤の髪とは似ても似つかない、美しい月の輝きをした髪だ。

 どれだけ同じ長さをしていようと、非なるものに違いはない。

 もし二人の髪が同じ色になる瞬間があれなら、それは朝焼けの瞬間以外にありえない。

 その時ばかりは全てが淡く美しい赤に包まれ、違いなど分からなくなる。

 でもそれは太陽が生まれ変わるたった一瞬の奇跡。

 すぐに世界は煌々とした光に包まれ、一人の女神は二人の人間へと変わる。

 ハニエルはレモリーの言葉に隠された真意を探るように、自分とは違う青銀の瞳を見つめ返した。

 くりっと円らな金色の瞳に比べて、穏やかで優しさの滲んだ切れ長の瞳だ。

 いつも通りその瞳を細めてレモリーは真っ直ぐにハニエルを見つめた。


「貴女は天使、私はその鏡に映った悪魔。私達は対なる存在。私がどれだけ汚くなっても、対する貴女はその分輝いてくれている。だから私は満足なのよ」


 心からそう信じているとばかりにレモリーは言い切った。

 毅然と顔を上げ、屈託なく微笑む顔は、いつも年齢以上に落ち着いて見える彼女らしくなく、とても幼い少女のように見えた。

 だが、その穢れなき微笑みがハニエルは気に入らなかった。


「意味が分からないわ!わたし達に天使も悪魔もないわよ!」


 ハニエルはキッと目をつり上げると、穏やかに自分を見つめるレモリーの右手を憮然と掴んだ。

 そのまま自分の左手に無理やり当てる。

 右手同様に左手もピタリと合った。

 青銀の瞳が俄かに見開かれる。

 その表情に我が意を得たりと、ハニエルは不敵な笑みを浮かべてレモリーを見返した。

 そしてつっけんどんに言い返す。


「どう?こうすればどっちが悪魔で、どっちが天使か分からなくなったわね」


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