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掴めぬ真実14

 肺が燃えあがるほど痛い。

 でも懸命に息を潜め、タペストリーの向こうを騎士が通り過ぎるのを待った。

 ここもまた、城に施された秘密の隠れ場所だ。

 一介の騎士達がこの空洞を知っているとは思えない。

 もしいきなり姿が消えたことに驚き、タペストリーの裏を調べようとしても裏の空洞からタペストリーを止めると簡単に外れない構造になっている。

 ハニーが耳を欹てる外を背大な足音が駆けていく。

 その音を聞きながらハニーはそっと肩を撫で下ろした。

 どうやら騎士達は姿なきハニー達を追って廊下の先に向かっていったらしい。

 彼らの足音が遠く聞こえなくなるのを待って、ハニーは大きく息を吐いた。

 痛々しい肺から血が一緒に吐き出されるような感覚がする。


(はは…ずっとあの陰険な異端審問官に追われていたから、これぐらいの騎士に追われたぐらいじゃ怖くもなんともないわ)


 暗闇の空洞の中でハニーは自嘲気味に笑った。

 縋るように洞に背を預け、ハニーは泣くように肩を震わせ、笑った。

 自分が自分を取り戻す気がした。

 何度か大きく息を吐き、ハニーはようやっと冷静な自分を取り戻した。

 その側では、まだキアスが苦しそうに息をついている。

 愛らしい顔には玉のような汗が浮かんでいて、見るからに大丈夫そうではない。

 そんな彼を労わるようにハニーは彼の柔らかな髪を撫でてやった。そして優しく囁く。


「大丈夫?キアス」


「だ、だいじょうぶ……ぼくも……おねえちゃまを守るって決めたから」


 息も絶え絶え、キアスがそう呟く。いつも姉や兄の背に隠れてばかりの子どもだと思っていた。いつの間にか彼は一端の男に成長していた。


「そう、勇敢な子ね」


 もう一度彼の髪を撫でてやる。

 キアスはホウッと息を吐き、ハニーにされるがまま、その優しい手に身を任せている。

 何の疑いもなく閉じられた瞼を見つめ、ハニーは目頭が熱くなった。

 急激に成長したかと思うと、不意に幼さを見せつけるのだから、これだから末っ子は困ったものだ。

 こんなにも無邪気に甘えてくるキアスに、汚れきった自分が救われる気がした。

 自分の膝に項垂れかかるキアスの髪を撫でながら、ハニーはふいに彼と同じような背格好の少年のことを思い出し、ふふっと苦笑した。

 片や年長のハニーすら圧倒するほど達観した大人っぽさを持つ民の少年、片や年よりも甘えたでいつまでも幼い王子。

 見た目は同じぐらいなのに、何故こうも違って見えるのか。


(ほんと、エルと同じぐらいなのに、育ちが違うとこうも違って見えるのね)


 ハニーは愛おしそうにキアスの髪を撫でながら、離れてしまった愛しい少年のことを想った。

 瞳を閉じて、心の中で彼の名前を呼ぶ。


(エル……早くあなたに会いたい。全て終わったら絶対にあなたに会いに行くから……そしたらいっぱいあなたの髪を撫でて、抱きしめるわ)


