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掴めぬ真実11

「やっと邪魔者がいなくなった……なんて言ったらカンちゃんは怒るかな?」


 前からやってくる勇猛な獣を見つめたまま、アクラスは爛々と目を輝かせて狂気の笑みを浮かべた。

もうそこにはカンザスに向けていた穏やかさなど微塵もない。

 スルリッと腰の柄から剣を抜くと、その鍔でトントンと自分の肩を叩く。

そして冷やかな紫の瞳で相手を睨む。


「さて?君は誰に支配されているのかな?哀れなお人形さん」


 にぃっと口の端を大きく上げ、赤い口で笑う。

その姿は魔物以上に禍々しい。

 押し殺したような空気が漂う石の広間で、二人は対峙した。

 理性ある獣と理性を亡くした獣―――ただ本能が血を求めるように、二人が激突するのは必至だ。

 真っ直ぐに自分の方へと足を進める巨体を見つめ、アクラスは場に不釣り合いな軽やかな声で相手を向かえ討つ。


「俺も先を進まないといけないから手短に頼むよ?」


 ヒュンと剣で空を薙ぎ、獣の方に切っ先を向ける。

だが獣は真っ直ぐにアクラスの方へと進める足を止めない。

何の感覚も獣にはないのか。

まるでアクラスなど存在しないかのように、自分の思うままに広間を横切ってくる。

 アクラスはふざけたように大げさに眉を寄せた。


「おやおや、盛大に無視してくれるね?まぁさて、どこぞのお武家さまのなれの果てか知らないけど、この俺に出会ったこと、後悔するなよ?……って、ああ、もうそんな感覚もないだろうね」


 自分の方に近付く魔物はそんな言葉に捕らわれず、まっすぐの歩みを止めない。

 聞く耳持たない相手にアクラスはやれやれと肩を竦ませる。

憐れむ様に目を細め、しかしその実同行は乱暴な狂気を孕んで輝いていた。

 アクラスは薄い唇を赤い舌で舐め上げた。

 沈黙を守る闇に、微かな水音が跳ねる。


「ああ……近付く度に威圧感が増していく。これは一度理性を失う前にお相手してほしかったな。いや、理性のない方が徹底的に楽しめるか。人は他者の視線ばかりに囚われて、本能が求める残虐な快楽を否定する生き物だから……」


 まるで自分は違うというような口ぶりだった。

 アクラスはクスクスと喉を鳴らして、一人笑う。

 しかし対する獣は何も答えない。

 二匹の獣は互いのテリトリーを侵すほどに近付きつつあった。

 変わらない歩調で獣が近付く。

 その瞬間、アクラスの頬笑みから温厚さが消え失せ、狂気が取って代わった。


「さぁ、血肉飛び散る快楽を味合わせてくれ」


そう言うが早いか、カンザスは風に溶けた。

 次の瞬間、獣の頭上高くに飛びあがっていた。

 爛々と輝く瞳に一切の躊躇はない。

 そのまま水平直下、獣の脳天目がけ剣を突き下ろす。

 アクラスの剣は確実に敵の脳髄を狙っていた。

 一撃必殺の早業だ。

 相手に息を吸う暇さえ与えない、無情な剣が獣の頭上で輝いた。

 その一撃で、呆気なく全てが終わるように思えた。

 しかし相手は愚鈍な獣といっても元は屈強な戦士だ。

 確実に急所を狙った切っ先を紙一重に避けた。

 そして避けると同時に右手に握っていた兵士をアクラスの方へと投げつける。

 風が鈍い悲鳴を上げて、逃げ惑う。

 それは瞬きよりも更に短い時間の間の出来事だった。

 重い甲冑に身を包んだ兵士がまるで石ころのような軽やかさで宙を飛ぶ。

 空気を引き裂き、それでもまだ足りぬとばかりに空間を震わす。

 その兵士を空中で上手にいなし、アクラスは何もない宙を駆けた。

 その後を追撃するように、別の兵士の骸が宙で爆ぜた。

 人が兇器となって宙を飛び、その人を避けて人が宙を走る。



 それは人智を超えた光景だった。

 薄闇を当たり前に走り抜けると、アクラスは太い柱の上に降り立った。

 まるで世界が反転してしまったかのような、奇妙な均衡を保ち、アクラスは柱の上から冷たい視線を獣に向けた。

 敵は次の攻撃を図るように身を低くして、体ごとアクラスが立つ柱に向かっている。

 ゆっくりとした時間差で、ズンッっと腹の底に響くような衝撃波が場を支配した。

 それが兵士だった肉の塊が床にめり込んだ音であった。

 その音を背に聞きながら、アクラスは目の前の獣を見つめた。

 その顔に、薄茶色の髪が雪崩れかかり、アメジストの瞳の視界を覆う。

 床と垂直に立つことができても、髪は常の常識に従い地面に引かれるものらしい。

 アクラスは眉ひとつ動かさず見つめていた。

 その口元にはまだ悦楽が浮かんでいる。

 命のやりとりをするのが楽しくて仕方ない。

 隠すことなくそう感じているようだった。

 もういつものアクラスなどそこにはなかった。

 血を求める肉食獣のよう。いや、獣は生きる為に他者の命を奪うものだ。

 だがアクラスは生きる為ではなく、楽しむ為に命を奪おうとしている。

 それは自然の摂理から真逆のところにある、おぞましい行為だ。

 フフッと愉悦に喉を鳴らし、アクラスは握りしめた剣を舐めた。

 本当はこんなものはなくてもなんとでもなる。

 だがそれではあまりに獣じみていると、アクラスはあえて自分の行動を制限するためにその枷を握りしめた。

 剣よりも鋭くそして深く相手を切り裂くことのできるアクラスにとって、剣はあまりに頼りない上に型やら礼法やら堅苦しいルールに縛られた面倒臭いハンデだ。

 剣の刃で自らの顔の前に立てそこに映った自身を見つめて、アクラスは肩を竦めた。

 そこにいたのは、卒ない冷静な男前ではない。

 鋼の中で、残忍な悪魔が悲しく微笑んでいた。

 

(少しは理性を残しておかないとね……)


 自嘲気味に片頬を引き攣らせる。

 理性のない獣が何をお行儀のいいことを考えているのだろう。

 それもあんなちっぽけな人間の子どもの為を思って自分に制御を掛けているなんて、昔の自分から見ればなんと言うだろうか。

 実に無意味なことだ。だが世の中には無意味にこそ意味を見出す者がいる。

 アクラスもその無意味さこそを愛してやまない。


(ごめんな、カンちゃん。今だけはどうか俺からずっと離れた場所にいて、こちらを振り返らないでくれ……)


 切実にそう祈った。全てを破壊に導く感情と全てを安定させようとする感情がアクラスの中で鬩ぎ合う。

 こんな姿を見られたくない。

 血に塗れ、獣のように目を輝かせた姿など……。


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