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掴めぬ真実12

どんなに願っても、自分の中にいる自分の存在意義には逆らえない。


「ぅぅぅぅううぅぅぅぅぅぅぅ…………」


 まるでアクラスの心に共鳴するかのように、目の前の獣が咆哮を上げた。

 そのままアクラスの立つ柱に抱きつく。

 ビシッと闇に亀裂が走った。


「なにっ……」


 アクラスは僅かに眉を寄せた。

 突如立っていた地面が激しく波打ったのだ。

 縦横無尽に空間を駆ける彼もその予想外な一撃にバランスを崩した。

 獣は自らの肉体に柱の破片が刺さるのも構わず、柱を抱きつぶした。

 グシャッと呆気なく城を支える要が砕ける。

 アクラスはそのまま柱の破片と共に落下に身を任せた。

 落下に紛れて、獣を床に鎮めようと思ったのだ。

 だが獣の方が瞬敏だった。

 アクラスが思いきり振りあげた剣の切っ先が彼の顔面に刺さるその前に、剣に刺さる危険など一切見せず、岩のような拳を天に突き上げた。

 ズシャッと鈍い音がして、闇に鮮烈な赤が飛び散った。

 それに混じって、鈍色の剣の破片が天高く舞い上がる。

 獣の屈強な拳を切り裂いた剣だが、拳の威圧には叶わなかったらしい。

 耐えきれず真ん中で折れたそれは風を切り、遠くの床に静かに突き刺さった。

 闇の中で、その破片が赤に染まって輝いた。


「ひゅう~っ」


 自分の手に収まった先のない剣柄を見つめ、アクラスは思わず口笛を吹いた。

 剛速で自分の顔にめり込もうとする拳を紙一重のタイミングで、しかし余裕たっぷりに避けると、一瞬のうちに間合いを切った。

 先ほどまで自分がいた場所をえぐり、そのまま反転して床深くまで拳を突きつけている獣を遠くで見つめながら、アクラスは笑った。

 叩きつけられた拳の衝撃が地を走り、アクラスのところまで罅いって届く。


「鉄すら砕くのか?人の力で?面白いな……いっそ俺の奴隷にしてしまおうか……」


 身を守るという本能すら放棄し、ひたすら攻撃にのみ特化された獣の姿にアクラスは快感に震えた。

 次はどうやってアクラスの期待に応えてくれるのか、爛々と輝く紫の瞳がじっと獣の次の動向を探る。

 その視線の先で、獣が床に拳を突きつけたまま固まっている。

 アクラスの行動は早かった。にっと口の端を押し上げた瞬間、獣に対し体当りを仕掛けんとぶつかっていく。

 このまま一度床に沈めてみるかと、まるで昼下がりの木陰で読む詩集を選ぶ気軽さで、獣の調理方法を決める。

 ぶつかる寸前に、もう一度空高く飛びあがった。

 そのまま体ごとぶつかって、獣を落とすつもりだった。

 単純に自分の攻撃にどれだけ耐えられるのかが知りたかった。

 それだけだった。

 獣は未だ床に拳を打ちつけ、微動だにしない。


(なんだ?ちょっとは抵抗してくれないと楽しくないんだが……)


 天井まで飛びあがったアクラスが、勢いよく天井を蹴って床にうずくまる獣目がけて飛び降りた。

 流れ落ちる星よりも早く、蹴り上げた次の瞬間に、アクラスは獣の頭の上にいた。

 後少し―――アクラスの兇器のような拳が獣に届くその瞬間、獣は突如その身を起こした。


「ぅぅぅぅぅぅぅううううううぅぅぅぅぅうぐぐぐぐぐごおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおぉぉおぉぉぉぉ」


 両手を上に掲げ、胸を逸らし、城の頂まで駆けあがっていくような重低音で咆哮を上げた。

 それは自らを戦へ駆り立てる古の兵士のようだった。

 まるで祈るように両ひざを折り、獣は天を仰ぐ。

 今まで折れていた顔は上げられ、獣のその容貌が初めてアクラスの目に明らかになった。

 屈強な体躯に比べ、細く尖った知的で引き締まった顔。

 少し頬骨が出た目元に、すらりと高い鼻。エクロ=カナン一の武将と讃えられた男の姿がそこにあった。

 一見して精悍な男であった。

 理性を亡くした獣にしておくに惜しい容貌だ。

 しかしその真ん中にある瞳には何もない。

 濁った青銀の瞳が胡乱気に天井を見つめている。


(所詮、獣は獣か……どう足掻いても人にはなれない……)