 熱くなった目頭から零れる思いをそのままに、ハニーはただ黙ってキアスの頭をなで続けた。

 しばらくするとキアスの息もどうにか治まったようだ。

 大きく息を吸うと、彼は愛くるしい瞳をハニーに向けた。

 ハニーは微笑み返してやり、囁くように聞く。


「もう大丈夫かしら?」


「うん。あんなにも走ったの初めてだ」


「でしょうね。でもちょっと体力なさすぎよ?これからはわたしがビシビシ鍛えてあげるわ!」


「え~………」


 心底嫌そうにキアスが顔を歪める。

 その顔が滑稽で、思わずハニーは噴き出してしまった。

 一瞬追われていることも忘れ、ハニーはクスクスと肩を震わせながら聞く。


「そんなに嫌なの?わたしが鍛えるのとセオが鍛えるの、どっちがいい?」


「どっちもいや!」


 キアスの答えは明快だった。

 互いの顔さえ見通せない洞の中に、温かい空気が流れる。

 しかしハニーはその空気を甘んじて受け入れる訳にいかなかった。

 緩んだ顔をキッと引き締めると、真っ直ぐにキアスを見つめた

 。不思議そうに首を傾げている彼の瞳に語りかける。


「ねえ、キアス、ウヴァルはどこ?」


 その言葉にふるるっとキアスが震える。

 そして怯えるような瞳をハニーに向けた。

 キュッとハニーのドレスの裾を掴むと、彼はしばし戸惑った。

 その態度にハニーも戸惑う。

 この根っからの甘えっ子には、あの冷淡で頑ななウヴァルも敵わないらしく、何かと気をかけている。

 もちろん自分の庇護者が誰かよく知っているキアスは問答無用でウヴァルに懐いている。

 普段はツンっと澄ましているのに、キアス相手になるとお高くとまった顔が緩むのだ。

 それを揶揄する度にハニーとウヴァルは喧嘩になり、それを生温かくエルが見守るのが当たり前の光景であった。

 そのキアスがウヴァルという名前に、こんな態度を取るなどハニーには考えられなかった。


「キアス?どうしたの?」


「おにいちゃまは……たぶん奥の広間かな?ぼくが入りたいって言っても入れてくれないんだよ」


 ふてくされたように、拗ねた声でキアスが答えた。

 しかし、その言葉を聞いた瞬間、キアスの機嫌などハニーにはどうでもよくなった。


 奥の広間―――それは血に濡れた女王を裁くために設けられた偽りの審判の場だ。


 白い大理石で全てを包まれたその場所は窓が一つもない、奇妙な空間である。そこはこの城の要であり、そして玉座の間だ。

 やはりハニーの思った通りの場所にウヴァルはいるらしい。

 知らず知らずハニーの声が興奮する。

 そこがハニーの目指すゴールだ。

 長い逃亡劇もやっと幕を下ろすのだ。

 逸る気持ちをなんとか押し殺し、ハニーは更にキアスに問うた。


「……ウヴァルは何で、そんなとこにいるのかしら?」


「分かんない。でもさっき、大司教と一緒にそこに行ったよ?」


 仲間外れにされたのが気に入らないのか、キアスは愛らしい頬を膨らましている。

 どうやらウヴァルを大司教に取られたのが気に入らないらしい。

 彼の大好きなおねえちゃまがいなくなった今、キアスは片時もおにいちゃまの側を離れたくなかったらしい。

 そんなキアスの気のない返事にハニーは驚いたようにその肩を揺さぶった。


「大司教ですって!」


「う、うん………」


 キアスは強張った顔で自分を見つめるハニーにびっくりしたようにその眼を見開いた。

 彼にはハニーの意図するところなど分からないのだろう。

 分かるはずもない。これはあの時あの広間にいた者しか分からない。

 それでいいとハニーは思った。

 どうかこのまま何も知らずに、ただ純粋な瞳を曇らすことなくいてほしい。

 ハニーは自分の感情に弾かれたように立ち上がった。

 ようやっとハニーの使命が果たされるのだ。

 燃えさかる感情のまま、外へ出ようとしたハニーの服の裾をキアスが引いた。

 思いもしない行為にハニーは戸惑ったようにキアスを見下ろした。そんなハニーを真摯な瞳でキアスが見上げる。


「あのね、ぼく。おねえちゃまのいない間、ちゃんと皆に優しくしたの」


 何を言いたのか分からない。だが何かを求めるその瞳から目を逸らすことなどできない。

 ハニーは戸惑いに瞳を揺らしながら、自分に縋ってくる少年の頭を撫でた。


「そう、えらかったわね」


 まるで捨てられた子犬のような瞳が潤んでいく。

 彼もまた、その小さな身で何かを耐えてきたのだろう。

 そう思うと胸が締め付けられる。

 ハニーは頼りない胸元をぎゅっと握り、激情が通り過ぎるのを待った。


(この子は何も知らない。でも知らなくていい。目が覚めたら怖い夢を忘れるように、この国の暗い影は誰にも知られることなく消えるべきなのよ。痛々しい真実は……わたしの胸の中だけに)


 そんなハニーの心など知らずキアスは愛らしく眉を寄せた。

 何かに耐えるような顔をハニーはじっと見つめる。


「でもね、お城の皆、暗いんだ。まるでね、悪魔がお城に住んでるみたい……」


 不安そうに呟くキアスは縋るようにハニーの足に抱きついた。

 目に見えない恐怖にどうしていいかの分からない、そんな戸惑いに瞳が揺れている。

 その瞳を見つめ返し、ハニーはかける言葉を探して、言葉を切った。

 しばし迷うようにキアスに伸ばした手が宙を泳ぐ。

 しかし耐えきれずに感情のまま、ぎゅっとキアスを抱き締める。

 自分の胸のうちにキアスを抱き締めると、ハニーは女王の仮面を外し、素の笑顔を彼に向けた。

 そして力強く言い放つ。


「悪魔なんていないわ!皆、ちょっと怖い夢を見ているだけ。大丈夫よ。わたしがそれを払ってくる。だからキアスはそれまでもっと皆に優しくすること!全て終われば、おねえちゃまはちゃんと戻ってくるから!」


「本当?」


 キアスは眼を輝かせてハニー見つめた。疑いを知らない無邪気な瞳が喜びに輝く。それを真っ直ぐに見返し、ハニーは彼を励ますように優美な微笑みを浮かべる。


「本当よ!わたしが嘘ついたことある?」


「ない!」


 痛々しいほど無邪気な声だった。

 今にも飛びあがらんばかりのキアスをその場に置いてハニーは空洞を抜け出した。

 これから先、彼を連れてはいけない。

 この先にある闇を彼に見せてはいけない。

 キアスを言い含め、何があってもここから出ないと約束させた。

 彼は何の疑いもなくハニーの言葉に、無邪気に頷く。

 ハニーはまた長い廊下を駆けた。

 目指すは奥の広間。決戦の時は近付いていた。

 顔を引き締め、金に輝く双眸を険しく、前を見据える。

 自分を深き森に追い込んだその黒幕を討つためにここまで道なき道を駆けてきたのだ。

 もう何物にも彼女は止められない。



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