 その姿を面白くもないといった顔で見つめていたアクラスは、フンっと鼻を鳴らした。

 目の前の男は生きている状態であっても、その精神も心も感覚も全て奪われ、支配されている。

 ある意味で死んでいるのと同じだ。

 その死者がまるで生の躍動を感じさせるような叫びを上げたところで、意味などない。

 ただ本能の赴くまま、ただの生体反応だ。

 そう、意味などないはずだ。

 なのに、アクラスはふと目に入った彼の瞳に釘付けになっていた。見下したような顔が強張っていく。


「ぅぅぅぅぅぅぅぅううううぅぅぅぅぅ……れ、れも………れぇぇぇぇもぉぉぉぉぉぉぉりぃぃぃぃぃぃぃぃ……………」


 悲しい咆哮だった。

 青銀の瞳から清浄な雫が一筋、流れていった。

 意思などない。ないはずなのに、目の前の獣は何かを求めるように嘆いている。

 獣は確かにレモリーと言った。恨みを込めた様な声じゃない。

 まるで愛おしい者を探しているかのようなそんな声音だった。

 アクラスは先ほどまでの残忍な笑みを引っ込め、信じられないとばかりに目を細めた。

 レモリーはこの国の女王だ。

 その女王を探し求め彷徨うこの男は、意思も思考も奪われながらも自分の仕える主を忘れていないというのか。

 青銀の瞳からは止めどなく清浄な雫が流れ落ちる。

 ハラハラと舞うその小さな粒が深い闇に飲み込まれ、悲鳴を上げる間もなく消えていく。

 じっと獣を見つめ、アクラスの顔が醜く歪んでいく。

 同族に対する嫌悪感とでも言えばいいのか。

 腹の底で渦巻く負の感情を吐き捨てるような顔で獣から男になった相手を見つめる。


「……おいおい、どんだけ屈強な精神力なんだ。普通は一瞬で思考など奪ってしまえるんだぜ?」


 何故自分を捨ててしまわないのか。

 もし女王が元に戻ったとしても彼が元に戻る訳がない。

 彼は彼に術を掛けた者がそれを解かない限りこのままだ。

 よしんば戻れても彼が重ねた罪は消えない。

 彼はアクラスの知る限り、もう三人の人間を殺している。

 いくら操られ意識がないとはいえ、それは事実だ。

 ならば残酷な現実に見切りをつけ、狂えるところまで狂ってしまう方が幸せだ。

 しかし目の前の狂人はその唯一の幸せすら手放し、奈落の底に沈む主人に向かって雄大な歩調で堕ちていく。

 なんと無情なパラドックス。無意味な情熱は行く当てもなく潰えるしかない。

 それでも獣は幸せに背を向け、暗闇を彷徨い、いるはずのない女王を求める。

 それは執念故か、それとも理性や感情を超える情熱故か―――………。


「れ……れもりぃぃぃぃぃっぃ………」


 まるで身が裂けたかのような悲痛な叫びにアクラスは更に顔を歪めた。

 獣の分際が届かぬ牙で、大切な者に並ばんと人の世に食らいつこうとしている。

 その姿に、カンザスに対する自分自分の汚さや無意味さを見せつけられている気にさせられる。

 耐えきれず、アクラスはチッと舌打ちをした。

 そのまま俊敏に広間をぶち抜くように駆け、男――セオ・オーディンにぶつかっていく。

 風よりも音よりも早く駆け、そして嘆く大男の肩に剣の残骸を突き立てた。

 肉を裂くプツッという音が聞こえた時には、もうセオに肩に剣の柄までも埋まっている状態だった。

 手に嫌な感触が走ってもアクラスは何一つ気にせず、柄を握ったまま広間を走り抜けていた。

 セオは曇った瞳を険しくさせ、その鋭い束縛から逃れんと巨体を捻じる。

 その剛腕に流石のアクラスも柄がぶれ、ヘタをすれば反対に吹き飛ばされそうな抵抗を感じた。

 だが、いくらセオ・オーディンがエクロ=カナンの豹と呼ばれていても、本物の獣に敵わない。

 肉が弾け、血が飛び、宙が軋む。それでもアクラスは止まらない。

 アクラスは城すら震撼させる硬質な音と共に一番端にあった柱にセオの体ごと押し付けた。

 途端、重厚な柱が砂の城のようにグシャッと空気が潰れた。

 それと共に柱が脆く、音もなく砕ける。

 地を震わす衝撃が走り抜け、広間に柱の塊が突き刺さる。

 アクラスは素早く飛びのくが、柱にめりこんだままのセオは咄嗟に身を起こすことができなかった。

 その上に、無情な神の怒りが降り注ぐ。

 大きな破片が幾つも重なり、屈強なセオの体に圧し掛かる。

 地が沈むような衝撃が辺りを支配した。


「……このまま死ぬか、それとも……もしも奇跡が起きるなら………どんな姿であろうと一目お前の主人に会えるかもな………まぁ、せいぜいもがいてもみせろよ」


 何の感情もない紫の瞳が闇に光った。

 しかしそれはたった一瞬。

 すぐに興味もないとばかりに顔を背けられた。そのまま後ろを振り返らず、アクラスはカンザスが進んだ道とは違う、左の道へと足を向けた。

 要を喪った広間は、哀しい沈黙で満ちていた。


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